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【特集:大学院教育を考える】
座談会:今こそ必要となる大学院で学ぶ「専門性」

2022/10/05

「専門性」をどう捉えるか

松浦 有沢さんのお話を伺って感じるのは、大学が思っていることと企業が思っていることが、なかなか上手くコミュニケーションできずにずっと来てしまっているのだろうということです。「企業はこうだろう」と大学は勝手に思い込み、企業の方でも「大学はこうだろう」と思っていて、お互い10年も20年もタイムラグがあるような状況認識なのかなと思いました。

新卒については結局、キャリアパスの問題になっていくと思うのですが、これまでの大学院修了者のキャリアパスをどう変えていけばいいのか。あるいはどうやったら変わっていけるのか。これは大学院を考える1つの大きなポイントになると思います。

神成 理系のキャリアパスは慶應の場合、大学の先生になろうと思って博士に行っている学生は少なく、ほとんど産業界に入っています。数が増えないことを除いては、あまりそこに問題はないと思います。

問題は文系の場合です。リーディング大学院で文系の学生を見ていると、確かに経済とか商学部、法学部の学生さんは、特に商社などは非常に好待遇で採ってくれるのですが、人文系の文学、社会学は、学生も産業界に出るという目的で大学院を選んでいないところがあるので、そもそも博士を取ってもリクルート活動をあまりしないようなところがある。

でも、彼らは「自分は学業に身を委ねて20代を過ごしていることに満足している」と言う。その後、職を選ぶ時には結構大変だと思うけれど、夢に向かって進んでいるところがある。何とかしてあげたいなと思うのですが、企業としては今後、そのような分野で専門性を高めた学生たちを採っていく方向性はあるのでしょうか。

有沢 結論から言うと、私自身は出身学部についてはほとんど気にしていないです。慶應のようなレベルの高い大学院を出られていれば、例えば文学などを専攻されていたから「企業には馴染みがないよね」とは、全く思っていません。

むしろ、高度な専門教育を受ける人は、もともと素地があって、それだけの知性がある。だから当然、そこで学んだことは必ず社会に活かせると私は思っています。企業の人事サイドから見ると、文学や社会学をやっている方が採りにくいかというと、全然そんなことはありません。特に大学院に行かれているのであれば、そこは心配なさらないでもいいかなと思います。

ただ、そういった意味では企業の発信力もまだまだ弱いと思わざるを得ません。「うちは大学院生を採りますよ」と、宣伝している企業は私の知る限りあまり拝見しません。例えば、うちは理系の研究職は大学院生と明示していますが、文系の大学院生に「優先的に採ります」と言っている会社は、少なくともあまり見たことがないのです。

でも、何度も申し上げますが大学院卒の方は企業に入っていただくと、非常に活躍されているのをよく拝見します。このような言い方がいいのかどうかわかりませんが、大学院をご卒業された方はやはりもともと持っている地力のレベルが高いと感じることが多いです。マスターの経験はやはり「さすが大学院生だな」と、納得感があります。こういう言い方は失礼ですが、大学院の先生方には自信を持って学生を送り出していただきたいと思います。

神成 おっしゃったように企業が自社で教育している余裕があまりないことを考えると、やはり博士でも専門性を高めることに加えて、いろいろな教育・経験をしましょう、という方向に大学院改革が動いています。

例えば、異分野融合プロジェクトの体験とか、それから社会課題を解決するための社会実装に即したインターンシップや、文系においても数値処理的な方法論を使ってデータを読めるようなスキルを大学院の学生に教えています。

一方、でもそれは専門性を極めるということからいくと、その分の時間を余計に使うので、学生にとっては負荷が非常に増えるわけです。このあたりはどう考えたらよいでしょうか。

有沢 ある意味正しく、ある意味そこまでやらなくてもいいかなと思います。データ分析でいわゆる数理的に、またロジックで検証できる方というのは、物事を極めて冷静に分析できる傾向が強いと個人的に思っています。最近の傾向としてはやはりデータ分析がきちんとできる人材を企業が求めるということはあります。そういった意味での方向性としては間違っていないと思います。

ただ、単純なデータの解析屋さんになってほしいということではありません。データ分析を行う上で例えばExcelのマクロを使うことはあくまでツールであって、そのツールを「なんのために」「どうしてそれを使うのか」が重要です。例えばツールを使うことが目的になってしまっているように感じることもあります。以前はデータ分析ができます、と言うと、「じゃあ、システム部門に配属します」とすごく短絡的に考えているようなこともありました。

