【特集:大学院教育を考える】
村田治:大学院教育と企業業績の連関──未来を見据えて
2022/10/05
はじめに
わが国の時間当たりの労働生産性は、2021年度のデータではOECD加盟国36カ国の中で21位であり、この順位は21世紀に入ってからほとんど変わっていない。わが国の労働生産性が低迷している主な要因は、いわゆる無形資産(intangible assets)の蓄積が他の先進国に比べて遅れていることにある*1。中でも人的資本への投資が少ないことが挙げられる*2。
一国の経済活動の大きさは基本的にGDPで測られるが、GDPの生産には生産要素として労働力と機械や設備などの物的資本が必要である。しかしながら、技術進歩やイノベーションが重視される知識集約型社会では、この2つに加えて人的資本が重要な役割を果たすようになる。特に、わが国においては、高度職業人の育成のためには大学院レベルの教育が必要不可欠と考えられる。
このような問題意識の下、本稿では、わが国における大学院教育と企業業績の関係をデータに基づき考察したい。第一節では、わが国と先進国における大学院教育の現状について概観し、第2節においては、データに基づいて大学院教育と労働生産性の関係について観察する。第3節では、私が執筆した関西生産性本部の「企業の人材ニーズと大学院教育とのマッチングに関する調査報告書」(以下、関西生産性本部報告書)のデータと内容に基づいて、大学院教育と企業業績の関係について論じたい*3。
1.わが国の大学院教育
本節では、わが国の大学院教育、特に、修士課程の現状と企業の役員に占める大学院修了者比率について概観する*4。まず、1981年度~2019年度における大学院修士課程入学者数の推移を分野別に図示したのが図1である。図1からわかるように、修士課程入学者数は1981年度から増加し続け、2010年度に82,310人のピークを記録した後、2019年度には72,574人まで減少している。分野別では、自然科学の入学者数は全体の動きと同じような動きであるが、人文・社会科学分野の入学者数は2001年に15,838人のピークに達し、その後減少し続けている。
次に、2017年度の日本、米国、ドイツ、英国の人文・社会科学、自然科学、その他の分野の人口100万人当たりの修士学位取得者数を描いたのが図2である。この図から、わが国の人口100万人当たりの修士学位取得者数が全ての分野で低いことがわかる。特に、人文・社会科学系では米国の約9.9%、ドイツの約12%、英国の約6%と極めて低い値となっている。また、全分野の合計でも米国の約23%、ドイツの約22%、英国の15%と修士学位取得者数が少ない状況にある*5。
図2で示されているように、わが国の人口100万人に占める修士学位取得者数は欧米諸国と比べて少ないが、それ以上に企業の役員・管理職の大学院修了者比率が低いという事実が存在する。2017年の就業構造基本調査のデータから、わが国の企業等の役員・管理職の大学院修了者の比率を求めると11.5%となる*6。他方、米国の上場企業の管理職の大学院修了者の比率は、1997年時点で人事部長が61.6%、営業部長が45.6%、経理部長が43.9%との報告がある*7。このように、わが国の大学院の学位取得者数が少ない事実に比例して、企業等の役員・管理職の大学院修了者比率が少ないと考えられる。
2.大学院教育と労働生産性
それでは、企業等の役員・管理職の大学院修了者比率と労働生産性の関係等について見ていこう。まず、OECDのデータから大学院修了者比率と時間当たりの労働生産性の関係を見たのが図3である*8。図3からわかるように、OECD加盟国については、大学院修了者比率と時間当たり労働生産性には正の相関が見られ、大学院教育が労働生産性を高めることを示唆している。
このことをわが国のデータを用いて確かめるために、業種別の大学院教育の賃金プレミアムを求めたのが表1である。表1からわかるように、わが国においても大学院教育は労働生産性を高め賃金の上昇をもたらしていると推察できる*9。
2022年10月号
【特集:大学院教育を考える】
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村田 治(むらた おさむ)
関西学院大学学長、同経済学部教授