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【特集:デジタルアーカイブの展望】
座談会:コミュニケーションを豊かにするアーカイブとは

2024/11/05

  • 前沢 克俊(まえざわ かつとし)

    大日本印刷マーケティング本部文化事業ユニットアーカイブ事業開発部

    1982年東京農工大学工学部数理情報工学科卒業。同年大日本印刷株式会社入社CTS事業部配属。2017年~21年東京大学大学院情報学環客員研究員を兼務。現在デジタルアーカイブの新規事業開発に従事。

  • 渡邉 英徳(わたなべ ひでのり)

    東京大学大学院情報学環教授、同メディア・コンテンツ総合研究機構機構長

    1997年東京理科大学理工学部建築学科卒業。2013年筑波大学大学院システム情報工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。2018年より現職。専門は情報デザインとデジタルアーカイブ研究。

  • 安藤 広道(あんどう ひろみち)

    慶應義塾大学文学部民族学考古学専攻教授

    塾員(1987文、89文修)。2004年より現職。専門は日本考古学、博物館学。慶應義塾大学日吉キャンパス一帯の戦争遺跡の研究、『鹿屋・戦争アーカイブマップ』の構築等を行う。

  • 本間 友(ほんま ゆう)

    慶應義塾ミュージアム・コモンズ(KeMCo)専任講師

    塾員(2004文、06文修)。専門はドキュメンテーション、美術史、博物館学。慶應義塾大学アート・センターにて展覧会企画、デジタルアーカイブ構築等を行い、19年より現職。現在、Keio Object Hubを運営。

  • 安形 麻理(司会)(あがた まり)

    慶應義塾大学文学部図書館・情報学専攻教授
    塾員(1999文、2001文修、05文博)。2003年ロンドン大学大学院修士課程修了(書物史)。2019年より現職。専門は書誌学、デジタル・ヒューマニティーズ等。学生時代よりHUMIプロジェクトにかかわる。

デジタルアーカイブとのかかわり

安形 現在、「デジタルアーカイブ」が様々な学術機関や行政、企業でもつくられ、多くの方に利用されています。様々な知の成果を社会に向けて公開していく方法として確立してきたとは思いますが、非常に多様であるゆえに、デジタルアーカイブとはどういうものなのか、わかりにくい面もあるかもしれません。

本日は、デジタルアーカイブにかかわっておられる方にお集まりいただき、現状とその未来についてお話しいただければと思っています。

まず、皆さまそれぞれ様々な機関、立場でデジタルアーカイブにかかわられていると思いますので、その経緯をお話しいただければと思います。

私から言いますと、学部生の時に、慶應に貴重書をデジタル化する「HUMIプロジェクト」が立ち上がりました。慶應がグーテンベルク聖書を購入した1996年に立ち上がったプロジェクトで、そこに98年にアルバイトとして参加しました。当初はフィルムをスキャンし、ブロードバンドも普及していなかった頃でしたから、それをいかに軽い容量で一般向けにオンラインで公開するか、というウェブサイトの構築などを手伝いました。

グーテンベルク聖書は、貴重書として仕舞い込んでおくのではなく、様々な研究の基盤として生かすということで、撮影技法も模索中でした。本を傷めずに、研究用途にも使えるような画像を撮るにはどうしたらいいか、などを学びました。

その後大学院に行き、せっかくならデジタル化された画像を使って研究しようと思いました。慶應には「デジタル書物学」という授業があり、私も『デジタル書物学事始め』という本を書いたのですが、最近は「デジタル・ヒューマニティーズ」と言うほうがわかりやすいかもしれません。

このように現場での裏方の作業から、公開し、それを使って研究するという段階を一通り経験してきました。

本間 私も、きっかけは大学院時代にさかのぼります。当時、イタリア・ルネサンスの美術が専門で、ペーザロという街にある祭壇画の研究に取り組んでいたのですが、少し行き詰まってしまったんです。

日本で学生として研究していると、イタリアに行き、作品を見ることもなかなかできないわけですが、現地イタリアには作品があるだけではなく、充実した美術史の研究所もあって、重要な研究書や膨大な作品写真を利用することができます。そういう環境にいるヨーロッパの研究者と日本にいる自分が競い合うのは、厳しいなと感じてしまったのです。

一方で、いろいろなリソースに遠隔でアクセスできるようになれば、同じ土俵に立つことができるかもしれないとも思いました。そして、自分がイタリア美術研究に対して持つ悩みや思いを、日本美術を海外から研究する人も持っているのではと考えたんです。そこで、そのような人たちの役に立つことをしようという気を急に起こしまして、デジタルアーカイブに関する仕事をアート・センターで始めました。

