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【特集:『帝室論』をめぐって】
座談会: 『帝室論』から読み解く象徴天皇制

2019/05/07

バジョットからの影響

都倉 この本はそれ以外にも、政治思想史的に君主というものをどのように位置づけるかということが、特にバジョット(ウォルター・バジョット。イギリスのジャーナリスト、思想家)との関係で取り上げられますね。

君塚 『帝室論』には最初のところに「西洋の一学士、帝王の尊厳威力を論じて之を一国の緩和力と評したるものあり。意味深遠なるが如し」という言葉が出てきます。この西洋の一学士というのが、たぶんバジョットのことを言っているのだろうと思います。君主というのは、その国のdignify、尊厳的な部分であると。それに対して政府や議会が機能的な部分であるという区分です。尊厳的な部分が、一国の緩和力であり、政治の中では重要な部分である。

このdignifyの部分については、現代では王室などが行うソフトの政治外交になります。それに対して政府が行うのはハードの外交で、実際に国境を確定したり、TPPとかEU離脱などを行うのはもちろんハードの部分です。

ただ、ハードとハードはぶつかりやすい。そんなときにソフトなものが入ると緊張を緩和してくれる。そのようなものは、この時代から現代に至るまでいろいろな形で、いろいろなところで見られると思います。そのようにバジョットが言っているところを、福澤も取り入れたのだと思います。

後半のほうに「バシーオ氏の英国政体論に云(いわ)く」とありますが、このバシーオ氏というのもバジョットのことで、福澤はバジョットの原典『イギリス憲政論』からいろいろな影響を受けているように思います。たぶんヨーロッパに行ったときに買ったのではないか。

まだ、日本では国会は開設されていない時期ですが、皇室はいずれの政党にも属さない、公正中立で超越的な存在ということもバジョットが指摘していることですから、このあたりは参考にしたのだと思います。

都倉 その後、日本においてバジョットの影響は持続したのですか。

君塚 結局、日本はプロイセン型の憲法を取り入れますが、伊藤博文は、今の日本ではイギリス型の議会政治、政党政治、立憲体制にすることはできないけれど、将来的にはイギリス的な形を理想にしていたとも言われます。

そのように、伊藤博文のような実際に憲法体制を築き上げていく人たちにも、バジョットの影響というのは確かにあったようですが、そのまますぐ採用するわけではなかった。ただし二院制、貴族院と衆議院のつくり方などでは伊藤もかなり参考にしています。

ただ、思想界のほうでは、中江兆民などはフランスの思想の影響がむしろ大きかったのではないでしょうか。

明治憲法下での立憲君主

都倉 伊藤の『憲法義解』でも君主のあり方は、かなり立憲君主的な実態を築こうとしていますね。福澤のプランが文字通り憲法の中に盛り込まれたわけではないけれど、明治憲法下でも君主と政治の関係については抑制的であろうとしていて、そのような形が定着する可能性があった。

しかし、それは結局、破綻した。統帥権干犯やら天皇機関説事件というのは、まさに福澤が立憲帝政党に見ていた危険性が的中しているように思えますが、この流れについて、井上さんはどのように考えられていますか。

井上 私はできるだけ戦前昭和の可能性を拾い上げるようなことをしているものですから、そこまで悲観的には見ていないのです。

戦前の大日本帝国憲法下でも『帝室論』が示す大枠に沿った立憲君主国を目指し、当時の欧米の国際情勢との相互作用の中で、「政党を超越した人心収攬の中心としての帝室」というものをつくっていこうとしていたのではないでしょうか。やや誇張して言えば、それは今日までずっと続いていると思います。

先ほど福澤が長期的な視点から書いているのか、時事論的なものとして書いているのかというお話がありましたが、古典とはそういう観点を超越して、今でも何かしら読むに値するから古典なのでしょう。『帝室論』は現在の日本の御代替わりのことを考えるときも、重要な歴史上の手かがりになっていると思います。

日清・日露戦争を経て国家的な独立が達成されると、明治という時代の歴史的な役割も終わって、大正時代になります。大正時代は当時の国際情勢との相互作用の中で明治時代のような時代を続けたくても続けられなくなる。大正時代は、より積極的な新しい立憲君主国をつくっていこうという動きが生まれます。そこでは『帝室論』の理念が活かされたのではないかと考えます。

政党政治が本格的に動き始めたのは戦前昭和の二大政党制の時代です。二大政党制が崩壊したのは、軍部の責任もあるけれど、政党の側にも非常に重い責任があると考えています。『帝室論』が示しているような立憲君主国の戦前昭和版ができなかったことが破局につながったと考えます。また、天皇自身が政治的なアクターとして関わらざるをえなくなったことで、回り回って破局につながったという点では、まさに『帝室論』が先駆的に指摘している通りだと思います。

福澤の議論は『帝室論』が刊行された明治15年前後の時代状況から離れても示唆に富むと思います。

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