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【特集:大学院教育を考える】
松尾弘:慶應ロー・スクールにおけるグローバル法務人材の養成

2022/10/05

  • 松尾 弘(まつお ひろし)

    慶應義塾大学大学院法務研究科教授、グローバル法務専攻長

1.グローバル法務専攻の歴史的使命

平成29(2017)年4月、慶應義塾大学大学院法務研究科にグローバル法務専攻が開設された。これは、既存の法科大学院に併設された、日本初の「日本版LLM」である。これにより、慶應義塾大学の法科大学院は法曹養成専攻として位置づけられ、法務研究科は、法曹養成専攻(JDコース)およびグローバル法務専攻(LLMコース)の2専攻からなる慶應ロー・スクール(以下、KLSという)としてリニューアルされた。

グローバル法曹の養成は、法科大学院(2004年開設)の構想段階から理念の1つに掲げられていた。例えば、中央教育審議会「法科大学院の設置基準等について(答申)」(平成14年8月)では、「グローバル化の進展」に日本が即応するための法曹養成の必要性が示されていた。この理念を実現すべく、法科大学院は開設後、学生の海外提携校への留学、国際機関、海外法律事務所でのインターンシップ、英語による授業やセミナー、海外提携校の留学生との交流等を行ってきた。しかし、法科大学院生の多くが司法試験の準備に集中して取り組まざるをえず、それと並行して、法科大学院のカリキュラムの中で、グローバル法曹を本格的に養成することは容易でなかった。わずかに司法試験受験後から司法修習開始前までのギャップタームを用いて海外研修等を行うにとどまった。その結果、グローバル法曹の養成は、大手渉外事務所や大企業が一部の優秀な法曹有資格者をアメリカやイギリスのLLMプログラムをもつ大学に派遣する等によって行われてきた。

しかしながら、こうした「外注型」の法曹養成制度によっては、ごく限られた数の人材養成しかできないこと、英米の法制度を学ぶだけではグローバル化への対応としては不十分であり、今や世界の成長センターとなっているアジアをはじめとする非西洋圏の法制度にも通暁した、真のグローバル法曹の養成が求められていること、そして、グローバル法曹を養成できる日本のインフラ整備が立ち遅れたままになってしまうという問題点が指摘されていた*1。その一方で、日本政府は、国際社会における法の支配の浸透に寄与すべく、「ソフトパワー」としての「司法外交」の展開を掲げてきたが*2、それを実現するためにも、日本においてグローバル法曹を養成することができる、「自国型」の法曹養成システムの整備が急務とされてきた。このようにグローバル法曹養成システムにおける外注型から自国型へのパラダイム・シフトを引き起こすための起爆剤としての歴史的使命を果たすべく、KLS・LLMコースは開設されたものである。

KLS・LLMの開設から5年半を経た今、改めてその成果を振り返り、課題を確認することは、グローバル法曹の養成を着実に進めるために不可欠である。

2.KLS・LLMの特色

KLS・LLMコースの目的は、「グローバル法務人材」を養成することである。当初は、入学定員30名のうち、日本人20名、外国人10名を目安にし、「グローバル法務人材」を、グローバルなフィールドで活躍する法律専門職として、日本人を中心に、①弁護士等の法曹有資格者に対する継続法学教育(CLE)によるグローバル法曹、および②パラリーガル等の法律専門職および法学教育修了者に対するCLEによるグローバル企業、国際機関、NGOのリーガルスタッフ等のグローバル法務専門職を想定した。

しかし、開設後、入学者のうち、日本人は約15%にとどまり、約85%が外国人となっている。また、③開発途上国の裁判官、検察官、司法省等の政府職員、弁護士、NGO職員等に対する法学教育による各国の司法制度を構築せんとする、いわば開発法曹の養成も始った。その結果、現在KLS・LLMが目指すグローバル法務人材は、法科大学院の構想当時に考えられていた「グローバル法曹」よりも相当広いものになっていることに留意する必要がある。ちなみに、前述した中教審の答申では、「国際渉外、企業法務、知的財産権等の分野で国際的にも活躍できる法曹」という文脈で「グローバル法曹」の意義が語られており、それはグローバル化が進展する中で、国際取引において日本の国益を確保するための国際法務人材の養成というニュアンスの濃いものであった。これに対し、KLS・LLMが目指す「グローバル法務人材」は、日本人のみならず、外国人も対象にして、各人が属する国の偏狭な国益を超え、真にグローバルな視点から、持続可能な共通利益を見出し、その実現に努めようとする人材を想定するに至っている。それは奇しくも、KLS・LLMの学位授与方針(ディプロマ・ポリシー)である、《グローバルな視点で法的問題を発見し、紛争を解決するとともに、ビジネスモデルや政策提言を行う能力を涵養し、将来グローバル法務に通暁した人材に成長するべき者を育成する。また、アジアを中心とした地域におけるグローバル・ガバナンスについて政策を提言し、アジア諸国の法整備を支援する人材を養成する》という方針に真の意味で合致する方向に展開することになった。

