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【特集:未来のモビリティ社会】
座談会:自動運転は社会をどう変えるのか

2025/11/05

社会との議論の場の必要性

大前 五百木さんは何かございますか。

五百木 自動運転をどう実現していくかということに最大のプライオリティーが置かれている、そのもう1つ外側の話をすれば、テクノロジーが徐々に完成度を上げ普及が進むという中で、人々の暮らしもニーズもどんどん変わっていくのだと思います。その両方が動きながら社会が変わっていくということです。

地方の高齢者が病院に行けなくて困っているから自動運転が要るという話がありましたが、その技術が実際に使われるようになるまでに、例えば5年近くかかると、その間に社会や人々の暮らしがどう変化していくのか。また、人々の暮らしを取り巻く様々な技術がどう変わっていくのか。両者が並行して動きながら社会がつくられていくとしたら、自動運転の実現に協力的な世の中というものをもう少し意図してデザインすべきだと思うのです。当事者の方々と、社会がどう自動運転に協力的に変わっていくかということの議論の場があってもいいのではないでしょうか。

物流の問題もトラックドライバーやタクシーの運転手が足りなくなっているのは間違いないのですが、今の物流があまりにモビリティに依存しているからとも言えます。私たちがペットボトルのお茶を1本買うまでにどれだけ物流負担をかけているのか。その意味で、物流の仕組みが自動化との親和性の影響を受けてこの先でどう変化するか、ということは自動運転側でも議論して、「物流側でここまでやってくれるんだったら、こちらはそんなにやらなくていいな」という話があってもいい。双方が歩み寄る世界観みたいなものが、自動運転の議論の中にもっと出てくると少し状況が変わってくるのではないかと思います。

今、自動運転はものすごく極端なケースを想定して、それでも大丈夫なのかという議論がずっと繰り返されています。そのためにたくさんのセンサーを搭載し、たくさんの処理をしなくてはいけなくなっていますが、もしかしてそこに何か欠けている議論があるのではないか。

そのように社会と自動運転との相互関係の中に、これからもっと議論が進まないといけない部分があるのではないかと、今日のお話を伺っていて思いました。

大前 社会の側でのニーズというのは、すり合わせみたいなことだと思いますが、技術側、事業者側の方々は、社会に対して何か普及に向けて喚起されていることなどありますか。

青柳 大阪というフィールドに限られていますが、関西圏の自治体の方々や事業者の方々とお話ししていると、自動運転のソフトウェアや自動運転車両というところに限らず、交通インフラ側や事業者側で社会に対してどう貢献できるかという話になります。バスと違ってどうやって安全に乗客の方に乗降いただけるかとか、渋滞の中でどう共生していくかというテーマは、結構実証もされてきたので、具体的な話ができるようになっています。

われわれのように最近入ってきた事業者としては、そういった議論の蓄積のベースはつくられていると感じており、そこはこれまで加藤さんや日本における先人の方々がまさに切り開いてくださってきたのだと思います。

大阪の各自治体は、ポスト万博の意識もあって、技術をどうやって活用していこうかとよく考えられているので、私はむしろ日本のほうが上手く連携できる自治体やプレイヤーは多いのではないかと感じています。

五百木 そういう議論になることは結構あるということですか。

青柳 堺市や大阪市と話していますが、皆さん結構早くて、具体的なルートやエリアについてなど、驚くほど具体的な話ができています。地域によって濃淡ありますが大阪はそうですね。

「いつでもどこでも誰でも」を目指して

加藤 理想や社会というものは抽象度が高い話なので、どこまで概念として抽象化できるかが重要になると思っています。自動運転の価値で言えば、考え方としてフォアキャスト(未来を予測して考えること)とバックキャスト(未来から逆算で今を考えること)というものがあります。私が自動運転のフォアキャスト的に考えていることは「人にできないことができないといけない」ということ。例えば、絶対に衝突しないことは人にはできません。あらゆる時間に運転することも人はできません。

人にできないことをやることは価値が高いので、フォアキャスト的に考えて大学の教員の立場で言うと、人にできないことを実現していき、企業などが使い方を考える、ということになります。

それを事業者としてバックキャストすると、理想は「いつでもどこでも誰でも」利用できることになります。24時間いつでも走れるサービスで、どんな環境でも機能することが期待できます。また誰でも、というのは、例えば自分の祖母がバスの運転手をやっていたら、これはすごい社会だと思います。

従って、人にできないことを実現できたとすると、行き着く先は「いつでもどこでも誰でも」を叶えるサービスになるのではないかと思います。

𣘺本 やはり未来のことは若い人がどんどん考えていくのが重要だと思います。地方の高齢者の足を救うということは非常に重要ですが、若い人にとっては他人事のように感じ、一緒に考える機会が多くないと思うのです。

若い人がわくわくするようなモビリティがある社会を考えるとすごくいいなといつも思っています。

大前 僕自身、正直に言うと、それほど自動運転は要らないのではないかなと思っているところもあるのですが(笑)、今回学べたことは、自動運転はやはり手段であって、目標に何を設定するかということの重要性です。ドライバー不足解消などだけではなく、やはり日本の国力などいろいろ考えないといけないところがある。皆それをゴチャゴチャに考え過ぎて、まごまごしている部分もあったりするのかなというところもあります。

僕自身は、機械を無人化に使うのではなく、人と協調して手助けをすることで、人が高齢になっても働いて社会で活躍できるようなものとして使うのがいいのかなと個人的には思っているのですが、今回皆様とお話しして、自動運転の方向は明るいのではないか、自動運転はやはり必要なのではないか、実用化したほうがいいのではないかという気持ちになれたかなと思います。

本日はお忙しい中、有り難うございました。

(2025年9月12日、三田キャンパスにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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