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【特集:「多死社会」を考える】
座談会:今、「死」の捉え方はどのように変化しているのか

2026/02/05

「死」のビジネス化という負の側面

堀江 トニー・ウォルターが、葬送の担い手というのは、宗教と自治体と葬祭業の3つのアクターがあり、その割合が、国によって違うと言っています。日本の場合、確かに自治体や行政の関わりが弱かった可能性はあります。

要するに、格差が広がるというのは、金銭とともに家族などの関係性の格差みたいなものが広がりますから、無縁の死者になるような人たちを包摂する仕組みには、やはり行政が出てこないと難しくなるのかなと思います。

戸松 おっしゃる通りです。

堀江 そこで葬祭業者がどういった動きをするのか、ちょっと私はわからないのです。例えば、イギリスだと死生学に関する学会のスポンサーが葬祭業者ということが結構多い。また韓国は、死生学に関する専門を学びたいという学生が増えていて、その就職先は葬祭業が多いのですね。

その点、日本は、葬祭業者というのはどういう役割を果たしているのでしょうか。

辻井 葬祭業者は儲けにならないものには大きく反応はしないですね。特に無縁死者、無縁遺骨みたいなものへの対応という点だと。一部、葬祭扶助費は出ますが。

戸松 区民葬とか。

辻井 そうですね。葬祭扶助費の範囲内で、可能な限りしっかりと葬儀をするという葬儀社さんは、結構あると思いますので、そういうところで対応していると見ることもできると思います。お墓だと社会福祉法人みたいなところが最近、老人ホームなどの単位で、合葬墓を造るような動きが起きていると思います。

あとはそれこそ、一部の熱意ある仏教者の方がご自身で、採算を度外視して檀家さん以外にも開く形で合葬墓を造って、最悪の場合、お金をもらえなくても、無償で受け入れたり、路上で亡くなられた方も含めて弔うという形で動かれているところもあります。

おっしゃるように、もともと公的な部分が日本は弱いので、宗教者の方とか、社会福祉法人とか、補助費の中でやる葬祭業者などがカバーしてきた領域なのかなと思います。ただ、そのカバーせざるを得ない範囲がどんどん広がってきています。多死社会で死者が増えている状況なので、どこまでそれができるのか、難しい部分もあるのかなと思います。

戸松 葬儀のことでは、全日本仏教会は年に1回、全日本葬祭業協同組合連合会と会合をして、お互いの葬儀に関する問題などを話し合うのです。実は葬祭業は、免許制ではないので誰でもできるのです。今、新規参入する業者のほとんどが、広告を出しているだけで自前のスタッフを持たずに派遣でやるものです。要するに窓口だけつくって、実際には仕事が少ない地元の葬儀社さんにやらせるのです。

18万で受けたら、葬儀社には8万か9万しか渡さない。すると葬儀社は8万や9万で葬儀はできるわけがないので、お客さんに、手を替え品を替え上乗せ請求するわけです。それで費用がかさんで消費者センターに苦情が来る。

一番の問題は免許制ではないことですが、なかなか法制化できない。質が下がって嫌な思いをする人が増えれば、葬儀を頼まなくなる。すると伝統的な葬儀の形式や、お寺にも影響する。これは深刻な問題です。

お寺と関係がないお坊さんを頼むと、仲介業者がたくさん中抜きをする、という1つのビジネスになっているのです。皆さんの払ったお布施の25%しかお坊さんには渡っていない。僧侶派遣サービスを使っている人はそれを知らないから、私は僧侶派遣業をしている会社に全部公開しろと言っています。

堀江 お布施という形であれば、お布施するほうは全部お坊さんにいくと思いますよね。

戸松 搾取ですよ。1つ言えるのは、やはり多死社会になり、死ぬ人が増えるから、死というものがビジネスになり、ベンチャーなどが参入してくるわけです。それは1つの負の側面なのかなと思います。

「孤独死」をどう捉えるか

澤井 格差ということにつながるかもしれませんが、孤独死や孤立死が最近問題になっています。これだけ単独世帯が増え、一人暮らし世帯が4割に達しようとしている時代です。ある程度お金や人的な資源を持っている方は、お一人で亡くなられてもすぐに見つけてもらえたり、あるいは終身サポートみたいなものを利用して、「一人で死んだ時にはこうしてください」と用意できる。それに対して、そういうことができない方々、まさに孤立されている方々が、多死社会において恐らく増えていくのかと思います。

孤立という問題に関して言うと、「看取る」という場面にも、在宅医療の場合、お一人である方のケースもあると思うのですが、そういうケースは多くなっているのでしょうか。またそういう場合、どういうことを配慮していくべきだとお感じでしょうか。

