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【特集:未来のモビリティ社会】
鈴木 均:自動車産業の興亡から見る未来のモビリティのゆくえ

2025/11/05

自動車の地経学

最後に、④国際秩序、自動車の地経学としての側面はどうか。

2001年に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟し、グローバル自由貿易の時代に入ったかに見えた。しかし現在は「西側諸国」対「中露」、そしてどちらにも付きたくない途上国という、3つ巴の構図で膠着している。植民地支配や奴隷制度がないとはいえ、ルール順守が後景に退いた大国(帝国)間競争の時代に戻った。高関税が課され保護主義が台頭し、グローバルに最適化された自動車生産のサプライチェーンは、コスト高な地産地消に後退せざるをえない。

トランプ政権1期目は国際ルールを守らないことが問題だったが、2期目は、過去に自分が結んだ国際約束すら守らないと揶揄される。同盟国・同志国に厳しく、仮想敵国の指導者に弱腰だ。「ルールなき世界」の中で、日本は信頼、つまり「きちんとルール・約束を守る信頼できるパートナー」、頼れる伴走者であることが「求められるキャラ」だったし、この時代だからこそ、一層期待されよう。日本車しかり、日本企業しかり、国家政府も日本人もしかりである。

モビリティ受難の時代、日本の立ち位置は決して安泰ではない。

国境など様々な境界線を自由にヒトが行き来することが妨げられると、モビリティ市場の需要は盛り下がる。筆者は東京大学先端科学技術センターの理系研究者と共に国際航空のネットワーク分析に取り組んでいるが、世界における米国の中心性と強さと、米欧の強固な結びつきが見えてくる。米欧は同盟を形成する北大西洋条約機構(NATO)と類似の網目状に密につながっており、首都同士のみならず地方同士もつながり、1つの航路が有事によって切れても、短距離の迂回ルートによってつながりが切れない強靭性を有する。

対して日中韓やインドなどアジア太平洋諸国は、米国の主要空港と少数がつながるだけで、米国との同盟の構造と同様に「ハブ・アンド・スポーク」状に過ぎない。有事の際に航路が切れると、迂回ルートは遠距離となってつながりの回復が遅く、1つの便の貨物積載も多い傾向があり、脆弱性を抱える。

世界の航空交通のハブである米国のネットワークは、米国企業の世界的なモノ、おカネの流れの反映であると同時に、米国への移民、移民親族の母国との往復など、米国が移民の流入によって大国になった「強さ」そのものだ。だが米国は今、強さを掘り崩す政策にまい進している。イーロン・マスクやAI関係の中国人、インド人エンジニアなど、移民が米国のイノベーションの先頭を走ってきた。モビリティ受難の「分断時代」に地経学的な難題も重なる時代を生き抜くための次の一手は、何か。

「日本車」の未来は

1つのヒントは、冒頭で紹介したウーブン・シティではないだろうか。

筆者の私見だが、ウーブン・シティは「マイカーとしてのトヨタ車」がない世界を自らの手で意図的に作り出すことで、「つながる、自動化、シェア・サービス、電動化(CASE)」以降の世界を見通すことを目指しているのではないか。

日本車が走っていないのは北極と南極くらいしかないほど、日本車は世界各地で信頼され流通してきた。クルマの開発、生産、販売、アフターケア、全てにおいて最善を尽くしてきた上で、攻略できていない「未来」にトヨタがいま乗り出した意味は何か。クルマが家電のようにコモディティ化すると、個性や精度を今ほどに求められなくなり、自動車メーカーはGAFAMなどの下請けの立場に落ちると言われる。トヨタは、そうした世界を先に作り、自らの役割と「居場所」を探しているように見える。

下手をすれば、100年に一度の「途方もない無駄遣い」になりかねない。未来予想は、仮想世界でもシミュレーションできる。答えは、文系にも理系にも通ずる研究の奥義にありそうだ。ヒトは、予期せぬエラーを起こす。偶然の出会いや、化学反応が起きる。仮想世界では、このような「事件・事故」は起きない。「マイカーとしてのトヨタ車がない社会」での模索は、普段はクルマづくりに直接関わっていない「仲間たち」こそ主役であろう。理系の技術開発であると同時に、文化や伝統、何気ない日常も含めた文系要素も加わる、文理融合の最先端と解釈できる。これはウーブン以外の場所、組織でも日々実践できるし、日本の次の一手を占うことになりそうだ。

豊田大輔氏はウーブン・シティについて合気道を引きつつ、「型をどう打破するかが、これからトヨタが取り組むチャレンジ」とForbes誌に語る。『アニュアルレポート2018』で豊田章男氏も、「前例踏襲ではなくスピードと前例無視」、「根回しではなく「この指とまれ」」とし、このように結んでいる。

「愛車」と呼ばれるように、クルマには愛が付きます。自動車会社出身であるトヨタのモビリティには、必ず愛が付くことにこだわっていきたい。

最先端のテーマが「愛」とは、ナイーブだろうか。豊田章男氏は社長としてかつて「いいクルマを作ろう」と鼓舞した。米国ではリコール問題という「手荒な就任歓迎」を受けるも、数値目標など数年で見通せる程度の指標ではなく、20年後も通用し続ける軸を打ち出した。トヨタに限らず、文系・理系の区別なく、皆がハッピーであるための大喜利に、私たちはどのように答えるか。クルマやオートバイがEVや自動運転になってもワクワクしたいし、運転できず歩くことが困難になっても、私をおぶって買い物に連れて行ってくれるロボは「日本車」であってほしい。筆者のささやかな答えだ。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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