そうではなく、データ分析というのはあくまでツールであり、「こういった専門性を持っている」とアピールできると、その方のマーケットバリューはすごく高まると思います。

松浦 今のお話を伺って、おそらく大学院にとっても企業にとっても、専門性の「専門」の概念が変わってきているのかなと思いました。例えばシェイクスピアについて細かい知識があるという狭い専門性よりも、シェイクスピアについての知識を社会の文脈の中でどう理解したり、活用したりできるか。大学院でも専門についての考え方をそこまで変えていかなければいけないのかなということです。

私は去年までまさに文学部長を務めていました。文学部は、大学院は文学研究科と社会学研究科があり、どちらの研究科も基本的には研究者養成ということが主眼になりますが、研究者の専門性というのも、自分の研究テーマだけを知っているのでは、研究者にもなれない状況になってきています。

例えば、教育学で大学教員になったとしても、自分の専門だけ教えるわけにはいかないので、教育学の一定程度の広がりの知識をきちんと活用できる人でないと、研究者としても通用しない。今まで大学院というのは、何となくどんどん領域を狭めれば専門性が高まるという理解があったのですが、専門性の考え方を変えていかなければいけないということはあるかと思います。

実社会に活かせる「専門性」とは

稲蔭 お話を伺っていて感じたことは、専門性の定義です。もちろんアカデミックな意味での深掘りもありますが、メディアデザイン研究科はディプロマポリシーと言われる、何をもって学位を出すか。あるいは何を伝えることがミッションかということで、3つのリテラシーを今、掲げています。

1つは「フューチャーズ・リテラシー」。これはUNESCOが使い始めた言葉ですが、未来を描く力と、その未来に向けて活動し、そこに歩んでいく力、スキルを「フューチャーズ・リテラシー」と呼んでいます。まさしく今、世界情勢を含めて大きな混乱期にある時に、Covid前の世界に戻るのではなく、「ニューノーマル」ということで、新しい社会を描く力が求められている。より良い社会を作るために、どういうものを目指すのかを描き、そこに向けて活動する力です。

2つ目は、デジタル技術によって、今までは対面でやらなければいけなかった様々な活動、あるいは人がやらなければいけなかった労働が、テクノロジーの恩恵によって大きく様変わりしている。われわれはそれを「メディア・リテラシー」と呼んでいますが、デジタル力を上手く味方に付けて活動を進化させていくスキルです。

3つ目は「イノベーション・リテラシー」。KMDはイノベーションできる新しいタイプのグローバルリーダーを育てるというのが唯一のミッションです。いろいろな点と点をつないで化学反応を起こし、そこにどのようなイノベーション、新しい価値を生み出していくかということです。

例えば、いろいろな分野の専門性をつなげることによって新しいものが生まれたり、違う考え方を持った人がつながることでチーム力が増して、そこで新しいものが誕生する。あるいは、いろいろな地域同士を結ぶことによってコミュニティーをつくる力。こういったものが今、世界的にすごく求められています。この3つの力を、KMDではカリキュラムの中でも、プロジェクトの研究活動の中でも学位につなげるための大事なスキルとしています。

そういう観点においての専門性というのは、いろいろな分野に適用できる少し抽象度の高いスキルセットを、大学院生自らが志向して行動できることです。それを持つことでいろいろな分野での活動に対応できる。

今、様々な分野での変化に、どうやって対応するかという柔軟性、あるいはレジリエンスと言われるような危機回復能力が非常に重要視されています。そのために様々なものを知り、いろいろな点をつなぐことができ、新しいものを発想し、未来に向けて活動できることが、メディアデザイン研究科の考える専門性です。今までの伝統的な学問体系の専門性とは、少し定義が違うかもしれませんが、そのような視点で教育活動をしています。

吉田 私は大学院でやることと、実際に労働市場で会社の中でやることは、そんなに大きく変わるものではないと思っています。研究の方法は、すごく単純化して言うと、何か関心があった時にそこに問いを立てることから始まります。その問いを解いていくためには、これまで何がやられてきたかという先行研究を見つけ、そこで自分のやり方で問いが解けるかを考える。そして仮説を立てて解いて答えを出していく。そして最初に立てた問いと結論がきちんと整合的かを確かめる。そういう単純な繰り返しをしています。

