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【特集:エネルギー安全保障を考える】
座談会:エネルギーから見えてくる国際政治のゆくえ

2024/02/05

  • 竹原 美佳(たけはら みか)

    独立行政法人エネルギー・金属鉱物資源機構(JOGMEC)エネルギー事業本部調査部長

    1991-92年北京大学留学。93年石油公団(現JOGMEC)入団。中国室、企画調査部(中国担当)、石油天然ガス調査部主任研究員等を経て現職。中国のエネルギー、安全保障政策、企業動向等研究に従事。2010年から亜細亜大学大学院非常勤講師。共著に『台頭する国営石油会社』他。

  • 白鳥 潤一郎(しらとり じゅんいちろう)

    放送大学教養学部准教授

    塾員(2006政、13法博)。博士(法学)。北海道大学大学院法学研究科講師、立教大学法学部助教などを経て現職。専門は国際政治学、日本政治外交史、戦後日本のエネルギー資源外交等。著書に『「経済大国」日本の外交──エネルギー資源外交の形成、1967-1974年』。

  • 田中 浩一郎(たなか こういちろう)

    慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授

    1985年東京外国語大学外国語学部ペルシア語学科卒業。88年東京外国語大学大学院アジア第二言語修了。外務省在イラン日本大使館専門調査員等を経て2017年より現職。専門はイランを中心とする西アジア(中東)地域の国際関係とエネルギー安全保障、および平和構築と予防外交。

  • 宮岡 勲(司会)(みやおか いさお)

    慶應義塾大学法学部教授

    塾員(1990政)。1999年オックスフォード大学大学院社会科学研究科博士課程政治学専攻修了。D.Phil. 取得。専門は国際政治理論、安全保障研究。大阪大学大学院国際公共政策研究科准教授等を経て、2012年より現職。著書に『入門講義 安全保障論』他。

エネルギー安全保障とは?

宮岡 本日は「エネルギー安全保障」について、皆様と討議したく機会を設けています。昨今のウクライナ危機、また2023年10月に生じた中東のガザをめぐる問題を機に、日本国内のエネルギーの安定供給についても懸念が高まっているのは確かかと思います。

私は安全保障論を専門としていますが、2022年12月の「国家安全保障戦略」の中でも安全保障という概念が非常に広く捉えられています。引用すると、「本戦略は外交、防衛、経済安全保障、技術、サイバー、海洋、宇宙、情報、政府開発援助(ODA)、エネルギー等の我が国の安全保障に関連する分野の諸政策に戦略的な指針を与えるものである」ということで、エネルギーも含まれています。

「エネルギー安全保障」の定義としては、国際エネルギー機関(IEA)の定義が有名ではないかと思います。「購買可能な価格でエネルギー資源を寸断なく利用できること」というものです。ただ同時に、エネルギー安全保障というのは非常に多様な意味を含む概念であるということも指摘されているかと思います。

最初にご自身の関わりの中でエネルギー安全保障をどのように捉えられているかをお聞きしたいと思います。

白鳥 私の専門は日本外交史ですが、修士課程で第1次石油危機における日本外交の研究を始めたのを機に、エネルギー安全保障についても考え続けています。

大学院に入ったのは2006年です。当時、先輩や周りから、「随分マイナーなテーマだね」と言われました。日本外交史なら、例えば日米安保や沖縄、日中関係のほうが重要で、なぜ資源の話をやるんだと思われていたのです。現在、メディアでエネルギー問題が注目されるのは、今の危機的状況を表しているのだと思います。

その上で、エネルギー安全保障という概念を私がどのように捉えているのかと言えば、厳密性にやや欠けるかもしれませんが、「エネルギーの安価かつ安定的な供給」というところになるでしょうか。

ただ、安価はともかく、安定的な供給の「安定的」という部分を詳しく見ると、実に様々な要素があります。「安定的」ということは、何か危機が起こった時にも継続できるということなので、そうなると供給源だけでなく、供給ルートまでを含めた多様化が必要だという話にもなります。また、特定の国に依存していれば、敏感性も高いだけでなく脆弱性も高くなるという問題が出てくる。

さらに日本は、極端にエネルギー自給率が低いことから、エネルギー安全保障の問題を考える時には、ほぼイコールで国際問題を議論しなければいけない。この点、他の大多数の国で考えられるエネルギー安全保障とは少し異なる文脈が入ってくることは最初に触れておきたいと思います。

竹原 私は20年以上、「エネルギー・金属鉱物資源機構」(JOGMEC)の調査部門におり、専門は中国のエネルギー事情ですが、最近はアジア消費国のエネルギーミックスのあり方やエネルギー安全保障政策に関心を持ち研究しています。中国、台湾、韓国を横並びにして、日本のエネルギー安全保障との比較を試みています。

