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【特集:大学院教育を考える】
座談会:今こそ必要となる大学院で学ぶ「専門性」

2022/10/05

  • 吉田 文(よしだ あや)

    早稲田大学教育・総合科学学術院教授
    1981年東京大学文学部国史学科卒業。89年同大学院教育学研究科単位取得退学。博士(教育学)。2008年より現職。専門は教育社会学、高等教育論。著書に『文系大学院をめぐるトリレンマ』(編著)等。

  • 有沢 正人(ありさわ まさと)

    カゴメ株式会社CHO〔最高人事責任者〕、常務執行役員

    塾員(1984商)。大学卒業後、協和銀行(現りそな銀行)入行。銀行派遣にて米国でMBAを取得。HOYA、AIU保険等を経て2012年、カゴメ入社。人事面におけるグローバル化の統括責任者として活躍。

  • 稲蔭 正彦(いなかげ まさひこ)

    慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科委員長、同教授

    1982年オベルリン大学卒業。83年カリフォルニア芸術工芸大学大学院ビデオアート芸術修士課程修了。99年慶應義塾大学環境情報学部教授を経て2008年より現職。専門はエンタテイメントデザイン等。

  • 神成 文彦(かんなり ふみひこ)

    慶應義塾大学理工学電気情報工学科教授

    塾員(1980工、85工博)。工学博士。2000年より現職。専門は量子エレクトロニクス、レーザ工学。博士課程教育リーディングプログラム オールラウンド型・プログラムコーディネーター。

  • 松浦 良充(司会)(まつうら よしみつ)

    慶應義塾常任理事【教育担当】・文学部教授

    1982年同志社大学文学部卒業。87年国際基督教大学大学院教育学研究科博士後期課程在学要件満了後退学。2002年慶應義塾大学文学部教授。15年同学部長。21年常任理事。専門は教育学、比較大学史・大学論。

大学院教育の役割の多様化

松浦 今日は日本の大学院のあり方について、皆さんと様々な意見交換ができればと思っています。

文科省の政策としても今、大学院改革は非常に大きなポイントになっています。これは「知識基盤社会」「Society5.0」「データ駆動型社会」など、いろいろな言い方をされますが、社会の急激な変化の中で、高度な知的能力を持ち、それを操作できる人材を育成していく。あるいはイノベーションを担っていける人材を育成するために大学院に対する期待が非常に高まっているのだと思います。

慶應のことを申し上げれば、慶應は10学部の枠組みが強く、ここまで来ているかと思います。そして大学院に関しては、伝統的な学部の上にある大学院だけではなくて、稲蔭さんが委員長を務める日吉のメディアデザイン研究科を始めとする社会課題系の独立大学院も創られてきた。現在14の研究科を擁し、バリエーションが豊富にはなっています。また神成さんにご尽力いただいている「博士課程リーディング大学院」のプログラムという研究科横断の試みも行われています。

しかし、慶應全体で大学院のことを考える機会はなかなかない。これから研究の振興や、また逆に学部を充実させるためには、大学院もより魅力的なものにしていかなければいけない、と考えています。

慶應は学生数では、学部生の割合が非常に多く、85%を占めます。早稲田も82%ぐらいです。国立は比べるのが難しい部分もありますが、東大などはほぼ半分ずつということで、慶應のほうがずっと学部の比重が大きい。教授会組織は独立研究科以外は学部が主流となっていますが、変えていかなければいけないところも当然あると思います。大学院をさらに充実していくのであれば、どういう道があるのか。ご意見をいただければと思います。

国際的に見ても、日本は学士課程の修了者に比べて修士・博士の数が少ないことも指摘されていますが、皆さん、それぞれどういった関心があるのかというところからお話しいただければと思います。稲蔭さんいかがでしょうか。

稲蔭 大学院メディアデザイン研究科(KMD)というのは、ご案内いただいた通り、学部がなく大学院しかないところです。そういう意味では、塾内ではマイナーな存在ですが、逆に、学部がないことでできることや、メリットも立ち上げの段階でいろいろ検討しました。

私自身はアメリカで学部、大学院を過ごしていますが、学部の時はリベラルアーツと呼ばれる、4年間、自分探しをするような時間で、幅広く、経済学や演劇、作曲やコンピューターのプログラミングを学び、自分の関心のあるところを履修しました。その中で自分の適性を見つけ、それを大学院で深掘りをするというのが、米国の大学・大学院のあり方でした。

私の場合、経済学というメジャー(専攻)で学部は卒業しましたが、大学院では様々な技術を使った表現の可能性に興味を持ち、新しい技術を開発しながら、それによる新しい表現を研究してきました。

このように大学院での学びというのは、深掘りをして自分の専門性を高めていくことでしたが、だからといってアカデミアに残ることは最初から想定外でした。映画の世界などクリエイティブな表現ができる場所で就職をする、様々なビジネス界で自分が仕事をできるための準備を大学院でしていました。