そうしたグローバル法務人材の裾野を広げるべく、KLS・LLMは、入学時期を4月と9月の選択制にし、原則一年で学位取得を可能とし、全授業を英語で行うプログラムを実践してきた。KLS・LLMのカリキュラムは、前記ディプロマ・ポリシーを実現すべく、《グローバル法務に関する高度の専門性が求められる職業を担うための学識を与え能力を涵養して、グローバルな視点で法的問題を扱う人材を育てるために》編成・実施されている(カリキュラム・ポリシー)。それは、① Japanese Law and Asian Law in Global Practical Perspective、② Global Business and Law、③ Global Security and Law、④ Innovations and Intellectual Property Law、⑤ Area Studies、⑥Comparative Law、⑦ Current Legal Issues、⑧ Legal Research and Writing、⑨ Practical Training の9科目群からなる。①・③・⑤は基本的科目、②・④・⑥・⑦・⑧・⑨は発展的科目、④・⑦・⑧・⑨は実践的科目という特色をもつ。

このうち、①・②・③・⑨は重点科目群(core program)とされ、対照的な特色をもつ②・③科目群から4単位、実践的な⑨科目群から4単位の最低履修が課される。また、KLS・LLMの修了には、法科大学院を修了した者および法科大学院を修了した者と同等以上の学力があると認められた者は30単位の取得が必要であるが、それ以外の者は、それに加え、基礎的な科目群である①から4単位、⑨から2単位の6単位(合計36単位)の修得が必要とされている。

一方、多くの科目が選択科目として設定されており、学生のニーズに応じて専門性を高めることができる設計となっている。その結果、学生の主体的かつ柔軟な授業選択が可能であるが、研究者教員と実務家教員が協働し、基礎・発展・実践へと系統的な学習を進め、基礎理論と実務応用の架橋を図ることにより、グローバル法務人材に求められる高度な専門知識と思考能力の修得を促している。

このように、必修科目が少ない分、各学生の問題関心、将来のキャリア形成プラン等に従い、自発的に系統的な学習を進め、グローバル法務人材としての能力を高めることをサポートするために、2018年から専門認証の制度を設けている。それは、〈1〉Business Law、〈2〉International Dispute Resolution、〈3〉Japanese Law、〈4〉Law andDevelopment in Asia、および〈5〉Intellectual PropertyLaw の5分野である。専門認証の取得を希望する学生は、各専門認証のためのコア科目の履修およびリサーチペーパーの執筆(および〈1〉、〈2〉の場合はインターンシップの履修も必要)を要件としている。2022年春学期までに、修了生120名のうち、約50名が専門認証を取得した。

また、自らの研究テーマに特化したリサーチペーパー(前記科目群⑧)を執筆する学生も多く、年間約15〜20本が合格している。そのうち、指導教員の推薦により、毎学期、優秀なものに対してはJ・マクリーン賞が授与され、審査を経て、「慶應法学」への掲載が認められるものもある。

インターンシップ・プログラム(前記科目群⑨)もKLS・LLMの特色である。例えば、大手ロー・ファーム、国内外のグローバル企業、国連機関、法務省等の官庁等での1週間から2週間の国内インターンシップ、および国際協力機構(JICA)現地プロジェクト・オフィス等での海外エクスターンシップが実施されている。

また、KLSはワシントン大学(UW)のスクール・オブ・ロー(シアトル)と交流協定およびダブル・ディグリー協定を締結し、これを用いてUWに留学し、JⅮ生およびLLM生が学位を取得することも可能になっている。

さらに、KLS・LLMを受け皿として、メコン地域諸国(ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマー)の6カ国・7大学と協力協定を締結し、「アジア発グローバル法務人材育成プログラム」(PAGLEP)も実施された。これは大学の世界展開力強化事業(2016〜2020年)に採用され、協定校からの正規生の受入、短期留学生の受入、KLS生(JⅮコースを含む)の協定校への派遣、共同プログラムへの派遣等を行った。また、協定校のうち、タマサート大学(タイ)、ハノイ法科大学(ベトナム)およびホーチミン経済法律大学(同)とはデュアル・ディグリー協定も締結し,同事業終了後も同協定に基づく留学生がコンスタントにKLS・LLMに入学している。

同事業の副産物として、法務研究科に慶應グローバル法研究所(KEIGLAD)が設置され、KLSのLLM生・JⅮ生、協定校の学生の継続的サポート、教職員の交流、比較法・比較法学教育に関する共同研究の実施、英語による成果物の公刊等を通じて、「法の支配ユビキタス世界」(いつでも・だれでも・どこでも基本的権利の保護を受けられる世界)の構築への寄与を目標として活動している(http://keiglad.keio.ac.jp/keiglad/)。

KLSでは、日本にいながらにして国際的な学習環境が形成され、日本人学生と外国人留学生との日常的交流が図られている。これは、JⅮ生がLLM設置科目を履修すること、日本人弁護士等がリカレント生としてLLMの授業を履修すること、日本語ネイティブでないLLM生が日本語で行われるJⅮ設置科目を履修すること(学習指導委員会および担当教員の承認が必要)等を通じて行われている。

2018年度からは、JICAが実施する人材育成奨学計画(JDS)および長期研修員制度により、バングラデシュおよびラオスからの留学生(中央政府の官僚、裁判官、弁護士、NGO職員等)を特別推薦入試によって受け入れている。これらの留学生には日本人チューターが付き、ここでも日本人と外国人の日常的交流が行われている。

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