【特集:「多死社会」を考える】
桑田 美代子:豊かな最晩年をつくる──超高齢者の最晩年の生を支える看護・介護
2026/02/05
Ⅰ 最晩年の生を支えるケア
関わったすべての人達に良い余韻を与える
青梅慶友病院(以下、当院)の許可病床数は526床、入院患者の平均年齢は約90歳、平均在院期間は3年4カ月、9割が認知症を有し、6割の方が死亡退院する「終の住処」としての役割を担う療養病床である。当院は、創業者の大塚宣夫が「自分の親を安心して預けられる施設」を目指し、1980年に147床で開設した。
その頃の老人病院は、暗い・汚い・臭いというイメージが強い時代であった。しかし、そのイメージを一掃し、できれば自分で看たい、あるいは看るべきであると思っている家族に対して、最期までしっかりとケアを提供すること。入院後、ご家族がうしろめたさを感じなくてもすむような対応を実現することを重点に様々な仕組みづくりを行ってきた。そして、職員の質こそ、「豊かな最晩年」の実現への最大の課題であると述べている。
私は、日本の高齢化率が14%を超え、「高齢社会」に突入した1994年、当院に入職した。
30年前、まだ死をタブー視する中で、当院では死を見据えつつ、そして、ご本人、ご家族に心残りがないようにすること、そして、亡くなったあとに関わったすべての人達に良い余韻を与えることを目指し、多職種で「豊かな最晩年をつくる」を目標に取り組んできた。当院が大切にしてきたのは、より良く亡くなることではなく、最晩年の時間を生き切ることを支えるケアである。
Ⅱ 死を見据える──エンドオブライフ・ケア
最近では「終活」という言葉が広く使われるようになったが、少し前までは「死の話は縁起でもない」と避けられる時代があった。当院では入院時、「人生で一番輝いていた時期はいつですか」と尋ねている。これは、これまでの暮らしや習慣、趣味、望みを知り、日々のケアに活かすためである。超高齢者一人ひとりの人生をふまえ、その方にとっての最善のケアを考えてきた。
「ピンピンコロリで亡くなりたい」と語られることもあるが、それは決して容易なことではない。人は必ず死を迎える存在であり、超高齢者であれば暦年齢の上でも死が身近であることは否定できない。だからこそ、当院では死を見据えながらケアを行ってきた。それは単なる「お世話」ではなく、生活の質を最期まで最大限に保つことを目指すエンドオブライフ・ケアの実践であると考えている*1。
エンドオブライフ・ケアという言葉は1990年代から米国で用いられるようになった。ヨーロッパでは「死が差し迫った患者に提供される包括的なケア」と比較的狭く定義される一方、北米では「患者・家族と医療者が死を意識するようになった時点から始まる、年単位に及ぶ幅のある期間」と広く捉えられている*2。超高齢者、特に認知症高齢者のケアでは、いつゴールが訪れるのかを明確に示すことは難しい。日本老年医学会の「高齢者の人生最終段階における医療・ケアに関する立場表明」においても、「人生の最終段階」は数値で規定されていない*3。
1日3回の食事介助、繰り返される排泄ケアなど、同じことの積み重ねの中で、ケアの意味を見失いそうになることもある。しかし、エンドオブライフ・ケアの本質は、生活の質を最期まで大切にし、その人にとっての「良い死」を迎えられるよう支えることであるとされている*4。超高齢者にとっては、最新・最高の医療以上に、日々の丁寧なケアこそが尊厳を保つ価値あるケアである。私は、当院で行ってきたケアは、まさにその実践であったと考えている。
Ⅲ 超高齢者の「残された機能」に目を向ける
超高齢者の行動を肯定的にみる
看護・介護職は、ともすれば超高齢者の「できないこと」に目を向けがちである。「自分で食事ができない」「自分で歩けない」などである。しかし、「食べ物を口まで運ぶことはできないが、噛むことはできる」「歩行は難しいが、便座への移乗はできる」など、残っている機能に着目する視点が大切である。できないことではなく、今できていることに目を向けることで、残された機能に気づける。
そして、必要以上に手を出すことが、必ずしも良いケアとは限らない。危ないからと全てを奪うのではなく、できることはしてもらう。その機能を活かし続けることは、「生きている実感」を支えることにつながると感じている。超高齢者を"病を持った人"として看るのではなく、"生活者"として看る。自分でできることはしてもらう。危ないからとできることを奪わないことが大切である。
不活動状態をつくらない──不動の痛みの回避
超高齢者は複数の疾病や障害を併せ持つことが多い。疾病の段階が急性の場合は、医療に重点がおかれることは当然である。しかし、安静臥床により廃用症候群(過度に安静にすることや、活動性が低下したことによる身体に生じた様々な状態)を引き起こす可能性が高い。つまり、動かないことにより、持っている機能は低下し、動けなくなる。動くとは、歩くことばかりではない。飲み込むこと、関節を動かすこと、口から食べて臓器を動かすことも含めてである。口から食べないことにより、嚙む力・嚥下(飲み込む)力も衰える。関節を動かさないと、関節が固まり動かなくなる。動かそうとすると痛い。身体を動かすことは、関節の拘縮や痛みを防ぎ、人間らしい姿を保つことにもつながる。億劫な日もある。それでも、動かなければ動けなくなる。食べなければ食べられなくなる。その当たり前を、当たり前として丁寧に支えることが、穏やかな日々をつくる基盤である*5。
安心した環境── 一番大事なのは人的環境
超高齢者にとって、安心した環境とは、設備や建物の新しさだけで決まるものではない。何よりも大切なのは、日々関わる人の存在である。表情、声のかけ方、触れ方、待つ姿勢──そうした一つひとつが、その人にとっての安心を形づくっている。人的環境が整ってこそ、超高齢者は自分らしく過ごすことができる。私は、安心した環境づくりの要は、常に「人」にあると考えている。
Ⅳ 想像を超える世界──ケアする側にとって「老い」は未知の世界である
私は現在、前期高齢者と呼ばれる年齢になった。80歳を迎えた看護師の先輩からは「まだひよっこよ」と言われ、自分でもそう思う一方で、老いへの一歩を受け入れることには想像以上の葛藤があった。それは、頭の中で思い描いていた「老い」と、実際に体験している老いが異なっていたからである。成長・発達は、できることが増えていく過程である。一方、老い・老化は、できていたことを一つずつ失っていく過程である。その喪失を受け入れることは、決して容易ではない。「昔は簡単にできたのに……」と、心の中でつぶやく自分がいる。
当院では「自分の親だったら」「自分だったら」と置き換えて考えることを大切にしている。しかし、想像には限界がある。ケアの対象である超高齢者が体験している世界は、ケアを提供する側にとっては想像を超える未知の世界なのである。未知の世界を生きる人をケアするからこそ、考え続ける必要があるのだと思っている。自分の全ての先入観を捨て、じっくり時間をかけて超高齢者におしえてもらう気持ちで関わればよいと考えている。多職種で考えて、考えて、考えて、そこではじめて、超高齢者が求めているものが、そして、私達にできることがわかってくる。そのことが、超高齢者ケアの醍醐味でもあると考えている。効率性や時間対効果を求める価値観とは、相容れない面もある。その価値を、どのように伝えていくかが大きな課題でもある。
2026年2月号
【特集:「多死社会」を考える】
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| 三田評論のコーナー |

桑田 美代子(くわた みよこ)
医療法人社団慶成会看護介護開発室長、青梅慶友病院看護部長