【特集:時事新報と日本のジャーナリズム】
小室 正紀:福澤諭吉と時事新報社説──全集非収録社説から考える
2025/04/07
抜け落ちたキャンペーン:明治18年の不景気対策論
明治18年4月から8月にかけて、日本は未だ松方デフレによる不景気に苦しんでいた。
しかし、『全集』に収録されているこの時期の社説を見ても、その状況は伝わってこない。もちろん、『全集』にも、この時期における経済関係の社説は収録されている。例えば、4月の「富国策」では鉄道建設と貿易振興により富国を目指すべきことを述べ、6月の「支那の貿易望み無きに非ず」では、中国貿易の将来性と重要性について説いている。また、4月末から5月にかけては「西洋の文明開化は銭に在り」「日本は尚未だ銭の国に非ず」「日本をして銭の国たらしむるに法あり」の3編によって、日本人が富を蔑視する旧来の意識を脱さなければならないことを論じている。あるいは、4月には「二大会社の競争」「日本の海運は如何なる可きや」において、郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の過当な競争による共倒れを案じている。
しかし、『全集』に収録されているこのような経済関係の社説からは、当時が深刻な不景気であったことは、全く読み取れない。しかも、この時期に関して『全集』では、そもそも経済関係の社説が少なく、それに比べて多くの日数を割いているのは、東アジアにおける国際情勢についての社説と、「日本婦人論」・「日本婦人論後編」の連載である。
特に、国際情勢に関しては、前年に朝鮮において日本と清国の紛争があり、その事後処理が4月の天津条約で決まっている。また、ロシアの朝鮮半島侵出意欲を警戒して、4月にはイギリスが朝鮮の巨文島を占領し海軍根拠地とした。さらに、フランスのベトナム侵出により清国との間で起きた清仏戦争の講和が、6月の天津条約で取り結ばれている。このように東アジア情勢は極めて緊張しており、『全集』収録の社説では、これらの事件や朝鮮半島の情勢、あるいは日本の海防に関するものが特に目につく。
ところが、非収録社説を見てみると、東アジア国際情勢に関するものと同等か、あるいはそれ以上に不景気の分析と対策についての社説が多い。その最初のものは、4月27日の「此不景気ヲ如何ニセン」である。この社説で、状況は「不景気」などという段階を越えて、「饑渇(きかつ)」の域に達しており、決してなおざりにはすべきでないと主張。これを受け、5月7日の「不景気ノ原因」では、不景気の遠因は、不換紙幣(金銀との交換ができない紙幣)の乱発で経済が混乱したことであり、直接の原因は、それを収めるために紙幣を減少させながら他の対策を取らなかったことだとし、不景気で弱った経済を回復させる処置が必要だと主張している。
この主張を引き継ぐ形で書かれている5月25日の「不景気ノ救治策」と27、28日の「経済自然ノ運行ハ不景気ヲ救フニ足ラズ」は、経済学説の主張としても注目すべきものである。これらの社説では、この不景気から脱することは、市場原理による自然回復に任せたのでは不可能だとしている。当時優勢であった古典派流の経済学では、不景気で物価が下がれば、海外からの需要が生まれ、自然に景気が回復すると考えていた。それに対して、これらの社説では、日本は国内陸上交通が未発達で輸出港へアクセスが悪く、また世界と異なる風俗習慣の下で育まれた生産物も多く、海外からの需要増は、それほど見込めないことを指摘し、市場原理による回復を期待すべきではないと分析している。
それでは、どうすればよいのか。6月17、18日の「不景気救済策」では、不景気の克服には、積極的な財政投資が必要であり、それには数千万円の外債を募り流通通貨を増やすことが効果的であり、その方法として最も健全で後の利益となるのは鉄道建設だと論じている。さらに8月7、8日の「利ノ付ク金ハ遊バセ置クベカラズ」では、政府が中山道鉄道建設のために内国債で集めた2,000万円が、使われずに国庫に入ったままであることが不景気を助長していると批判し、中山道鉄道が難工事で困難ならば、他の鉄道建設に振り替えてでも支出するべきだと主張している。また、同月14、24日の「金融逼迫」でも、政府がひたすら通貨を国庫に蓄積していることが不景気を助長していると再論し、鉄道工事が難しいならば、国庫の資金で流通している内国債を買い戻すべきだとしている。いずれも積極的な財政出動が必要だという主張である。