井口 独居の方の看取りというのは、確かに在宅医療の1つの大きなテーマです。私が本格的に在宅医療をやり始めた10年くらい前はやはり、「一人暮らしの人を看取るというのはすごく大変なことなんだよ」という感じで、レアケースで皆ですごく頑張ってやるようなものでした。

でも、今はもう別に珍しくはなく、「あ、一人暮らしなんだ」くらいの感じです。独居の人が増えて皆が慣れて経験を積んできているので、それ自体の特別さを感じることは減ってきている気がします。

また、ご本人の意思は、独居のほうがどちらかというと叶えやすいです。お一人で自分の生き方を大事にしてこられているので、「その人がそう思っているから」ということで大事にできる。逆に思惑のある親族があれこれ言うほうが、かえって本人の気持ちだけでは済まないことが出てくるところもあります。

とはいえ、初めて独居を担当する方はやはり困ることは多いのでサポートが必要になります。東京都内で在宅看取りを希望される場合、うっかり救急車を呼ぶのは一番避けたいことなのですね。救急車を呼んでしまうと……。

戸松 蘇生させられちゃう。

井口 そうです。そこからもう警察マターになってしまい、不審死扱いみたいになるので。そうならないように、いろいろなところと相談して調整しておくことで、最後に医師が死亡診断するところまで、その人をとにかく家にいさせることができれば、たとえ独居の方でもご本人の家で最期まで過ごしたいという希望を叶えられるのです。

ただ一方で、本当にびっくりして、つい救急車を呼んでしまうということは避けられないことでもあります。

戸松 痙攣を起こしたり、苦しんだり。

井口 そうなんです。ご家族がいたとしても、在宅看取りでいきますと言っていても、最後の最後に気が動転して、つい救急車を呼んでしまうのは、もう主治医であろうと止められない。警察が、主治医が死亡診断書を書いていいよと言ってくれたら書けますが、そうじゃないともう監察医務院でとなる。家で最期まで、と決めた以上はその流れに乗せないようにしたいとは思います。

一方、私も無縁死の共同研究で勉強している時に、私たちの見ている孤立死は、まだ恵まれているのだと感じました。真に孤立している人は、地域包括とか行政の介入も拒むこともあり、あるいは見つけられもせずに無縁仏となっていき、行政に骨を引き取られる。

私たちが関わる人たちは、どんなに孤立しているように見えても、「お骨ぐらいはお墓に入れてあげる」と言ってくれる遠い親族が出てきたり、誰かが助けてくれることが多いのです。同じ「孤立」という言葉であっても、様々な位相があって、自分に見えているものはごく一部だなと感じます。

様々な死の迎え方

戸松 ご家族であっても、お骨の引き取りはしたくないという方もいます。すると、家族って何だろうなと。例えば山谷のホームレスの人たちは、「ひとさじの会」の吉水岳彦さんが寺院に共同墓をつくり、無償でお墓に受け入れている。するとそこには、ホームレスの仲間たちが皆お参りに来るのです。

例えば塾の出身者で、家族がいなくなったりしても、同期のお仲間とか三田会の人たちで、「最後に墓も一緒に入るから、葬儀のときは連絡し合おうよ」と言ったりしている。正本乗光さんという仏教青年会をやっていた人が、最後の出棺の時、遺言で「若き血」を歌えと言われて、私たちは歌いました。「それもいいな」と思いました。やはり新しい形のコミュニティで送ってもいいし、家族がいなくたって寂しくないかもしれません。

堀江 「一人で死期を待ち、誰の世話も受けずにいたい」という人が、5年前は36.3%だったのが42.1%に上がっていて、「死ぬときは誰かにそばにいてほしい」は64.8%なのですね。だから4対6ぐらいで拮抗している状態なのです。

辻井 それも自分で選択して、家族に迷惑をかけたくないのでそうしたいという人もいれば、そもそも家族に頼れないみたいな人もその統計の中には含まれているのではないかと思います。

澤井 その結果、一人残されて、何日もそのままで発見されないみたいな場合がありますね。

堀江 ところが、「誰からも発見されず遺体が腐乱するのは嫌だ」というのは81.6%なのです。

澤井 ちょっと難しいところですね。

堀江 難しいですね。上野千鶴子さんは、ふだんから連絡を密に取り、生存確認をし合える仲間がいて、それで腐る前に発見してもらえるようにするのがいいという孤独死を勧めているのですけれど。

澤井 そういう終身サポートというか、見守りも含めたサポートをしている業者さんも増えてきているようですね。

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