三田評論ONLINE

【特集:エネルギー安全保障を考える】
稲垣文昭:未だ続く旧ソ連空間再編──資源地政学とエネルギー安全保障の視点から

2024/02/05

  • 稲垣 文昭(いながき ふみあき)

    秋田大学大学院国際資源学研究科教授・塾員

はじめに

ロシアによるウクライナ侵攻が開始されて、早くも2年が過ぎようとしている。この悲劇がどのように終わるかは、残念ながら未だ見えてこない。だが、ロシアによるウクライナへの侵攻は、突如起きたものではなく2014年のロシアによるクリミア侵攻から連続した失地回復運動といえよう。また、ウクライナとロシアは、それ以前から天然ガスの供給を巡り対立してきた。ただし、旧ソ連圏における天然ガス供給などエネルギー供給をめぐる対立は、ロシアとウクライナの2カ国間だけに見られるものではなく他にも散見される事例であり、ロシアの失地回復的な動きと合わせて旧ソ連空間の秩序再編がソ連解体(1991年末)から終わりなく続いていることを示している。

地政学とは

ここで、旧ソ連空間の秩序再編について、資源地政学およびエネルギー安全保障の視点から捉えてみたいが、まずは地政学的な視点を簡単に整理したい。

現代地政学の祖と言われるハルフォード・マッキンダーは20世紀初頭に「ハートランド理論」を示し、大陸国家(ランド・パワー)と海洋国家(シー・パワー)間の対立を軸に国際関係を捉えた。マッキンダーが示したハートランドとは、北極圏とそこに注ぐ河川からなるユーラシア大陸の内陸部である。凍てついた北極海の航行は難しく、外洋から河川を遡行して内陸部にアクセスすることはできない。つまり、ハートランドとは外洋へ直接アクセスできない地域であり、外洋を通じて交易を行うシー・パワーと対立するとみなした*1。そして、そのハートランドとは、旧ソ連の領域とほぼ同じであり、ロシア帝国およびその継承国であるソ連はランド・パワーとして、インドやアラビア半島を支配したシー・パワーである英国と対立、中央アジアとイラン、アフガニスタン国境で両者の勢力圏が確定した。

以後、ハートランド理論に立てば、英国に代わり米国がシー・パワーとしてランド・パワーのソ連による南方進出へ抵抗してきた。ソ連による「アフガニスタン侵攻(1979年12月)」は、ランド・パワーソ連によるシー・パワー米国への挑戦であった。そして、このアフガン侵攻とそれに先んずる「イラン・イスラーム革命」へのソ連介入への懸念もあり、1980年に米国は「カーター・ドクトリン」を発表し、中東地域へのソ連の介入に対し武力を用いて対抗する方針を示した。このように外洋への出口を持たないハートランド国家ロシアは、外洋への出口を求めて南下し、シー・パワーと対立した。そしてこのロシアの南下政策で得られた支配領域は、ソ連の共産主義体制下で国家として制度化されロシアに組み込まれていった。

エネルギーインフラの再編と国家間対立

ソ連は、形式上は15共和国による連合体であったが、その実は中央集権体制の単一国家であった。マッキンダーは、ハートランドの南部、つまり中央アジア地域を遊牧民や騎馬民族が往来しそれが欧州の脅威となったことを指摘しているが、「シルクロード」が示す通り、古来よりこの地は東西の交易路であった。だが、ロシア支配により東西の交易路の役割は閉ざされ、南北のベクトルがハートランドの秩序を形成した。ソ連解体とは、ハートランドが東西に再度解き放たれ、秩序再編が始まったことを意味した。中国の「一帯一路」構想もその1つの動きと言える。

他方で、ソ連体制下で国内インフラとして整備されたエネルギーインフラが構成共和国間を有機的に結びつけ、その単一国家性を強化した。例えば、カザフスタンは産油国であるが、その製油所はカザフスタン産ではなく、シベリア産の石油を精製していた。カザフスタン産の石油は、パイプラインでロシアの製油所に送られていた。電力インフラも同様であった。ソ連時代にカザフスタンの北部は、ロシアの電力網「統一電力系統(UPS)」に組み込まれ、ロシアの発電所から電力を供給されていた。カザフスタンにも発電所はあったが、それらの発電所とカザフスタン北部との間には送電線がなく、カザフスタン南部は他の中央アジア4カ国とともに「中央アジア電力系統(CAPS)」に組み込まれていた。CAPS内も発電所と消費地が国境を跨ぐ形で結ばれていた。例えばタジキスタンの発電所は同国南部に集中するが、その発電所から同国北部への送電線は未整備で、隣国ウズベキスタンを経由して送電せざるを得なかった。

ソ連時代は中央政府の指示に従いこれらのインフラを通して電力や石油、天然ガスの資源分配が行われた。だが、ソ連解体後にはこれらのエネルギーインフラは当該国家間の調整が必要な国際インフラ化した。そして、供給国がエネルギー資源を外交手段として使う動きが散見されるようになった。例えば、1996年にロシアはカザフスタンへの電力供給を停止した。これは、ロシア国内での電力自由化に伴う電力料金値上げをカザフスタンが拒否したことが発端であったが、カザフスタンにすれば外交圧力としてとらえられるものであった。またウズベキスタンは、隣国のタジキスタンへの天然ガス供給を2013年に停止した。その理由は、やはり料金未払いが理由だが、タジキスタン側は外交的圧力としてとらえていた。というのも、タジキスタンは、ウズベキスタンの上流国に位置し、水資源分配について両国は対立していた。さらに両国は、歴史認識や領土問題で対立していたことで、資源分配の協議が円滑に進まなくなった。

このようにソ連解体はその重厚長大な国内インフラを国際インフラに転じさせた。そして、その維持には国家間協調が不可欠であったが、各国はそれを自国内で完結する国内インフラとして再編することを優先した*2。だが、その自国優先が隣国との対立の一因にもなった。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事