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【特集:英語教育を考える】
秋山 友香:AI時代の英語教育再考──工学系の学生に必要とされる英語力とは

2025/05/08

結論──AIでは提供できない価値を付与できる英語教育を目指して

教育現場の動向やここ数年のAI技術の急速な発展を振り返ると、工学系の学生を対象にした英語教育は根本的な再構築を迫られていると考えざるを得ない。口頭コミュニケーションにおいてさえAIが優れた対話者となりつつある時代に、言語自体の学習に興味のない学生にいかに「AIでは提供し得ない価値」を提供すべきか。筆者はこの課題に対し、2つの重要な概念を提案したい。

1つ目は「異文化間コミュニケーション能力(intercultural communicative competence)」である。工学系の学生にとっては、国際的研究チームでの協働、異文化背景を持つ研究者との研究室でのコミュニケーション、国際会議でのプレゼンテーションなど、専門性と異文化理解が交差する場面が数多く存在する。そして、そのような場面では英語が共通語(lingua franca)として使われることが多い。このような場面で知的交流を効果的に進めるためには、相手の文化的背景の理解、多様な価値観への共感、自己と他者の差異を認識する能力が不可欠だ。真の国際的コミュニケーションは言語能力だけでは達成できないのである。

Byram(1997)は異文化間コミュニケーション能力の構成要素として5つの要素を提唱している。

1.態度(attitudes of openness and curiosity):異文化に対する好奇心、判断を保留するなどの態度

2.知識(knowledge):自文化・他文化に関する社会文化的理解

3.解釈・関連付けのスキル(skills of interpreting and relating):異文化の事象を解釈し、自文化と関連付ける能力

4. 発見・やり取りのスキル(skills of discovery and interaction):実際のコミュニケーションの中で新たな文化的知識を獲得し、自身の知識・態度等を使える能力

5.批判的文化意識(critical cultural awareness):文化的事象を批判的に評価する能力

このうち特に「1.態度」「4.発見・やり取りのスキル」「5.批判的文化意識」はAIが容易に代替できない人間固有の能力であると考える。なぜなら、AIには実世界での身体的経験、文化的アイデンティティ、真の感情や倫理的判断等が欠如しているからだ。「態度」は実際の文化的経験から培われる感情的基盤に依存し、「発見・やり取りのスキル」はリアルタイムのコミュニケーションの中で自身の知識・態度を基に即座に反応する力を要し、「批判的文化意識」の発達には多様な価値体系の中で自文化・他文化の慣習を主体的に評価する実経験が必要である。これらの能力の獲得を支援するこそが人間の教員が提供できる価値ではないだろうか。例えば、筆者の教える「Workshop towards Communicating Engineers」というスピーキングの授業では、日本人学生と留学生TAが協働して工学的問題解決に取り組む活動を実施している。多国籍エンジニアチームによる新製品開発のシミュレーションを通じて、コミュニケーションスタイル、意思決定プロセス、時間概念の文化的差異を体験的に学び、リアルタイムのコミュニケーションの中で自文化・他文化の慣習を主体的に評価する力を身につけてもらおうとしている。付け加えるならば、このような活動を行う際には、国民国家と文化・言語体系を単純に同一視する表層的比較やステレオタイプから脱却することが重要である(Akiyama, Y. & Ortega, L. 2024)。本授業では、様々な地域・文化的背景を持つ留学生TAとの対話を通じて、各国・各文化内の多様性にも焦点を当てる活動を取り入れている。このような実践的訓練はAIだけでは提供困難な学習機会であり、AI時代の英語教育においてますます重要性を増すだろう。

2つ目は「相手の心を動かす話し方の獲得」である。内容が不正確であっても、完璧な英語であたかも真実であるかのように自信を持って話すことはAIが得意とすることであるが、そのような表面的自信は必要ではない。むしろ、不完全で流暢さを欠く英語でも積極的にコミュニケーションを試みる姿勢、自己の思考を堂々と表現する態度、そして相手に興味を示し相手と深く繋がりたいと思う心こそが、国際的な環境で成功するために重要であり、AIが簡単に代替できない人間ならではの資質であると考える。特に日本人学生は「完璧な英語でなければ発言すべきでない」「間違えると恥ずかしい」と考える傾向があるが、多くの工学系の学生にとって英語は共通語であり、ネイティブスピーカーを規範とする必要性はない。むしろ、ネイティブ中心主義(native speakerism)を排除し、彼らの「伝える内容、伝える態度」こそが彼らを魅力的たらしめるという意識改革が必要である。つまり、工学系における英語教育の焦点は、文法的正確さや語彙の豊富さから、伝えたい内容を相手にわかりやすく伝えるために心で繋がる「心の交流活動」へとシフトしていくべきではないだろうか。

以上をまとめると、これからの英語教育者の役割は、AIと競合することではなく、AIを効果的に活用しながら、AIにはできない人間ならではの価値を育むことにある。東大工学系研究科のEMI化への取り組みも、ライティングセンターのAI対応も、根本的には同じ目標を持っている。それは、英語という共通語を通して「知の交流」を促進することだ。

慶應義塾の英学塾としての伝統を振り返ると、福澤諭吉が目指したのは単なる英語力の習得ではなく、西洋の知識や思想を取り入れ、日本の発展に活かす「実学」としての英語教育だった。日本の技術発展に伴い、私たちは知識の受け手から発信者へとその役割を拡大してきた。現代の工学者が特に重視しているのはこの発信力であり、グローバル化した世界でそれを実践することが今日の課題となっている。筆者は、こうした考え方に現代的な視点を加えて、工学系学生への英語教育のあり方を再考したい。具体的には「異文化間コミュニケーション能力の育成」そして「心の交流活動の促進」という2つの要素が重要だと考える。これらの要素を取り入れることで、知の交流をAI時代にふさわしい人間ならではの活動へと発展させることができるだろう。そして、英語教育はそのための基盤として機能することになるのである。

(参考文献)

* Akiyama, Y., & Ortega, L. (2024). Coming out,heteronormativity, and possibilities of intercultural learning in a Google Hangouts telecollaboration. International Journal of Bilingual Education and Bilingualism. https://doi.org/10.1080/13670050.2024.2306388

* Macaro, E. (2018). English medium instruction. Oxford University Press.

* Phillipson, R. (1992). Linguistic imperialism. Oxford University Press.

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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