【特集:未来のモビリティ社会】
田中 大介:未来のモビリティ社会のどこへ行きたい?──「スマートシティ」の手応えをめぐって
2025/11/05
3.「未来像」の乱反射
このようにモビリティの未来に関するイメージは、多岐にわたっている。未来は、過去・現在を参照しながら、それぞれの人びとのこうあるべき(規範)、こうあってほしい(希望)、こうなるだろう(予測)──いわば「未来像」によって構成されている。人びとは、過去を振り返り、「未来像」をひとつの指針として考え、現在の行為を進めていく。だが、それがそのまま実現するわけではない。そうした規範、希望、予測はさまざまにありうるし、それらが矛盾・対立することもある。実現のためのリソースが不足していることもあれば、思いもよらぬ要因が発生することもある。だから、その都度、「未来像」を修正し、現在の行為を変化させていくことになる。そのため、結果として現れる未来がどのようなものになるかは不確定である。とはいえ、未来は、完全に自由で、予測不可能な偶発的な開放系であるわけではない。人口推移、自然環境、経済変動、政治状況、技術進化などを予測に入れつつ、望ましい社会変容をどのように構想し、実現するのか。多様なアクターの規範・希望・予測、そして複雑な変数がからまりあいながら、ある程度の幅に収まる、実現可能な未来へと前進する。
たとえば、社会学者のジョン・アーリは、このような未来を「複雑系」としてとらえ、都市とモビリティの未来を4つのシナリオとして検討している(吉原直樹・高橋雅也・大塚彩美訳2016=2019『〈未来像〉の未来』作品社)。
1つ目は「高速移動都市」である。この未来ではドローンによる貨物輸送、超高層ビルのエレベーター、自動運転、空中車両などによって、水平・垂直に高速移動が急激に広がるとされる。
2つ目は「デジタル都市」である。これはスマートシティとも言い換えられている。リアルタイムで遠隔コミュニケーションが行われ、スクリーンが遍在し、大量のセンサーによりビッグデータが構成された都市である。一方で、このような未来では、人びとはどこに住まなくてもよくなり、「反都市化」がおこるかもしれない。そして、多くの人びとは都市に「住む」というよりも、デジタル化された都市に停泊地として「訪問」するようになる、という。
3つ目は「住みやすい都市」である。電子・電気的に統合された小型化した乗り物(自転車、バス、その他)やシェアリングシステムなどの普及により、居住と仕事が混在した近隣生活やスローな移動が広がる。モータリゼーションへの反省から、カーフリーの都市が実現し、スプロールした都市をダウンサイズした、「ポスト郊外」の近隣生活が生み出されるという。具体的にはICTを活用して複数の交通手段を組み合わせて検索・予約・決済できるサービスであるMaaS(Mobility as a Service)の広がりを挙げることができる。発祥の地フィンランドのヘルシンキでは、マイカー利用が減り、公共交通利用が増えているという。ほかにも、現在さまざまな都市で広がる「ウォーカブルシティ」や「サイクリングシティ」といったいわば「反モータリゼーション」ともいえる多様な試みもここに含まれる。
4つ目は「要塞都市」である。富裕層やエリートたちが「飛び地」のような要塞化した都市を形作るというものである。アーリが念頭においているのは、アメリカなどの高度なセキュリティ化が進んだゲーテッド・コミュニティだろう。要塞都市の外側には、貧困者が排除され、治安が悪化し、動物たちが跋扈するような野生のゾーンが広がる。廃棄物や二酸化炭素もまた貧しい地域へと押し付けられている。そうした危険地帯を避け、要塞都市を守るために私的な警備・軍事産業も組織され、乏しい資源をめぐる新しい戦争や衝突が頻発する「新しい中世」となる、とされる。
アーリによれば、1つ目は、高速化をすべて実現できる低炭素のエネルギー転換の実現に疑問符がつけられている。2つ目のデジタル化は進むだろうが、デジタル企業による独占が働くとされる。また、3つ目は気候変動による破局が高度の炭素排出によって引き起こされたことが明確化され、またグローバルな景気後退時に展開するだろう、という。そして、もっともありそうな未来は4つ目の要塞都市で、すでに現実のものとして存在している、とする。
2025年11月号
【特集:未来のモビリティ社会】
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