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【特集:主権者と民意】
座談会:若年層に政治参加を促すために何が必要か

2021/10/05

社会を動かす」という民意

堤林 本特集のテーマは「主権者と民意」としていますが、これは抽象的な概念で、政治学者の間でも意見がなかなか一致しないわけです。

最後に皆さんから1人ずつ、今までの議論を踏まえて、この「主権者と民意」というものはどのように説明できるか、こうすればもう少しリアルに、身近なものとして感じられるよと、若者に向けてメッセージをお願いしたいんですが。

宇野 世の中というのは、51%の人が動かないと変わらないかというと、実際には決してそうではないんですね。一部に前のめりに改革する人がいた時に、「面白いね。私もやってみよう」というフォロワーが20%ぐらいいると、一気に社会が動いて、変わっていくということはよくある。

今の若い人は、数の上で圧倒的に少数派だから社会を変えるのは難しいと子供の頃から散々聞かされていると思うんですが、自分たちで社会を動かして変えることができたという成功体験を持てるといいですね。そのためにはやはり実験をしてもらい、その実験を上の人たちがもっと応援するべきです。

そういうことを通じて少しずつ社会が変わっていき、気付いてみると大きく社会のありさまが変わっていく。そういう形を通じて示されるものも、これはこれで民意だと思うのです。

選挙で示される民意も重要ですが、日々の政治的実践の中で示される、「こうなったら、ちょっと社会が良くなる」というささやかな思いが実践を通じて少しずつ形を現し、具体的なことの実現につながり、社会が変わるならよいなと思います。

吉田 民意というと、「そこにあるもの」とイメージされがちかもしれません。しかし、実際には、時代に応じて、あるいはその時々の文脈での、その時々の多数派で、尺度や文脈が変われば民意のあり方は変わります。論点Aではaという民意が、論点Bではbという民意が多数になる可能性がある。その尺度の多様性、つまりその文脈において、その時々の多数派をつくる努力があり、結果としてその尺度や物差しが多様であればあるほど民主的な社会と言えるのではないでしょうか。

おそらく民主主義という政治の仕組み、あるいは考え方に優れているところがあるとすれば、正解があるのではなく、常にその文脈において、その時々の正解をつくり出す力を持っていることにあると思います。であれば、自分が動くことによって物事が動くことの楽しさ、その楽しさの裏にはもちろん悔しさは付き物でしょうが、若年層がそれを体感できる場所をいかにつくっていくかが必要だと思います。

ロバート・パットナムという政治学者が書いている僕の好きな言葉に、「若年層や若者世代は、将来の社会の先行指標だ」というものがあります。つまり、今の若者が置かれている状況を見れば、将来の社会がどうなっているかが分かると。

日本の若年世代は自己肯定感が低いことも影響して、自殺率も高い。社会の矛盾のようなものを様々に押し付けられて、その中で喘いでいる。そうした世代が将来、社会に恩返ししようとは思わないでしょう。

さらに政治参加までを求めるならば、まずは彼らや彼女らが置かれている状況を変えるのが年長世代の責務です。それが、これからのわれわれの社会をつくっていくことにつながると思わないといけないのではないでしょうか。

誰も排除しない社会をつくるために

三浦 「民意」と言う時には、民意をいかに政治に反映させるかといった使われ方が多いと思うのですが、その「民意」からも弾かれてしまっているような、排除されてきた人たちの存在を、どのように社会の中で可視化して、意見を反映させられるかが重要だと思うのです。

日本は同質性が強い社会と言われていますが、今まで女性というのはその「同質性」から排除された存在としてあったと思うんですね。会食文化もほとんどの場合、女性はそこには入れてもらえないし、セクハラに遭いかねない場でもある。同質性を前提とする信頼関係というのは、女性が排除されていることを見えなくしてしまいます。

今までの同質的な、男性中心的な熟議のあり方に、入ることもできないような人たちが、女性に限らず、実はたくさんいる。その異質な存在と対話をして、同じ構成員と認識できるのかということが、とても重要な課題だと思っています。

日本の社会の中には外国籍で地方参政権も与えられていない人たちが多数暮らしています。移住者が増えていくなかで、政治的共同体を構成するのは誰なのかが問われます。「主権者」だけで構成される社会に、私たちはすでに住んでいないのです。

その主権者ではない人たち、外国籍の人や、まだ選挙権年齢に達していない未来の世代たちを含めて、私たちがどこまで他者を想像できるのか。排除されてきた人の存在にどれだけ思いを馳せられるのか、沈黙させられてきた人たちが声を上げることを、どうやって社会として支援していくか、という視点が重要だと思っています。

地域社会にしても、カッコ付きの「民意」にしても、それをデフォルトのものとして考えずに、常に変容するものであって、そうなるかどうかは自分自身のアクションにかかっている。そのようなメッセージを社会や若者たちに発信しながら、自分もそれにかかわっていきたいと思っています。

堤林 主権者からも漏れてしまう人々に目を向けるということは重要な指摘ですね。

西田 これまでに、メディアを多面的に扱う仕事をしてきました。研究だけではなく、世論調査の設計、行政や企業の広報やPR、それから、メディアをどのように規制するのかという業界団体や省庁の議論にかかわってみて感じるのは、民意は、完全にコントロールはできないまでも、少なくとも、カッコ付きの「民意」に対して介入したい、デザインしたいと思っている主体は無数にあるということです。

介入しようとする政治性の読み解き方を、若い人たちが意識し、学ぶ機会が必要です。ネット上のある種の陰謀論や歴史修正主義的なものに対しての距離の取り方、つまり、自分たちが見ているものに対して介入しようという意思を持っている人がたくさんいるということに目を向ける契機のことです。カッコ付きの「健全な主権者」を育んでいく時に、日本社会で欠落している側面ではないでしょうか。

同時に、やはり大文字の公共の担い手をどのように育て、デザインするのかということを、広く社会の中で議論できる土壌をつくっていく契機をつくれたらと思っています。

堤林 皆さん、素晴らしい重要なご指摘をくださり、有り難うございます。非常に有意義なディスカッションになったのではないかと思います。

本日は長い間、有り難うございました。

(2021年8月19日、オンラインにより収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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