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【特集:英語教育を考える】
座談会:AI時代こそ大切になる"ことば"の学びとは

2025/05/08

「読み書き」vs.「聞く話す」

原田 なかなか面白い議論ですが、「読み書き」と「聞く話す」の教育どちらかを優先させるのかという議論も英語教育でよく話が出ます。このあたりはどうでしょうか。

山本 「読み書き」というのは教えやすく、特に「読み」は評価もしやすいので、量をさばくという意味でも比較的容易な「読み書き」過多になってしまう部分はあるのかと思います。

ただし、生徒が身に付けたい力は「聞く話す」力であることが多く、「読み書き」の力を軽視しているところがあり、常に葛藤があります。

ニューヨーク学院が恵まれているのは、日本語(国語)と日本史以外の授業はすべて英語で行っているので、英語での「読み書き」や「聞く話す」教育が、横ぐしで、他教科でできるという部分です。この環境をフルに生かせる生徒は英語力が伸びています。それを日本の学校でどこまでできるかは全く別の問題だと思いますが。

阿部 おっしゃる通り、われわれが今考えなければいけないのは、日本語を第1言語とする人が、日本に住んでいてどう英語を学ぶかということです。つまり、英語圏に住んで、英語ですべての授業を受けつつ、英語について学ぶというのは、要するに英語環境で育つアメリカ人と一緒です。

では、文部科学省の方針に従う日本の学校はと言うと、例の悪名高い「英語の授業は英語でやりましょう」という縛りがありますが、これはニューヨーク校で英語の授業を英語でやるのとは全然違います。日本では学校の先生も英語で話すことに慣れていない場合が多く、生徒も「先生の英語こそわからん」となったりする。そんな状況で行う英語の授業に、どれほど意味があるのか。

他方で、最近心配しているのが、日本の中高校生の知的レベルは高く、日本語であればかなり程度の高いものが読めるのに、英語のコミュニケーションの教科書の内容が極めて貧弱で、生徒が途端に興味をなくすことです。

会話の授業になると、どうしても内容が薄くなるのが残念です。オーラルを実践的にやろうという試みを全否定するつもりはありませんが、もう少し生徒の知性を上手く刺激するような形で英語と出会わせてあげたい。そうすれば、英語で何かを読もうとか、英語を勉強しながら世界と出会っていこうという気がより強く起きるでしょう。これはオーラル中心でもできると思います。

また、日本語で育った子どもたちが英語と出会った時、多少、「わからない」という体験をすることは意外と大事なことだと思うんですね。

つまり、外国語というものはわからないものであるという体験を、ある程度はしてほしい。「理解するのではなく慣れていく」という方法が今は主流かもしれませんが、わからないものを「なんでこんなふうに言うんだろう」とか、「どういう仕組みでこういう言い方や考え方が可能なんだろう」と考えることも大切です。そうした視点が今、失われつつあるのではないか。

山本 今、おっしゃったことは全くその通りだと思います。私の娘たちは現地校に通っていますが、最初はほとんど何もわからず荒波に揉まれていました。

日本の英語教育を見ていると、プールの中で泳いでいるような感じがします。しかし、実際に言語を学ぶというのは、海に出て裸で泳ぐような感じに近いと思います。だから最初はつらいですし、言葉を学ぶというのはすごく時間のかかる作業ですが、そのほうがダイナミックで面白いことにも出会うし、知的好奇心も増すので、より続くのかなとも思います。

瀧野 私も大学で教えていて、すべての単語を調べて細部まで理解しないと、聞いたこと、読んだことにならないという感覚を持っている学生が多いのに驚きます。細部まで理解することは重要ですが、わからない部分がある中で大筋を理解する力も重要です。

どんなに英語が上手くなっても聞き取れない部分はあるし、わからない部分もある。その中で、こういう意味だろうか、と模索していくことが外国語では不可欠だと、学生に感じてほしいです。今おっしゃったように、守られた環境の中の学びに加え、わからないこともある中で試行錯誤をしながら英語力を伸ばしていく学び方ももっと取り入れていいと、私も思います。

異文化間コミュニケーションという視点

原田 今までの議論を聞いてコミサロフさんはどう思われますか?

