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【特集:英語教育を考える】
秋山 友香:AI時代の英語教育再考──工学系の学生に必要とされる英語力とは

2025/05/08

  • 秋山 友香(あきやま ゆか)

    東京大学工学系研究科国際工学教育推進機構国際教育部門講師

はじめに:転換期を迎えた英語教育

日本の英語教育は今、大きな転換期を迎えている。グローバル化の加速、AI技術の急速な発展、そして国際競争力強化を目指した高等教育機関の方針転換など、様々な要因が複雑に絡み合い、英語教育の在り方そのものを再考すべき時代となった。こうした中、日本の大学においては、国際競争力の向上を目指し、英語を媒介語(授業の内容を伝えるために使われる言語)として各科目を英語で教授する、EMI(English Medium Instruction)が急速に普及しつつある。この潮流は単なる言語教育の枠組みを超えて、大学の国際化戦略と密接に関連しており、教育そのものの方向性に多大な影響を与えている。また、ChatGPTをはじめとする生成AIの顕著な進展は、従来の英語教育の基盤を揺るがしている。例えば、2024年後半からは、GPT-4を搭載したChatGPTが日本語を含む多言語でのリアルタイム対話を実現し、AI自体が外国語学習パートナーとなる可能性も現実味を帯びてきた。

このような急激な変革の時代において、私たち英語教育者は何を教え、何を目指すべきなのか。本稿では、まず東京大学工学系研究科で実施している英語教育の概要について説明する。次に、筆者が直面している工学系研究科(大学院)のEMI化やAIの台頭がライティングセンター運営や英語スピーキングの活動に及ぼす影響について考察する。最後に、AI時代における英語教育の在り方について検討し、工学系の学生に求められる英語力とは何かを探究する。

EMIの光と影──東大工学系研究科の挑戦から

筆者は東京大学工学系研究科にある国際工学教育推進機構の国際教育部門に所属している。この機構は工学系研究科に付随し、主に学部3年生から大学院生の工学系学生を対象に授業やプログラムを展開している。工学の専門性を強調した授業やプログラムの必要性から、工学者としての口頭表現能力を向上させるスピーキングの授業(学部3年生対象)、研究の発信力を高めるためのアカデミックライティングやプレゼンテーションの授業(学部4年・大学院生対象)、他大学の学生と連携して国際共同研究に必要なコミュニケーション能力や問題解決能力を養成する国際連携の授業(全学年対象)、さらにはライティングセンターの運営や国際交流イベントの開催など、多角的に工学系学生の英語学習を支援している。しかし、これらはすべて選択科目もしくは任意参加のプログラムであるため、我々の授業を通して日常的に英語に接している学生は半数にも満たない状況である。

このような状況下において、東京大学工学系研究科では2026年から大学院レベルの授業をほぼ全て英語で開講する方針が決定された。この方針は、学部時代には日本語で工学の基礎を教育する環境を維持しつつ、大学院からは研究活動を主に英語で行うという段階的アプローチを採用している。この決定の背景には、国際的なランキングにおける競争力向上、海外からの優秀な留学生獲得、国際共同研究の推進、そして日本人学生の国際舞台での活躍促進という明確な目標がある。実際、世界大学ランキングでは国際性(留学生の割合や国際共同研究の実績)が重要な評価指標となっており、アジアの主要大学は互いに競い合うようにEMIを拡充している。

しかし、EMIに関する研究では、その否定的側面も多く指摘されている。例えば、教員の英語力による教育の質的低下、学生の理解度の減退、そして議論の表層化などである。Macaroらの研究(2018)によると、非英語圏におけるEMIでは、教員が英語で教えることに不安を感じ、表現力や即応力の低下から授業の質が劣化するケースが多いという。また、学生側も英語での理解に集中するあまり、批判的思考や創造的な課題解決に十分な認知資源を配分できない問題も存在する。他大学ですでにEMIを実施している教員からも「専門的な議論が深まらない」「質問が減少する」といった懸念の声が聞かれる。これらはEMIが単なる言語の置換ではなく、教育の質や効率性に著しい影響を及ぼすことを示唆している。また、言語学的視点からは、EMIが言語的帝国主義(linguistic imperialism)を強化する側面も否定できない。Phillipson(1992)が指摘するように、英語を「世界共通語」として推進することが、言語的・文化的な多様性を犠牲にし、英語圏の価値観や思考様式を無批判に受容することにつながる危険性も存在する。

筆者自身の経験について述べるならば、学部時代は国際基督教大学(ICU)において英語力向上を目的として、半数以上の授業を英語で受講した。修士および博士課程は米国の大学院で修了し、長期にわたり英語による専門教育を受けてきた。しかし現在、日本で日本語の専門書や教科書から同様の内容を学習する機会があると、その理解の容易さと知識の定着度の高さを改めて認識させられる。母語である日本語で基礎的な専門知識を十分に構築した上で英語による発展的な学習へと移行する段階的アプローチで学んでいたら、自身はどのような研究者になっていたのだろうかと内省することもある。

留学生が受講できる科目が増えることは有意義であり、国際ランキング向上のためには必要な施策かもしれない。また、4割以上が留学生であり、多くの研究室の共通語が英語になっている工学系研究科の現状を考慮すると、EMIへの移行は必然的な流れとも言える。しかし、専門科目を第一言語で学習できる日本の環境(パキスタンなど多くの非英語圏ではそれが困難である)という利点を無視してまで、EMIを推進すべきなのだろうか。大学院から新しい分野で研究を始める学生や他大学から東大に進学してくる学生は、日本語での基礎的な専門知識を修得しないまま英語で授業を受講することになるのか。研究室内で指導教員が輪講などを実施し、日本語で論文を読む機会を提供してくれるのか。様々な疑問が生まれる。

すでに方針が決定した以上、私の役割は学生や教員の支援に専念し、EMIの円滑な運営を補助することである。具体的には、アンケートとインタビュー調査を実施し、教員と学生のニーズを把握した後、EMI化を円滑に進展させるためのワークショップや教材を提供していきたいと考えている。EMIの利点を最大化し、否定的側面を最小化する取り組みを通じて、大学の学術活動と発信力を支援していく所存である。

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