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【特集:未来のモビリティ社会】
座談会:自動運転は社会をどう変えるのか

2025/11/05

「目的」と「手段」の明確化

大前 いろいろな切り口がたくさん出てきました。

まずは難易度のようなところで、先ほど加藤さんからお話がありましたが、トラック、経路を走るバス、どこでも走るタクシー、ドライバーが勝手にどこでも走る乗用車、といったレベルがある。

また、地方と都会で言えば、地方が儲からないことは目に見えていますし、都会は何とかなるのかなとも思いますが、一方で外資に飲み込まれそうだという危惧もありますね。そういったあたりも踏まえて、五百木さん、いかがでしょうか。

五百木 私は今、慶應のシステムデザイン・マネジメント研究科(SDM)という、働きながら通う社会人の比率が高い大学院で教員をしています。ここでは、単一の専門分野を深めるのではなく、複数の分野を横断して総合的な課題解決ができる人材を生み出すことを意識しています。私たちは「横串の専門性」と呼んでいます。

私は、システムズエンジニアリングという、対象をシステムだと捉えて設計するための体系的なやり方を講義で教えています。もう1つ、前例に捉われずにイノベーティブに考えるにはどうすればいいかということを教えています。社会人は経験が豊富になってくると、前例や自分の経験を重要視してしまい、それを打ち捨てて新しいことを考えることが難しくなってくるという傾向がありますので。

私がSDMの講義の中で言っていることの1つが、「目的」と「手段」を取り違えないようにということです。目的と手段がいつのまにか入れ替わってしまって訳がわからなくなるということがしばしば起こります。そして目的を決めると通常は複数の手段が存在します。この場合に手段が1つしかないと思い込んで進めてしまうと、わざわざ解きにくい解き方で具体化を進めるようになる。これを回避するため、何かをデザインする時は、いつも上位の目的は何か、それを実現する手段に他の選択肢はないのかということを学生に考えてもらっています。

実は自動運転の周辺については、大前さんが委員長を務めておられる政府の委員会に入ってから直接知るようになった程度で、皆さんと比べるとこの分野の経験年数は長くありません。

自動運転を追求することは社会にとって絶対に必要だという確信は、もちろん私にもあります。その一方で、自動運転を手段の1つだと位置付けた時、それはどんな世の中をつくって誰にどんな価値を提供するためなのかという目的は、様々な選択肢があるのだろうと思っています。そのように考えると自動運転を「誰に」「どのように」「どこまで」提供するのかという議論が出てくるのだと思います。

私は当事者ではないので、少し外側から見た時、自動化を追求することで世の中はどう変わるのか、という目的の設定に関心があります。

社会の中で自動運転技術がどれほど必要なのかが、まだまだきちんと世の中に伝わっていない側面があるような気がします。人手不足なので自動運転が不可欠なのだというロジックの少し外側には、もっと重要な、社会を変える目的があるに違いないのに、そこが一般の人には伝わっていないのではないかということです。それをいつも考えているのですが、なかなか答えに辿り着いてはいません。今日は当事者の皆さまに、そのあたりのお考えを聞かせていただければと思っています。

自動運転の普及への道筋

大前 おっしゃったことは非常に重要なことですね。確かに今、自動運転にはいろいろな側面があり、本当にいろいろな手段があります。昔はもう少し自動運転も単純で、例えば軍事的なニーズでは、なるべく兵員が死なないようにしましょうということから、無人化みたいな話もありました。

または人間の運転では、一車線あたり2000台/時間ぐらいしか走行させられないので、隊列を組んで車間距離を詰めて走れば、3倍ぐらい交通容量を増やせるというような話もありました。しかし、最近は人手不足とか地域交通を救うといった目的も出てきて、様々な目的が錯綜し、何のための自動運転なのかわからなくなっている面があるかもしれません。

特に地方では自動運転でお年寄りを病院に連れていく、みたいな考え方もありますが、遠隔医療でそもそも病院に行かないでも診療を受けられるようにするという話もある。地域の課題を解決するにしても、自動運転ではないアプローチもあるので、何が最適なのかは、本当に難しいとも思います。

実証実験などをやっていても、なかなかそこから普及に弾みがつかないということもありますね。サーカス巡業団があちこちにバスを走らせて終わり、みたいな感じになっているようにも見えます。都会の儲かる地域であれば、ウェイモのロボタクみたいなものでもペイする可能性があると思うのですが、地方の少子高齢化が進んでいるところなどの公共交通に代わる自動運転の成功例はあるのでしょうか。

加藤 黎明期ですから単体ではまだ難しいと思っています。持続的に運用可能なビジネスとして成立させて、市民がその恩恵を享受している場所はまだないんじゃないでしょうか。

イノベーションの理論で言えば、最初のイノベーターが数パーセントでアーリーアダプターが約15パーセント。このアーリーアダプターを超えていくと、ようやく経済が回っていくことになる。今、自動運転は世界中のどの地域、どの業種でも15パーセントに達していない。だから補助が必要になるのですが、おそらくアーリーアダプターを超えて普及期に入る絵を描けている人が少ないので、補助をしようと考える人が少ないのだと思います。

そのため先細りになってしまう。これは都市のモビリティだけではなくて、工場内の搬送や高速道路など、多くのことに言える事柄だと思います。

青柳 私が2年ほど前にnewmoの起業を決意したのは、地方の公共交通がかなり弱ってきているという現状を見たからです。

タクシー事業者をやっているとわかるのですが、「公共交通が足りない」と言っても、東京や大阪は事業者が乗務員さんの給与をちゃんと上げながら頑張っている。東京では1人大体、年収600万円とか、大阪でも1人450万円ぐらい、タクシーの運転手になると稼げると言われ、ちゃんと生活が成り立つ仕事になっています。

ただ、同じタクシー業界を見ても、タクシー乗務員がコロナ禍から戻っている地域と、全く戻っていない地域に完全に分かれてしまっています。

自動運転普及の順番としては、実証から社会実装をしやすいのは人口密度もあり経済的な需要もある都市部からかもしれないですが、どうやってその道筋をつくるかということは存在意義とともに問われると思います。

今年ゴールドマンサックスが中国のロボタクシーについてのレポートを書いています。それを読むと、現時点では、北京や上海、広州など、中国で言うティアワンシティーでようやく事業として成り立つかという感じです。今はまだ人が遠隔監視をして、限られた台数で、かつ状況によってはセーフティードライバーと呼ばれる方々が乗る形で運行されている。

これだとなかなか経済性が合わないのですが、今後の予測では、2020年代後半にはティアワンシティーではおそらく事業が成立するようになる。さらにその先の2030年代の予測では、自動運転の車両の価格やセーフティードライバーの要否、遠隔の監視の効率性などが変わってくると、中国のティアツーシティーと呼ばれる都市でも成り立つようになるとのことです。

中国は公共交通サービスの値段が3ドルくらいと日本よりも安いのですが、それでも成り立つのではないかと。私は今後10年単位で見れば、日本もその道筋を辿れると思っています。

日本で高齢化の問題が深刻になるのは2030年代と言われており、全国で本当に公共交通の担い手がいなくなる。中国の例のように、最初はおそらく経済性が成り立たないと思いますが、ハードルを順番に越えていけば、もうタクシーもライドシェアも難しいという地域に、自動運転車を導入する体制をつくることができるようになるのかと思っています。今まで暗闇だったところに少しずつ道が見え始めてきたのかなと感じています。

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