大学院教育でそれをどう表現するかというと、多くはペーパーに書くわけですが、実際に企業の中で仕事をされる場合も、表現方法は違ってもプロセスは同じなのではないかと思います。

すると、大学院での研究力というのは、そういうプロセスとしての問題解決能力を高めていくプロセスなのだと思います。であれば「どの世界でも通用することをやっているんですよ」ということを、大学がもっと外の世界にアピールすれば、より受け入れられやすくなるのではと思います。そうでないと「非常に狭い専門しかやっていないから、他のことはできません」と捉えられてしまい、非常にもったいない。

例えば、リーディング大学院等はそのようなことを考えて、1つの内容を深めるということだけではなく、どこでも通じる研究力を高めるための教育をされていると私は考えています。

企業側の理解は進むか?

神成 全くその通りです。ただ、有沢さんぐらいの人事の上のほうの方は非常に立派なことをおっしゃられるのですが、エントリーシートを最初に見られるような方は、相変わらず「君の専門性はうちの会社には必要ないね」的な対応がほとんどです。やはり現場の最初の面接をしているところの方々と、人事の上の方の理想のギャップは大きいと、失礼ながら感じています。

有沢 うちの会社は、その点はかなり改善してきたつもりですが、その傾向はまだまだあると言わざるを得ません。今後は会社側としてもやはり「大学院生の専門性がうちの会社とはそぐわない」と一律に考えることは時代に合わなくなってきていることをきちんと理解しなければいけないと考えます。

神成さんがおっしゃったことは悲痛なご意見だと本当に思います。せっかく大学院で高度なことを学んでこられた方が、門前払いみたいな形になるのはどう考えてもおかしいと思います。何度も申し上げますが、これはやはり日本でまだ、大学院教育というものの理解がそもそも全体的に不足している証左だと思います。

例えば、いわゆるビジネススクール的なものは、比較的企業側は理解しやすいと思います。なぜならビジネススクールでは、ロジカルシンキングや、strategy formulation など、企業にすぐ役立つと考えられることを教えられているからです。しかし、それ以外の専門性は基本的にはまだまだ理解が進んでいるとはいえないのではないか、と見えることが多いです。

そういった意味では、企業の中でもやはり認識を改めなければいけない点も多々あるでしょうし、学校側からも「単に一定の専門性を学ばせるだけではなくて、すぐに社会実装ができるような学生を養成している」ということを、どんどんアピールしていただければと思います。

吉田さんがおっしゃったように、企業が求めている能力というのは、大学院の中でも方法論として訓練されていると思います。ところが社会に出ると、いきなり大学卒と大学院卒を一緒にして研修を行っている会社もあるやに聞いております。弊社は大学院卒と大学卒で研修は別にしています。明らかに専門性のレベルが違うし、それまで積み上げてきたものが違うのに、理解が不足しているケースも散見されます。それでは「私、何のために大学院に行ったんだろうね」となってしまうのではないでしょうか。

企業の中には、undergraduateとgraduateの差が何かがまだまだ完全に理解されていないケースもあります。これは、もちろんわれわれ企業側の問題もありますが、大学側もそういったことを、どんどん学生に動機付けするとともに、われわれにも伝えていっていただきたいです。大学の方から「大学生と大学院生が同じ研修? 冗談じゃない。何のために、この人たちを育てたと思っているの?」とガンガン叱っていただいていいと思います。

また欧米と比較すると日本はまだまだトップマネジメント層に大学院を出ている人が少ないからということもあるのではないでしょうか。例えば自分の経験で申せば、アメリカの場合、トップマネジメントが大学院を出ているのはある意味一般的だと感じました。個人的には日本も大学院を出た方が、もっとトップマネジメントにどんどん行けるような仕組みを企業がつくらなければいけないのではないかと思っています。

松浦 大学のほうも、自信を持って送り出せていないところが正直あります。もっと大学のほうから「この2年、3年を無駄にしないでください」と言えるような体制をつくっていかなければいけないですね。

研究科の体制や、それこそ指導教授のマインドセットが変わらないところがやっぱりあるのかなと私自身は思います。リーディングにしても、SPRINGにしても研究科横断的に経済支援をする共通のプログラムができて徐々に変わりつつあるのですが、なかなか変わり切れていないところがあるかなと思います。

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