この11月に台湾に行ったのですが、台湾は2024年1月の総統選挙でエネルギー政策が大きく変わる可能性があると言われています。そういった政策変更リスクがエネルギーにはあり、東アジアでもそれが顕著です。

エネルギー安全保障とは国家としての主体性を失わず、他国などに依存、隷属するのではなく、主体的に必要なエネルギーを合理的に手頃な価格で入手できること、と考えています。それは私が所属するJOGMECという組織の重要なミッションです。

ただ、あまりエネルギー安全保障が深刻に取り沙汰されるのは、いい時代ではないとも思っています。私は相互依存と互恵により平和と安定が担保されるという考えを信奉していたので、ショックを受けているのですが、ロシアへの石油・ガスの依存を深めてきた欧州がウクライナ危機で、特にガス調達で大きく翻弄され、世界はエネルギー安全保障というものの重要性を再認識したと捉えています。

田中 私自身、地域研究から入り、その地域が中東であるがゆえに、エネルギーとは切っても切れない。そういう仕事柄の必要性からこの分野に身を染めた形になります。

エネルギー安全保障をどう捉えるかは、白鳥さん、竹原さんが定義されたものと大差はないのですが、中東の研究をしていると、向こうの立場からもエネルギーの世界を見ないといけないという習性が身につきます。

こちらは供給の安定を望むのですが、向こうは需要の安定を望むという側面がある。双方の思惑が一致しないと安定はない。この摂理を理解しないと、エネルギー安全保障は一方的な、日本のような需要国の思い込みに陥りやすいところがあると思います。

1つはやはり、1980年代の半ばから油価が大きく下がったこともあり、石油が戦略物資であるのかコモディティであるのかという議論が出てくるわけです。その後も油価は上下を繰り返していますが、要は、金を積めば手当てできるという理屈が支配的になっていたのだろうと思います。足りないのだから、輸入すればいい。それが日本にとってのエネルギー調達の一番身近な感覚ではないかと思うのです。

ところが、その日常を大きく変える事件がその後起きた。それは日本の3・11でした。東日本大震災における福島第一原発の事故、それに伴う他地域の原発停止を経て、化石燃料への依存が一層日本で高まりました。原発を補うだけのエネルギーの代替が間に合わず、かなりエネルギー需給状態が逼迫するケースが2011年、12年とありました。近年でも東日本管区では電力需給が逼迫する懸念があります。これはエネルギー全体の問題、特に電気エネルギーの話になってくるわけです。

なので、エネルギー安全保障というのは、それほど我々から離れたところにはなかった。ただ、それを電力不足や電気代の高騰と表現したり、その局面ごとにメディア的な表現が変わっていただけで、実際にはこれらは全部、エネルギー安全保障上の問題であったわけです。

中東に話を戻しますと、中東とは長い付き合いがありますが、多くの人にとっては石油かガスといった付き合いでしか認識していないわけです。だけれども、その状況がいつまでも安定的とも思えない。さらに、かつては資源の枯渇が懸案だったわけですが、現状は温室効果ガスの排出削減という課題、そして最終的にはカーボンニュートラルという大目標があるので、中東の国々から見たエネルギー安全保障の意味が従来とは変わってきた。我々の彼らに対しての期待や関わり合い方も、また変わっていくところに差しかかっていると考えています。

エネルギーリテラシーの欠如

宮岡 それぞれご研究されてきたアプローチの違いはあると思うのですが、エネルギー安全保障という概念については、皆さん、それほど考えに相違があるわけではないのかなと感じます。

それでは、まず歴史的な観点も含めて、エネルギー安全保障についてそれぞれのお立場から語っていただければと思います。まず日本を専門にされている白鳥さんお願いします。

白鳥 エネルギーの話は国家運営上も、我々の生活にとっても根幹に当たるもので、安定していれば問題はないが、崩れた瞬間に国家運営のすべてが変わることになります。ところが、エネルギー安全保障というのは危機の時にしか一般には話題にならない。それゆえ、日本ではエネルギーリテラシーが欠けた議論があまりに多いという印象です。

第1次石油危機の頃から、メディアも一般の国民も、ボタンを掛け違えてしまい、それが現在まで尾を引いていると感じています。日本では石油危機というと、なぜかテレビでトイレットペーパーを買う行列が出てくるのですが、これも大きな誤解の元になっている。あの時、日本社会を覆ったのは、石油が入ってこなくなるかもしれないという根本的な恐怖感だったのでしょう。

