【特集:時事新報と日本のジャーナリズム】
小室 正紀:福澤諭吉と時事新報社説──全集非収録社説から考える
2025/04/07
『時事新報』社説の書かれ方
明治15年の『時事新報』創刊以降、福澤諭吉は、この新聞の実質上の社主兼主筆として、そこを舞台に全ての文筆・思想活動を行った。この時期以降に出版された福澤の全ての著作23冊も、最初は『時事新報』の社説として連載され、その後に単行本として刊行されたものである。
しかし、この社説をどのように扱うかについては、大きな問題がある。福澤生前の『時事新報』社説は、およそ5400編という多数にのぼるが、その大部分は署名が無く、福澤が書いたと確証できるものは少ないからである。
ただし、少なくとも明治24、5年頃までは、基本的には福澤の主導の下に、福澤門下の記者たちが協力して、社説が書かれていた。そのことは創刊号で謳われている編集方針や、福澤の下にいた記者の証言、あるいは福澤書簡などから明らかである。その書かれ方は、残っている原稿や福澤書簡から考えて、100パーセント福澤執筆のものもあるが、それ以外に、彼の指導の下で記者が書いたもの、記者が書いたものを福澤が加筆修正したもの、信頼できる記者に任せたものなど、さまざまな形で書かれている。まったく福澤が関与していないと考えられる社説も無いわけではないが、この時期までは、大多数は、福澤自身が書いたものではなくとも、福澤編集部の作品ではある。
『福澤諭吉全集』の『時事新報』社説
このような社説のうち、『福澤諭吉全集』(以下『全集』と略す)には1553編が収録されているが、近年の研究では、これらを通常の意味での福澤著作と考えるべきではないという説が主流となっている*1。この1553編の大部分は、福澤の下にいた記者石河幹明が、晩年に自らの記憶によって福澤著作として選定した社説である*2。しかし、深浅さまざまな度合いで福澤が関与していた膨大な社説の中から、どれを福澤著作と判断するかは、福澤の身近にいた石河であったとしても極めて困難なことであったに違いない。
それゆえに結果としては、石河は、福澤執筆の社説を選んだというよりは、福澤編集部の思想を代表すると彼が考えた社説を選ぶことにならざるを得なかったはずである。そうだとすれば、『全集』に収録されている社説は、福澤が執筆した社説の全集ではなく、福澤編集部による社説の選集だと考えた方がよい。筆者は、これらの社説の選び方は、選集としては良くできているとは思うが、しかし、選集であるかぎり、それは編者の選択眼に影響されざるを得ない。それをもって、福澤の思想はもちろんのこと福澤編集部の思想を研究することは、誤った結論を導く可能性が大きい。
『全集』非収録社説を用いた研究
すでに述べたように明治24、5年頃までは、福澤が編集部を主導していたとすれば、少なくとも、その頃までは、『時事新報』社説を広く全体を通して見れば、そこには福澤の思想が反映されているはずである。ただし、しばしば指摘されているように、これらの社説はその日その時の時代状況の中で社会をいかに導くかを戦術的に考えて、主張や強調点などを右に左に変えている場合がある*3。その違いを超えて、福澤の思想を見出そうとすれば、できるだけ多くの社説に目を通さなければならない。
ましてや、1つの「選集」にしか過ぎない『全集』収録の社説のみによって研究したのでは、どうしても偏りが生まれ、判断を誤る可能性は大きい。この誤りを避けるには、『全集』に収録されていないものも含めて、社説全体にできるだけ広く目を通す以外にない*4。
そこで以下では、『全集』に非収録の社説からわかることについて、2つ事例を紹介しよう。なお、必要に応じて、『全集』所収の社説は(全集)と、また『全集』に収録されてない社説は(非収録)と付記する。
主張の時期と意味合いを誤る―明治15、16年の鉄道論
福澤は、明治12年の『民情一新』や13年の『民間経済録二編』に見るように、『時事新報』創刊以前から、運輸交通の発達、なかでも鉄道の建設が文明を進歩させ、経済の成長を牽引すると考えていた。このため『時事新報』でも、創刊まもない15年5月の「府県債ヲ論ズ」(非収録)では地域の運輸交通の整備のために府県債の発行を許すべきことを主張している。また、同年9月の「鉄道論」(全集)では、鉄道の建設が人智の発達や経済の成長の要であるにもかかわらず、日本では、その効果が認識されず、建設が一向に進まないことを強く嘆いている。
このように、福澤編集部は明治15年から鉄道建設の必要性を訴えているが、ここで大きな問題となるのは、文明の進歩にとって、その建設をどの程度に緊急を要することと考えていたかである。具体的には、内国債(国内発行の国債)や、外債(政府が外国において外貨建で発行する国債)という借金を財源としてでも、緊急に鉄道を建設すべきだと考えていたかどうかという点である。
『全集』によるならば、内国債あるいは外債を発行して鉄道建設を大々的に進めるべきであるという主張は、16年12月の「大に鉄道を敷設するの好時節」が最初である。しかし、非収録社説を見てみると、1年以上早い15年11月の「鉄道敷設」が最初であり、この社説で、政府が1000万円の外債を募集して鉄道建設を行うことを強く勧めている。また、16年4月の「鉄道敷設ノ資金ヲ得ルコト難キニ非ズ」(非収録)では、内国債の発行によっても、政府が鉄道建設を進めるべきことを説いている。
つまり、非収録社説では『全集』よりも1年あまり早く外債による鉄道建設を主張しており、また内国債利用に関する提言も7カ月余り早いのである。そして、この時期の違いは、福澤編集部の思想を考える上で、決して小さなものではない。
その理由は、15年11月と16年12月とでは、「松方デフレ」と呼ばれる不況の深刻度が非常に違うからである。「松方デフレ」は、14年10月に大蔵卿(後の大蔵大臣)に就任した松方正義の経済政策の下で起こった不況だが、15年11月の段階では、不況はまだ兆候の程度である。しかし、16年12月には、非常に深刻な状況になっており、福澤も米国留学中の息子たちへの手紙で「商況不景気」(書簡番号806、818)と繰り返し述べ、また、その深刻さを「非常なる商況」(書簡番号808)と書いている。そのような経済状況の中で外債による鉄道建設を主張することは、公共事業による景気浮揚策としての面もあると考えなければならない*5。実際、後述のように、この後、福澤編集部は繰り返し、景気対策としての鉄道建設を主張している。
しかし、それより1年前の15年11月に外債による鉄道建設を主張することは、景気対策としてではなく、純粋に鉄道建設により文明と経済成長を牽引しようという意図が強い。そして、その牽引は、外債に依ってでも実行しなければならない程に緊急を要することと福澤編集部は、考えていたことになる。鉄道建設をリーディングセクターとして、それにより文明と経済を先導しようという福澤編集部の思想は、非収録社説を見なければわからないことである。
2025年4月号
【特集:時事新報と日本のジャーナリズム】
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小室 正紀(こむろ まさみち)
慶應義塾大学名誉教授