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【特集:未来のモビリティ社会】
田中 大介:未来のモビリティ社会のどこへ行きたい?──「スマートシティ」の手応えをめぐって

2025/11/05

  • 田中 大介(たなか だいすけ)

    日本女子大学人間社会学部教授・塾員

1.未来のモビリティ社会の手応え

未来のモビリティ社会のひとつを示しているのは、今年開業したトヨタ自動車の「Toyota Woven City」だろう。「未来のモビリティのテストコース」ともいわれ、AIやロボット、自動運転車、ドローンなどの先端技術を試す、静岡県裾野市に建設されている実証都市─20世紀に自動織機から自動車のメーカーに進展し、21世紀以降、「モビリティカンパニー」へ転換を目指すトヨタのモデルケースとなる「スマートシティ」でもある。

モビリティの未来への期待は、スマートシティというイメージと重なりあっている。スマートシティに関する言説は、政治・経済・学術を広く横断し、肯定的な提言から批判的な議論まで多数存在する。スマートシティをざっくりと「ICT(情報通信技術)によって課題解決を試みる都市施策」を指すとすれば、その構想・実装の規模・種類・主体も多様で、それらをフォローするには紙幅が足りない。「2025年日本国際博覧会」(大阪・関西万博)でも、関連するコンテンツが複数のブースで展開され、そのサイト上にもモビリティの未来に対するイメージは多くある。

このように「未来のモビリティ社会」に関する言説・イメージが氾濫する一方、以下のようなスマートシティの「手応えのなさ」もしばしば語られている。

『テレ東BIZ』の「【ウーブン・シティ行ってみた】トヨタの実証都市は普通の街?」では、「当初予想していたほど先進的な街というイメージはない」、「普通の街」と表現される。その一方で、中国などのように公道で実証実験がしやすい国ではない日本における意義を強調し、それをいかにしてマネタイズをしていくのか、このスマートシティをどのように拡張するのかを報じる。

またトヨタ系列の企業も参加し、公共交通の実証実験を行っている「柏の葉スマートシティ」を訪れた社会学者・佐幸信介も、拍子抜けしたように以下のように述べる(2023『プラットフォーム資本主義を解読する』ナカニシヤ出版)。「これまでみたことがある普通の街の光景があった。(中略)既視感だけを体験し、外を出た」。そして、「視覚的な普通の都市と、見えないスマートシティ。いくら歩いても、スマートシティとは実感できないスマートシティ」は、ビジネスの論理で作られ、ブラックボックス化した技術中心主義的なものにすぎない。むしろ、市民が主体的に関与するコミュニティの視点で考えるべきであるとする。

後述する「MaaS」、「CASE」、「Society5.0」など、未来のモビリティ社会を表現するようなキーワードが21世紀以降、多数現れてきた。これらの威勢の良い言説は、技術が社会を変えるという技術決定論を、資本誘導のためにくりかえし煽った20世紀以来の「情報化社会論」の再来だろう(佐藤俊樹2010『社会は情報化の夢を見る』河出文庫)。

モビリティ社会の未来を垣間見せる「スマートシティ」に対するビジネス寄りの意見とコミュニティ寄りの意見─共通するのはその「手応えのなさ」である。そもそも情報テクノロジーは情報を電気・電子・電波として処理・伝達・蓄積し、その多くが物理空間の手触りをもたない。だからこそ、未来を語る言説、あるいはゲームやテーマパークのようなイメージ・体験が、(投資先の)空白を埋めるがごとく、次々に生み出されているのかもしれない。それにしても、このモビリティ社会の「手応え」のなさをどう考えるべきだろうか。

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