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【特集:未来のモビリティ社会】
鈴木 均:自動車産業の興亡から見る未来のモビリティのゆくえ

2025/11/05

  • 鈴木 均(すずき ひとし)

    国際文化会館地経学研究所主任研究員・塾員

100年前の自動車

自動車産業は「100年に一度の変革期」。

この言葉は2018年7月にトヨタ東富士工場の閉鎖が発表された年に、豊田章男(当時社長)が『アニュアルレポート』の冒頭に記したものだ。センチュリーやジャパン・タクシーなどトヨタの最高峰を作る工場とは異なる最高峰への転換を宣言したのが、静岡県裾野市の用地を使ったウーブン・シティ構想だ。本年9月25日に開業したばかりのウーブン・シティを豊田会長は「ヒト中心の街、実証実験の街、未完成の街」としている。

100年前は、どのような時代だったか。自動車に関していえば、クルマが庶民の生活に不可欠なツールとなり、国家の経済・産業の根幹を変えた。そして自動車産業を取り巻く環境は、国境を超えたヒトの往来が現在よりも自由、活発であり、移民の流入によって米国が大国となり、帝国が軍事力と経済力を競い合う、世界大戦の時代だった。

1908年に米国で登場したT型フォードは、初めて大量生産された自動車として世界史に名を刻み、1927年に生産を終えた。この変化は、4つの意味で重要だった。多くの労働者が(外国も含む)農村から都市部の工場に流入し、豊かになった。遠距離移動や大量輸送が庶民のものになり、蒸気機関や電池性能の低い電動車は退場した。一度もモデルチェンジせず陳腐化したT型の退場により、クルマは個性やステータスを魅せるための文化コンテンツに育ち、欧州各国が競って追った。自動車産業の強弱が、国家による戦争の勝敗を決する存在に成長した。人口構成や文化の変化、輸送(動力)の革新、国際秩序の変化が、全て同時に起きた時代だった。

「100年に一度」の変化を考える

これら「100年に一度」の変化は、今どのように描かれるか。

顕著な共通点は、①動力革命だ。ガソリン車が量産されはじめたさらに100年前は、欧米で蒸気機関が効率化して海運と鉄道輸送が飛躍的に発展した。モーターと電池の仕組みも発見された。電動車(EV)が現在、特に中国市場で伸びる中で米欧メーカーが苦戦するのは歴史の皮肉であり、帝国に植民地化された国の逆襲ともいえる。

中国も乗り出す水素技術は、1960年代に米英で軍事・宇宙技術として発展し、今はEV用の発電や内燃エンジンの燃料として脚光を浴びる。水しか排出しない水素は宇宙空間に適した技術であり、100年前にはなかった「脱炭素」という旗印によって舞台中央に出てきた。環境規制の厳しい欧州連合(EU)や米カリフォルニア州が生み出した国際規範の側面、市場での競争やニーズよりも国家・政府主導の側面があり、100年前と異なる。

次に、②ライフスタイル、文化については、100年前と同等以上の変化が訪れている。

スマートフォンの世界的普及、5Gなど通信の発達と人工知能(AI)の劇的な進化は、サブスクなどクルマの機能、使い方、求められる利便性の定義を変えてきている。アプリやソフトウエアの投入と同時に、半導体の劇的な計算能力向上と小型化、省電力化など、ハード面の進化が同時に織りなす変化であり、ハード、ソフト両方を自国内に確保しないと劣後する競争である。

2009年に米国を抜き世界最大の自動車市場となった中国では今、BYDやNIO、シャオミなど自国ブランドのEVを求める若者(Z世代)が増え、ベンツやポルシェなど伝統ブランドの売上が低迷する。Z世代が求めるシームレスなデジタル生活体験、いかに(半)自動運転のクルマと車内体験、買い物や移動を含めた実生活をスマホで高度に連動させるかで販売実績が決する。米バイデン政権、トランプ政権が共に半導体・製造装置の対中輸出規制を厳格化しても、どこ吹く風だ。

100年前と最も対照的な側面が、③ヒトの移動である。

米トランプ政権は「米国に製造業を取り戻す」と気勢を上げながら、働き手を減ずる施策にまい進する。現代自動車とLGの合弁バッテリー工場の建設現場で移民労働者の大量「摘発」を当局が行ったばかりだ。中国も反スパイ法によって流入を減じる反面、海外進出した自国企業の現場に自国労働者を大量に送り込み、タイでは「ゼロ・バーツ工場」と問題視される。

米中ともに、規模の経済を後押しするヒトの移動を後退させ、100年前よりも逆行する。これは文化の伝播力、ソフト・パワーの後退ともいえ、移動の鈍化は、自動車の進化を鈍化させる。国産車の開発に燃えた明治・大正の偉人たちは、米国視察や北米勤務の帰国組が多かった。実体験ではないSNS視聴では、モノの良さや体験、肌感覚が充分に伝わらない。中国トレンドの中で、スマホと連動した車内カラオケなど文化面はガラパゴスに終わろう。だが電池技術など、文化コンテンツやモノ、ヒトを運び、伝える技術面の要素は、国境を超えてこよう。電池に必要な重要鉱物の採掘と精錬は世界中が中国に重く依存しており、電池技術の開発とともに、地経学的な競争が激化しよう。

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