ただ、果たしてそれが本当の問題だったのかというと、その後、より影響が大きかったのは、量より価格で、原油価格が一気に上がったことが、様々な問題を引き起こしています。それなのに多くの国民、メディアはトイレットペーパー不足になってしまう。この段階からエネルギーリテラシーが理解されないまま来てしまっている。

なぜそうなったのかというと、1つには日本は世界の中で比較的豊かな国だったので、原油価格が上がっても買えたからです。かつ、その当時にはまだ省エネなどの余力もあり、価格メカニズムが働いたことで、石油の需要が減っていった。1990年代にもう1つの山はありますが、それでも原油輸入量のピークは1973年です。

日本政府はエネルギー資源、石油の問題が今後外交問題として重要になってくることを、1960年代の後半から意識していました。

そのきっかけは1967年の第3次中東戦争で、その時、産油国は石油を武器として使う。つまり、イスラエルに近い中東政策を取っている国々に対して禁輸措置を取ろうとするわけですが、これは失敗に終わります。当時はアメリカに石油生産の余力があったので、供給してくれたからです。

しかし、1960年代後半から70年代初頭にかけて急速にアメリカの余剰生産力が失われていく。その結果、産油国と消費国の力関係が変わって、いつか危機はやってくると思われたところ、思った以上に早く来てしまったのが第1次石油危機でした。

宮岡 当時、日本政府はどのような対応をしていたのでしょうか。

白鳥 その時、日本はアラブ諸国寄りに「転換」したとしばしば言われます。実際には1967年の第3次中東戦争後の安保理決議で、基本的にはアラブ諸国寄りの中立政策を取りました。ただし、その時はイスラエルにも配慮した曖昧さを残す形でした。73年には曖昧さを残さず、「明確化」したアラブ諸国寄りの政策を表明したわけです。しかし、このあたりの経緯があまり理解されずに報道が進んでしまいました。

量の問題は、産油国にすり寄ったからといって解決するわけではない。原油価格の危機は、上流と下流の間にある中流の流通部門を押さえているメジャーの再分配の問題などが大きいわけですが、日本国内の報道や一般的なイメージと危機の実態には、かなりズレがありました。実際、アラブ諸国に武器を売っていた西欧諸国でも石油危機は発生しているわけです。

73年12月以降、消費国間協調の取組が再開され、日本は主要国の一員としてそこに参画し、国際エネルギー機関(IEA)に原加盟国として加入することになりました。これはOECDの傘下にIEAを置くという不思議な形でしたが、日本は設立に相当な役割を果たしています。しかし、IEAが設立された時も新聞では経済面の片隅に小さな記事が載るだけでした。

その当時の日本は、石油の輸入量は世界第1位、消費量ではアメリカに次ぐ第2位で、バーゲニングポジションも強かったこともあって、様々な役割を果たす時期でしたが、このように最初から、日本政府がやっていることと日本国内で注目されることのズレがある状況が続き、現在まできているのが問題だと思います。

宮岡 最初からズレがあったと。

白鳥 その後、第2次石油危機の時、政治的に注目を集めたのは、第5回のG7東京サミット(1979年)での原油消費量の削減に関する合意かと思います。G7で協調して原油の中期消費量の削減をする方向に合意する。

国内では懸念の声も多くあったのですが、価格メカニズムが働き、同時に省エネも進み、その年の夏の段階で石油の消費量がかなり減り、年間630万バレル削減というサミットで合意した下限の数字でも問題ないことが明らかになっていきます。結果として、合意した85年に至るまで日本の石油の消費量は減少を続けます。

その次の大きな出来事が、逆石油危機とも言われる1985年から86年にかけての原油価格の急落です。これは結果として、エネルギー安全保障をめぐる問題への関心をさらに遠ざけることになりました。石油は安価かつ安定的に供給されるということが、再び当たり前になってしまったからです。

この状況は、21世紀初頭まで基本的に続きます。そして中国をはじめ新興国の本格的な台頭が見られた2000年代初頭から、エネルギー価格の高価格時代が始まっていった、という流れで見ています。

私の印象では、日本は結果としてはそれなりに整合性のある戦略を、2010年頃までは取れていたように思うのですが、それを本当に狙ってやってきたのかと疑問を感じています。

1つは原発に関してです。ずっと目標が設定されていましたが、それが到達しない状況の中で数字合わせを行ってきました。また、天然ガスは、3・11後、なし崩し的に量が増えていく形になった。さらに、現在、エネルギーシフトに向けた動きが強まることから、今度はそれに数字を合わせるという形で、かなり非現実的な目標値が出てきている。果たしてこれで日本のエネルギー安全保障がやっていけるのだろうかと、強く懸念しています。

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