このような経緯があるので、デジタルアーカイブの仕事をする時には、リソースを自分たちで抱え込まずにいろいろな人に使ってもらい、皆が幸せに、楽しく研究や活動ができるようにしたいという気持ちが根底にあります。

今はミュージアム・コモンズ(KeMCo)で、Keio Object Hubという、義塾の文化財や学術資料をワンストップで検索・利用できるデジタルアーカイブの構築を行っています。アーカイブ資料がどのように様々な人の役に立ち、どのような人に使われているのか、もう少し可視化したいとも思っています。

地元の人々とつくるアーカイブ

渡邉 私は主に地域の方々と連携しながら、デジタルアーカイブと呼ばれる、資料をまとめたコンテンツをつくる仕事をずっとしてきています。

最初に手掛けたのは2011年なのでもう14年経つのですが、広島原爆の実相を世界につたえる「ヒロシマ・アーカイブ」というものです。たくさんの被爆者の方の顔写真が、広島の地図の上に載っています。

ここがかつてはどういう場所だったのかは、地図を切り替えると見ることができます。例えば戦前・戦中に女学校があった場所には今も同じ名前の広島女学院高校があることがわかる。オープンデータになっている戦争当時と現在の地図を重ね合わせると、時間を超えてどんな文脈でつながっているのかがわかるわけです。

集められている資料は、地元の方々、例えば広島女学院高校の生徒たちが、自らの町が受けた被災の様子を記録したいという思いから、被爆者の方に聞き取りをして集めた証言で成り立っています。このように地域の人々とのつながりから生まれてきたコンテンツをマップにまとめる形で14年間ずっと維持されてきました。

同じような取り組みはだんだんバージョンが上がってきています。現在、ウクライナの地元のクリエーターの方々と取り組んでいる「ウクライナ衛星画像マップ」というものがあります。ウクライナ戦争で被害を受けた建物のデータの3Dデータをもとにしています。このプロジェクトも広島と同じようなコンセプトに基づいていますが、扱うデータが2Dの写真や証言から3Dデータになっています。

もう1つ、こちらのほうが知っている方が多いのですが、モノクロ写真をカラー化するというプロジェクト「記憶の解凍」というものも、7、8年やっています。その成果である、庭田杏珠さんと出した『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』という本はかなり読まれています。

最新の試みとして、能登半島地震のあたりから、データの収録がリアルタイム化しています(「能登半島地震フォトグラメトリ・マップ」)。今年の1月3日に公開したマップでは、被災地の状況を3Dデータにした広域の被害の様子がわかりやすく表現されています。国土地理院からデータが出てきて、それを3D化してこのマップにするまでに6時間ほどしかかかっていません。

広島は80年前の資料を収録するデジタルアーカイブだったのが、ウクライナになると数日遅れになり、最近は数時間遅れで立体のデジタルマップをつくって公開できるようになっている。半ばリアルタイムマップになってきているのが現状です。

前沢 私は入社は1982年で、ずっと大日本印刷に勤めてきました。当社には2015年に、アーカイブビジネスプロジェクトというものができました。月尾嘉男先生がデジタルアーカイブという言葉を1996年頃に提唱されてから10年ほど後になりますが、会社の中でもデジタルアーカイブのビジネス体制を再構築いたしました。

その後、2017年から5年間、東京大学の情報学環の客員研究員として主にデジタルアーカイブ学会と、デジタルアーカイブ推進コンソーシアムの2つを立ち上げて社会基盤づくりにかかわりました。

2021年からは長崎県からお声が掛かり、世界遺産に登録された「潜伏キリシタン関連遺産」の情報戦略懇話会委員として、デジタル化〜データベース構築・公開〜利活用〜事業評価・検証に関する施策づくりをお手伝いしました。

いわゆる、デジタルアーカイブの構築と活用に関して印刷会社として携わってきました。デジタルアーカイブという言葉がない、1982年の入社当時から、テキストや画像をデジタル化し、それをデータベース化し、閲覧用の検索ビューアを開発してきました。今から考えるとデジタルアーカイブの要素に最初から携わっていたという感はあります。

安藤 私は考古学と博物館学が専門ということになっているのですが、元来ひねくれ者なので(笑)、あまり学問の枠組みにとらわれないことをモットーにしています。

通常、考古学や博物館におけるデジタルアーカイブというと、資料やその調査・研究成果を効率よく、あるいは利用しやすく公開していくことに問題意識があると思いますが、私は全然違う方向でアプローチしています。