幸運なことにMITのメディアラボという、最先端のデジタル研究所の開設に立ち会うことができました。その経験が、現在、メディアデザイン研究科という大学院をつくる時に役に立っています。

KMDも学術界に残る人も育てますが、一番は社会に出て、自分の専門性を生かし、社会を変えていくことができる新しいタイプの人材を育てていきたいと考えています。理論的な部分も教えますが、実践的なことに重きを置き、社会にどのぐらい自分のアイデアが活用されるかというインパクトを証明することで学位を出してきました。

大学院はアカデミアのエキスパートを育てるという側面もありますが、片やグローバルの世界ではある一定の社会的なステータスとして教養を高め、専門性を高め、実践力を高めるために大学院で学ぶということが常識になっています。日本はある意味特殊な事情に止まっているので、これから変わっていくのだと思います。

神成 私は文科省が2011年から開始した、リーディングプログラムという博士課程の5年間一貫のプログラムに関わっており、中でも「オールラウンド型」という文系・理系を超えて総合的に大学全体で教育するというプログラムのコーディネーターを、10年近くやっています。

リーディングプログラムというのは、かなり特殊なもので、産業界、そしてグローバルな舞台で活躍できるリーダー、本当のエリートを育てるという目的でやっているものです。

慶應の場合、文理融合ということで、修士課程を3年と捉え、3年の間に大きな意味での文系と理系で2つの修士を取る、ダブルメジャーをして、残り2年間で博士を取らせるというプログラムにしています。社会課題解決のためのプロジェクトベースドラーニングには産業界からメンターの方に参加していただいています。そういう特別な人材を育てるための1つの方法かと思います。

一方、大学院全体の問題としては、文科省などは研究力向上のため、理系にしても文系にしても、他のOECD諸国に比べたら学生数が少ないことに大きな問題意識を持っているようです。日本の場合、理系は修士課程まではかなりの人が行きますが、その先は企業でのOJTがしっかりしているので、あえて自分で学費を出して学位を取らなくても、会社で最先端のことを学ぶことができるという、ある意味安定解に陥っているのだと思います。

文系の場合も学部卒で産業界に入ると、よく商社の方などが言う修羅場体験と呼ぶような、人を育てるメカニズムがあるので、あえて大学院に行かなくてもOJTで仕事を身に付けることができるのが日本の特徴でした。

この安定解をどこかで変えないと、大学院に行って産業界に活かすスキルを学ぼうという方向にはなかなか行きません。では、どこがトリガーとなるのか。なかなか難しい問題です。

文科省も今回、JSTのSPRING(JST「次世代研究者挑戦的研究プログラム」)というもので、博士課程6千人に毎月20万円くらいの奨学金を与えるという形で、かなり経済的支援が進むようになりましたが、それで本当に回るのか均衡点ができ上がってしまっているので、なかなか動かしにくいところもあると思います。

苦戦する文系大学院

松浦 稲蔭さんと神成さんの話は「慶應の大学院は新しいところに進んでいるぞ」という一側面ですが、私は社会学研究科の委員でもありますが、三田の大学院は現在、学生募集でもかなり苦戦しています。今、中央教育審議会の大学院部会でも「人文学社会科学系の大学院を何とかしなければいけないのでは」という議論が進んでいます。

吉田さんは、まさに『文系大学院をめぐるトリレンマ』という編著書を出されました。三重のいろいろな困難に人文学社会科学系が直面している。文理融合や研究科横断といっても、元気がいいのは社会課題系や理工系だけだと、人文学、社会科学がどんどん落ち込んで、総合知や文理融合に進んでいかないのではないか。それではせっかくの総合大学の強みも生かせない。

伝統的にディシプリン中心で、研究者養成などを担ってきた文系の大学院をそこにどう組み込んでいくのかが、まさに安定解や均衡点を崩していくカギなのではないかと思います。吉田さんいかがでしょうか。

吉田 今ご紹介いただいた本では、まさしく「いったい日本はなぜ、大学院を拡大しないのか。そこを明らかにしよう」という研究をしてきました。

誰がトリレンマのアクターかと言いますと、1つは大学そのものですし、もう1つは学生、そしてもう1つは労働市場ということで、やはりそれらが循環しないのが日本の特徴で、そこをどのような形で明らかにするかということを実証してきました。

日本が大学院の拡充政策を始めたのは1990年代で、そのときの論理は「諸外国のエグゼクティブは大学院の学位を持っている人が多いのに、なんで日本だけ少ないんだ。これでは後れをとる」ということ。大学院を拡大すれば必然的に社会が受け入れ、労働市場は大学院卒を雇用するだろうと、ある意味、楽観的に拡大してきました。