以上に紹介した社説は、不景気の認識、分析、対策の理論化、対策の具体策という一連の流れで論じられており、『時事新報』の1つのキャンペーンであったといってよい。また、1つのテーマで7編、11日分の社説というのは、決して無視できるボリュウムでもない。しかし、これらの社説は『全集』には一編も取り上げられておらず、このキャンペーン全体が抜け落ちているのである。
『時事新報』社説研究の新段階
紙幅の関係で、2つの事例だけしか紹介できないが、この2つからだけでも、『全集』に収録されている社説だけで福澤編集部の思想を考えた場合には、誤った結論に陥る可能性があることがわかるだろう。『全集』収録の社説は、良くも悪くも選集なのである。選集は便利なものではあるが、少なくとも専門の研究者は、それのみによって結論を得るべきではない。
それでは、どうすればよいか。少なくとも24、5年頃までは、非収録社説も含めてできるだけ広く目を通すべきである。といっても、その時期までだとしても、3000日分を超える膨大な社説であり、なかなか一個人の研究者がこなしうる資料の量ではない。
1つの対処法としては、自分の関心のあるテーマや時期に関しては網羅的に見るという方法があるだろう。農業問題であれ、教育論であれ、外交問題であれ何であってもよい。その問題については非収録社説も全て見るということだ。あるいは、例えば国会開設や日本最初の恐慌があった明治23年という年に関心があれば、それを挟む1年ぐらいの期間の社説を全て読むことにより、その時点において福澤編集部の多様な関心がどのような構成になっていたかがわかるだろう。
もう1つの対処法は、プロジェクト・チームを組んで研究することである。多様なテーマにわたる何千点にものぼる社説を研究することは、優にそのような組織を必要とする課題であることは言うまでもない。
いずれにしても、『全集』に収録されている社説のみにより研究する時代は終わったのである。しかしまだ、非収録社説に目を配った研究はほとんどない*6。その点で、これからの研究者の目の前には巨大な課題があるといってよい。同時に、その巨大な課題は、新たな研究の大きな可能性でもある。しかも、その可能性がひらくものは、単に福澤編集部の思想、福澤諭吉の思想に留まらず、近代日本の重要な一画である。『全集』非収録の『時事新報』社説の研究は、挑戦するに値する課題だと言えるだろう。
〈註〉
*1 例えば、都倉武之「福沢諭吉における執筆名義の一考察─時事新報論説執筆者認定論への批判─」『武蔵野法学』第5・6号(2016年)、平山洋『時事新報社主福沢諭吉 社説起草者判定による論客の真実』法律文化社(2022年)。
*2 晩年の石河による社説選定の努力については、石河明子『祖父幹明と福澤諭吉 水戸っぽの頑固─未亡人、里からの聞き書き─』銀の鈴社(2018年)。
*3 この点につき小泉信三は、「時弊を矯めんと欲するに急な福沢は、一方に曲がっている弓をしばしば反対の方に曲げることを避けなかった」と評している。小泉信三『福沢諭吉』岩波書店(1966年)。
*4 『全集』非収録の『時事新報』社説は、龍溪書舎編『縮刷版時事新報』(第1期)明治前期篇(1986-97年)、で見ることができる。
*5 16年7月に、日本鉄道会社が営業を開始し、12月には1年1割の配当を出せる見込みが立っていた。「大に鉄道を敷設するの好時節」は、同社の好調な経営を踏まえ、採算のとれる事業としても鉄道建設をすすめている。その点でも、採算実績がない中で、文明のために鉄道建設を主張した前年の社説「鉄道敷設」とは論拠が異なる面がある。
*6 前掲、平山洋(2022年)は、取り上げたテーマに関係のある非収録社説にも、関心の範囲内で目を配っている。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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