コミサロフ 英語教育において「読み書き」と「聞く話す」を2つの別々のアプローチとして議論されることも多いのですが、私は「読む」「書く」「話す」「聞く」の4つのスキルのすべてにアプローチすることも重要だと考えています。

私が慶應で行っている授業では、授業で扱うトピックについて事前に学生に読んできてもらいます。学生はテキストに取り組み、そのトピックに関連する自分の考えを短いエッセイにして書かなければなりません。これにより、学生は読み書きのスキルを練習することができます。この方法で、学生は授業で出てくる語彙の一部に慣れ、議論するアイデアについて自分の意見を述べる機会を得ます。

そして、授業では、スピーキングの練習、ミニ講義、小グループやクラス全体でのディスカッションをよく行います。これらは、学生が話す力と聞く力を伸ばすのに役立ちます。時には、フォローアップとして、授業の後に同じトピックについてさらにライティングの練習をして、その問題についての考えを発展させます。

また、英語教育では、学生の異文化理解を深めることを助けることが重要です。これを説明するには、まず異文化間コミュニケーションとは何かを定義する必要があります。

例えば、私の友人の息子は4年間大学で異文化間コミュニケーションを専攻していました。その4年間、彼は主にフランス語、フランスの歴史、フランスに関する芸術や有名なランドマークなどについて学びました。しかしもし、彼が学んだのが歴史や芸術だけだとすると、それだけでフランス人と効果的なコミュニケーションをするには足りないかもしれません。

異文化間コミュニケーションにおいて非常に重要な区別は、五感ですぐに知覚できる文化と、五感では知覚できない目に見えない抽象的な文化の違いです。

前者のタイプの文化は、例えば食べ物や音楽です。食べ物の違いはすぐに味わえますし、音楽の違いはすぐに聞き取ることができます。

しかし、五感ですぐに知覚できない目に見えない文化の側面もたくさんあります。例えば「価値観」や「常識」は味わえませんし、触ることも聞くこともできません。文化背景が異なる人々と上手くコミュニケーションをとるためには、文化のこうした目に見えない側面を理解することが非常に重要です。

これは、日本の英語教育でもっと認識され、教えられてほしいと思う分野です。なぜなら、簡単には認識できない文化の目に見えない側面は、通常、異文化間コミュニケーションにおいて最も誤解を招く原因となるからです。人々はそこに違いがあることにすら気付いていないことが多いです。

もう1つの非常に重要な区別は、文化一般の知識と文化特有の知識です。例えば、フランスの1つの文化について学ぶことは素晴らしいことですが、それだけでは様々な文化を持つ人々を理解するための枠組みは得られません。

文化を超えてコミュニケーションスタイルをより広く見ることもできます。つまり、1つの文化を超えて様々なタイプのコミュニケーションスタイルを説明する概念があります。日本の教育では、そこで学ぶ特定の文化だけではなく、世界中の人々を理解できるように、文化の目に見えない側面や文化の一般的な枠組みにもっと注意を払うことが重要です。

阿部 今、コミサロフさんが言った2つのカルチャーのうち、教室で教えやすいのは、システムとして完結している世界だと思うんですね。例えばラグビーのルールを英語で理解しましょうとか、医学について理解しましょうというのは机上で完結するので、抽象的であったとしても、意外と教室でやるのに適している。

他方で、五感を使った英語、つまり身体が巻き込まれる英語は、実際にそこに巻き込まれないと学べない。日本の学校でそれをやるのは非常に難しいわけです。いくら人工的に場面を設定してもリアリティーがなく身に付かない。「ディズニーランドでチケットを買いましょう」「レストランの場所を探しましょう」と教室でやっても、モチベーションがわきにくいです。

今は身体英語のほうに重心が行き過ぎていると思います。学校でせっかく学ぶのであれば、抽象的なことを理解する力も鍛えたい。身体英語は別の場でやることも考えていいのかなと思います。

原田 五感で知覚できる文化と、そうではない文化─重要ですね。五感で感じられるはずのものが、擬似的になってしまっていることもありますね。

コミサロフ 具体的な経験から始め、それをより抽象的な概念に結び付けることが重要だと思います。これはコルブの成人学習サイクルのプロセスの1つです。

ディズニーランドを例に挙げましょう。例えば、パリのディズニーランドには日本のようなファストパスシステムがありますが、その仕組みはとても違います。私が行った時は、パリのそのシステムは混乱していて、上手く機能していませんでした。しかし実際のところ、ファストパスの発券機が壊れていても誰も気にしていませんでした。日本では違うでしょうね。

このように、パリと東京のディズニーランドでの具体的な体験を見ることで、学生たちがより深いレベルで遭遇した、文化における抽象的で非常に重要な価値観や常識と結び付けることができるようになるのです。

このように、学生たちの興味に応じて、具体的な体験から始め、より抽象的な違いや概念に結び付け、学生たちが文化の違いについてより一般的な考えを持てるようにします。

抽象的な概念に結び付けられる具体的な経験から始めれば、それらの概念が異文化体験を理解するのにどのように役立つかを学生に考えさせることができ、将来の予期せぬ新しい状況でどのように行動するかについてのスキルを教えることができます。

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