【特集:時事新報と日本のジャーナリズム】
座談会:時事新報から考えるメディアのあるべき姿
2025/04/07
時事新報から学ぶべきもの
都倉 最後に「時事新報の現代的な意味」という点を、皆さんに伺いたいと思います。
對馬 今から15年か20年前に、時事新報をもう1回復刊しようと、産経新聞社内でも慶應義塾内でも考えたことがあります。当時の産経の社長から、「どんなものができるか考えよう」という話があったのですが、どう考えても今の産経の正論路線と、福澤の時代の時事新報との違いが出てこない。
要するに、何か新しいメディアを福澤流に、時事新報流につくってみようと思っても、今我々がつくっている産経新聞と差別化ができない。それだけ我々産経新聞というのは、時事新報の考え方を継承して紙面づくりをしているのかなと自負しています。
「福澤はこうあるべきだと言った」という、その表現の仕方として、要するにやるべきことを全部、時事新報はやってしまったのではないか。我々後継者から見て思いつかないほど、いろいろなメディアをつくったのが時事新報という会社なのだと。それを超えるものを、このSNSの時代に、どういうメディアを後輩たちはつくっていくか非常に楽しみです。
松尾 皆さんのお話を聞いていると、時事新報というものを大阪から眺めると随分違って見えてくるのかなと思いました。
大阪時事新報に、例えば変装潜入取材を得意として「化け込み記者」と呼ばれた下山京子という女性がいたのですが、彼女は女性記者の草分けです。あるいは大正中期に社会部長をやっていた難波英夫という人はほとんど共産主義者で、昭和初期の3・15事件でモスクワまで逃げたという猛者だったり、いろいろな人がいるわけです。
それを福澤精神と言えるかどうかわからないですが、時事新報という器は尋常ならざる多様性というか重層性を持っていて、だから性的にルーズで問題の女と言われた下山京子も、大阪時事だからやれたところがあった。難波英夫が組合の労働争議に肩入れしても、社会正義だと言えば福澤精神だと、いろいろな形で解釈できる。そういう器としての時事新報という側面もあると思います。
強引に現代と結びつけると、恐らくSNSの問題などを考える材料にもなるのではないか。20世紀に入ってマスメディアの社会的責任論が出てきて、それによって表現の自由というのは無制限なものではないのだというメディアの良識みたいなものが出てくる。私も含め、今の新聞記者はそういう中で教育されてきました。
しかし、例えばSNSが猛威をふるったこの前の兵庫県知事選などを見ると、新聞が書かないと、「なぜ書かないのだ」と批判され、「書かない」という良識自体がマイナスになってしまっている。
ここで、もし福澤のような独立不羈のスーパースターがいたら、時事新報という器を駆使してどんなことを書いていただろう、と考えるのは、スーパースターの存在が許容されない現代という時代における1つの思考実験ともなりうるのではないでしょうか。
有山 もともと「新聞」というのはnews の翻訳語ですが、日本は「新聞紙」と「新聞」とが区別できなくなってしまった。私は「新聞はnews なのだから、別に紙に印刷した新聞紙でなくてもいい」と思う。何に載せようがそれはニュースです。
そして新聞社はニュースを生産するわけだから、新聞紙の紙に印刷してニュースを供給しなくてもいい。そういう傾向はもうはっきり出てきた。今まで皆混乱していたけれど、新聞と新聞紙は違うし、新聞社とも違うのだと。ニュースとは何かが逆に見えてくる状況になってきていると思うのですね。
ただ、その時に重要なのは、ではどうやって経営を存立できるのだ、という問題ですよね。今までは購読料、広告料による収入を得ることによってニュースを生産できた。では紙がなくなり、広告もないということになると、非常に厄介な問題で、多分今の新聞の経営者や通信社の幹部が一番困っているのはそういうことですよね。
だから重要なのは、やはり広い意味での言論、報道、ニュースを生産するということと、経営をどう両立するのかという問題だと思うのです。先ほどお話ししたように、日露戦争後に分岐点が1つあった。徳富蘇峰のような人が転向し、『日本』は、自分たちの理念に殉じてしまう。そうではないところを選択したのがやはり時事新報なので、そこを考える上では、やはり時事新報というのは依然として案外現代的な意義があると思います。
時事新報が辿った道は、我々はすでに知ってしまっているわけですが、1つの道を考える上ではやはり重要な材料ではないかと思います。単に過去を、「終わったこと」と見るだけでなく、「埋もれた可能性」というものもあったのではないかと思っています。
SNS時代と「陰弁慶の筆」の戒め
尾高 本誌2014年5月号特集「新聞の現在」の座談会に出させていただいたのですが、日刊新聞の総発行部数(新聞協会調べ)は、当時の4,540万部から10年後、2,660万部になりました。
私が深刻だと思うのは、「新聞」以前に、人々が自分好みのSNSから情報を得るようになり、中立な「ニュース」から離れ、ジャーナリズムの役割が過小評価されている現実です。報道機関による電子版の発行やネットニュースへの配信、人々のSNS拡散というデジタル空間の情報流通構造を支えているのは、依然として、新聞・通信社・放送局という報道機関なのに、そのことが知られずに、オールドメディアと揶揄さえされる。
先ほど、福澤のメディアミックスの話もありましたが、現代の報道機関は、動画配信も含めた電子版やポッドキャストなど、形を変えた活動もしています。その意味で、時事新報を基盤に様々なレベルの人向けに、表現方法も変えながら多層的に出版物を出し事業展開した福澤は、「コミュニケーションデザイン」の重要性を理解していた人ですよね。今後の新聞経営にも、その伝統は受け継がれていくと思います。
最後に、「気品と尊厳」について話します。福澤は時事新報記者に、本人を前にしては言えないことを書く「陰弁慶の筆」を戒めました。これを、時事新報の社説部長であった伊藤正徳が取締役退任後、共同通信の初代理事長、新聞協会の初代理事長になった際、同協会の新聞倫理綱領(旧版)の作成にあたり、「人に関する批評は、その人の面前において直接語りうる限度にとどむべきである」と入れて、引き継ぎました。
このことは、1億総メディア化したSNS社会で匿名の誹謗中傷が溢れる言論空間にいる私たち1人1人の戒めとしなければならない。メディアは、言論と気品について考えてもらう努力をする時期だと思います。
また慶應義塾は昨夏、X Dignityセンターを設立し、読売新聞が支援して、AI時代に「人間の『尊厳』のあり方」について模索する活動が始まっていますよね。ここにも、時事新報の言論・事業の流れを感じます。
都倉 お話の中でも出てきましたが、新聞はどうあるべきなのかということに対して、福澤諭吉が常に自覚的であり、それが時事新報の中でいろいろな試みになり、試行錯誤があって、上手くいった時代もあるし、挫折した時代もある。
これまでも休眠時代に時事新報を復活させようという話が何度も出てきては消えていったのですが、そのたびに「では時事新報の看板を出せる新しいメディアとは何なのだ」ということが問われ、やはりできないな、となったわけです。
そういう意味では、時事新報というのは「抜かれない伝家の宝刀」としてずっとある。時々それを眺めて、どうしたらこれを抜けるかと皆議論し、結局しまってしまうのですが、そのたびに「メディアがどうあるべきなのか」ということを問える、ある意味いい教材として、これからも慶應義塾としても折々に振り返る存在であり続けることで価値が持続する、今後もそういう存在であるのかなと感じました。
今日は長時間にわたり有り難うございました。
(2025年2月24日、三田キャンパスにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2025年4月号
【特集:時事新報と日本のジャーナリズム】
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