私が注目したいと思っているのは、既存の学問の枠組みや博物館の分類に則って、つまり既存の秩序に基づいて巨大なアーカイブをつくっていくことで生じる拘束性です。そのように効率よく利用しやすい巨大なアーカイブをつくっていくことで見逃されてしまうこと、見えなくなってしまうこと、そうしたところに目を向けているということです。

既存の秩序の枠組みを拡張することでつくり上げられていくアーカイブによって、様々な情報を効率よく入手できるようになれば、われわれの世界の理解はどんどん進んでいくと思います。でもその一方で、見えなくなる世界も同時に広がっているのではないか。こうした問題意識から、むしろ効率が悪く、雑音とか寄り道とか、無関係な情報に溢れたデジタルアーカイブをつくっています。

通常のアーカイブのように、世界を構成する様々な情報をある視点から切り取り、それを分類し体系化し、きれいに目的的な検索ができるようにするのではなく、1つのモノや場所からやたらといろいろな情報、時には無関係とも思える情報にまで広がっていく。そうしたアーカイブがあってもいいのではないか。そんなことを考えながらアーカイブをつくっています。

欠かせない地元の方々の協力

安形 皆さん、異なる分野・領域で様々な立場でいらっしゃるので、いろいろな見方があると思います。

デジタルアーカイブという言葉が言われ始めてから30年ほどが経つわけですが、昨今特に注目を集めているように、昨年4月の改正博物館法では、デジタルアーカイブの作成と公開が博物館の行う事業の1つとして明確に位置付けられています。

「デジタルアーカイブをつくる」といった時、地域の人々と連携してつくるもの、専門家の業績を使ってつくるものなど様々で、それぞれの良さ、あるいは難しさもいろいろあるかと思います。それぞれのお立場から、あるいは他の分野のものを見て、どういうあり方が今後の発展性、持続可能性があるとお感じでしょうか。

渡邉さんは特に地域の人と共同しながらフォトマップをつくることを早くからなさって成果を出されています。本当に素晴らしい取り組みだと思いますが、実際にはいろいろな難しい面もあるだろうと思います。いかがでしょうか。

渡邉 ウクライナのケースは今までとは少し違い、コロナ禍でリモートワークが当たり前の時代に起きた戦争で、オンラインでつながることができたから実現できたものです。

一方、広島や長崎、東日本大震災の時は、現地に協力者がいないと、いくら東京から一緒にやりましょうと言っても動いてくれない。「ヒロシマ・アーカイブ」では、地元の高校の先生方が協力的で、生徒たちの部活の一環として、被爆者の証言収録の活動をやっていきましょうと言ってくださったので動き始めました。

東日本大震災の「忘れない:震災犠牲者の行動記録マップ」の時は、地元の新聞社である岩手日報さんがデータ収集や地元の方へのインタビューを担当され、僕らはマップを最終的にまとめあげるという役割で、上手く組み合わせることができました。

「地元の方々と一緒につくる」というと確かにきれいなストーリーに聞こえるのですが、地元の方々にとっては「あんたたち、誰や」という話でもあります。ですので、地元の人たちと信頼関係をつくれるメンバーや企業などが、そこにいて初めて成り立つものであるという気がします。

能登半島地震の3Dマップは県庁に話をしに行ったのですが、県庁が主体になることは難しいけれど、住民の方々と渡邉先生たちで協力関係をつくってやっていくことは応援します、みたいな感じでした。その後は積極的になり、県庁の職員さんご自身が作成した3Dデータが送られてきたりしています。

安形 例えば地元の方々に説明したり、データの提供を呼びかける時に、自治体が何かをしてくれることもあるのでしょうか。

渡邉 来年1月に石川県立図書館で展示会をやるのですが、それは県の後援という形になりそうです。あくまでも主催は東大という建て付けです。おそらく県が旗を振ると、トップダウンになってしまう。地元の方々がデータをフォトマップで集めていったもの、というコンセプトなので、そのあたりは県のほうがわかっていて、あまり前に出てこないという気がします。

もう1つ言い足すと、おそらくこのデジタルマップにデータが載って表現されるというイメージが、地元の人たちが駆動する原動力になっていると思います。広島の高校生たちにしても石川県の方々にしても、こんなふうに3Dマップに掲載されてあなたのデータが世界に発信されます、と言うと、「ならばやりたい」と思ってくださるんです。このビジュアルイメージと地元の協力者が上手く嚙み合うと走り始める、という感覚は持っています。

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