そして1960年代の景気が良かった時代と同じ論理で進んでしまった。これは間違いでした。60年代は理工系が大学院化を進めますが、この時代は高度経済成長期で非常に余裕があったのです。企業の方も、できる学生が大学院に行くので、「修士卒はできるじゃないか」と、非常に上手く循環が進んでいきました。理工系ではドクターまで行かなくとも、修士までは行くのが当たり前という構造が、慶應でも早稲田でもでき上がっています。

それを90年代に文系大学院に当はめようと思った時、一番の問題は90年代の経済状況でした。バブルが弾けて非正規雇用が増えてくる時に、なぜ大学院を拡充したか。理工系と違い、文系の場合は積み上げてきたものを見せにくい部分があるので、修士を取っても変わらないではないか、と労働市場が興味を示さなくなってしまった。

でも、政策的に拡大しなければいけなかったので、どこの大学も拡大する。定員未充足だと問題になるので何とか定員を埋めなければと、ある意味、不幸な時代につくってしまったということがあります。結果的に大学院進学率が高まらず、労働市場での採用が進まなかった。

日本は世界の中でたぶん唯一と言っていいくらいドクターの学生数が減少している国です。2019年にドイツで日本の状況をお話ししたら、世界の主な国から「ドクターの学生が減っているというのは、いったいどういう国なんだ」と、非常に驚かれた。ドクターに行ってもキャリアがないと話をしたら「不思議な国だね」と言われる。

じゃあ、他の国は上手くやっているのかというと必ずしもそうでもなくて、やはりいろいろな試みをして、大学院生がきちんと社会に受け入れられる人材になっていることを証明する努力をしてきているんですね。そういう努力が今後、日本の大学に求められるのかなと考えています。

企業が期待するもの

松浦 ちょうど吉田さんが上手くつないでくださいましたが、われわれが送り出す人材を採っていただく立場の有沢さん、お願いします。

有沢 私は商学部卒業後、当時の協和銀行、今のりそな銀行に入り、国有化も経験しました。その時にアメリカのワシントン大学というところにMBAを取りに行かせていただきました。

その後、HOYAという精密機器工業の会社、そして世界最大の保険グループであるAIGグループのAIU保険という外資の保険会社で人事担当役員に就任しました。そのあと2012年にカゴメに入り、現在CHOとして経営戦略と人事戦略を結び付ける仕事をしております。

正直、企業の中で大学院教育の重要性を本当にわかっている人は、昔も今も少ないのが現実ではないか思います。つまり「世の中に貢献する専門性を高めるのが大学院の大きな機能の1つである」ということへの企業側の理解が、まだ足りていないと思います。

ただ、やはり人事として思うのは、まず大学生にはリベラルアーツをきちんと学んでもらいたいということです。そして大学院に進むからには、「なぜ、自分は大学院に進んだのか」、必ずWhatとWhy、「何をやるのか」「なぜ進むのか」をきっちりと説明できるようにしてほしいと思います。

新卒採用の面接をしていて大学生と大学院生はレベル感が全然違うと感じています。うちは理系の大学院生を塾からも、何人か採用させていただいていますが、非常に専門性が高く、特に研究職という即戦力としてご活躍いただいております。

そして神成さんがおっしゃったような「企業にはいったらOJTでやってくれるはず」というのは、現実には企業にはその余裕はなくなってきていると思います。ある意味「OJT」に頼った人材育成は幻想だと思っていただいてもよいのではないかとさえ感じています。そういった意味からも企業サイドとしては大学で、「リベラルアーツをしっかり学んできてほしい」と考えている会社が多いのではないかと感じています。企業はある意味社会人としての専門性を身に付ける教育をしたいと思っているので、その部分については大学側に強く要望したいところです。

また修羅場体験という話がありましたが、特に慶應ビジネススクールは、ケース・スタディーがすごく充実していますね。昔からハーバードビジネススクールと提携されていて、そこでの疑似修羅場体験と、実際の企業での修羅場体験の両方をコンビネーションさせることによって、ものすごく人は企業の中で成長する機会をいただいていると実感しています。

そういった意味で大学院を出ていることの1つ大きなことは、一般的に高い専門性があること、もう1つは今言った疑似修羅場体験をされていること。さらにロジカルとプラクティカルのバランスをきちんと取っていること、であると思います。われわれとしてはこの部分を非常に期待しておりますし、実際にそういう大学院卒の方が多いので、有り難いと思っています。

しかし、誤解を恐れず申せばアメリカのMBAなどに比べると、まだまだ弱いと感じることも多いです。例えばハーバードビジネススクールのようなMBAプログラムでは、そのような体験を大学院教育で徹底的に行い、社会に出たら、すぐさまマネージャーができる点がすごいと思います。

大学側も、高等教育のさらに上のところの教育機会をより提供しやすい環境をつくっていただきたいとお願いしたいです。「学びたい」という気持ちを持っている学生さんにとって、それが自分の価値を最高に高める場であってほしいと思っています。

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