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【特集:主権者と民意】
座談会:若年層に政治参加を促すために何が必要か

2021/10/05

地域の身近な課題を扱う教育

吉田 日本の若年層のさらなる特徴は、自己肯定感が極めて低いこと。先進国の中で最下位です。もう1つ、OECDの調査で見ると、義務教育の中で自分だけで学習する時間が日本ではすごく長いんですね。共同で何かを学ぶ、学習するという機会がすごく少ない。自分に自信がなく、人と共同作業もしない。そうしたところに民主政治が生まれることは期待しにくいでしょう。

宇野 僕は中学校の公民と高校の公共、政経の教科書を書いています。来年度の新設科目「公共」というのは、ずいぶん意気込んで作られたのですが、少なくとも私のやっている会社は、ディスカッションのテーマは増えたものの、基本的枠組みはあまり変わらない。

やはり冒頭に出てくるのは、例の大統領制、議院内閣制、小選挙区制、比例代表制、三権分立……と制度の解説が延々と続くんです。僕は「いい加減、そろそろ変えません?」と言ったんですが、あれをやられると、政治というのは基本的に知識をひたすら習得するものだと捉えられる。後ろのほうでようやく地方自治になって、地域の課題を見つけましょう、みたいな話が出てくるんですが、大体時間切れでそこまで行かないという感じです。

高校になるとほとんど地域とかかわりません。一番多感でかつ能力もエネルギーもある時期なので、やはり、地域の課題ともう少し向き合ってほい。つまり、民主主義は本来、自分の身の回りのことを自分たちの力で解決するものなんだ、というところからやるべきだと思うのです。教科書の構成や授業のやり方も変える余地があると思うんですね。

ただ、変化は感じています。私は東京大学公共政策大学院と一緒に「チャレンジ‼ オープンガバナンス(COG)」という自治体が課題を出して、学生団体あるいは市民団体がその解決策を提案するというコンテストをやっていますが、今年は、高校生や大学生の学生チームが激増して、しかも出来がとてもいいんですよ。

今は高校生ぐらいでも実に立派な調査をし、提案して実際に行動に移す人も少なくない。ですから、地域課題や身の回りのことを自分たちの力で解決するということをもう少し高校段階でやってほしいと思います。その上で、大学で非常に専門的な勉強するのがいい組み合わせだと思います。

論争的な問題を高校で扱えるか

西田 教育については、冒頭で申し上げましたが、政治的な主題に関する社会規範をどのように具体化していくかを考える機会を持つということが、われわれの社会では看過され過ぎていると考えています。

日本では、高校への進学率は95%を上回る数字で、多くの人たちが18歳までは学校の現場にいます。そうであれば、どのような、それからどのようにして政治的主体を育てていくのかということを高校までのあいだに議論しないといけないのではないでしょうか。

政治学の政治的社会化に関する概念は、もともとは社会学の社会化の概念に由来します。政治に対してコミットメントしなくても何かを選択しているということでもあります。介入してもしなくても、なにがしかの価値は形成されます。そうであれば、介入することにも一定の意義があると言えます。

諸外国の主権者教育を見てみても、大きな改革、とりわけイギリスのシチズンシップ教育であるクリックレポートは、新しい社会民主主義の流れと不可分なものだったといえます。そうやって2000年代以降、政治的主体を育てることに関して、強い問題意識を向けていったのだと思いますが、日本では投票年齢が引き下げられても関心が薄いままです。

EUも、EU憲章の中に「EUシチズンを育む」という趣旨のことが強調されるようになりました。われわれの社会でも、政治的主体をどうやって育てるのか、どうあるべきかという主体的構想が必要ではないでしょうか。

日本は価値をめぐる問題について学校現場に持ち込むことがタブー視され過ぎていると思います。地域に入って実際に活動することも重要だと思いますが、学校から送り出される地域の現場はステレオタイプ化された職場も少なくなく、論争的な問題をどのようにして学校で扱うのかということがもっと考えられるべきです。

その時に重要になってくるのは、学校教員をしっかり守るためのルールを作っていくことではないでしょうか。実際に主権者教育に関心が向いた時期にも、学校の現場に電話をしてくる政治家が与野党問わずいたことが知られています。学校教員をしっかりと守りながら、価値に関する問題を扱える環境づくりが大事ではと考えています。

三浦 すごく重要なことをおっしゃったと思います。価値が対立しているものを高校の段階で果たしてどこまで扱えるのか。高校の先生を守らなければいけませんので、政治的に難しい面があると思います。現状の政治情勢下では、むしろ、大学が積極的に引き受ける責務があるのではないかと思います。

高校の段階では、政党対立軸とは直結しない地域課題の解決に目を向けることから始めるのが有効ではないかと思います。SDGsの視点で議論することも、仕掛けとして効果的だと思います。なかでも地域の議会を傍聴することは是非やってほしいと思っています。

パリテ・アカデミーでは必ず女性の地方議員とのパネルディスカッションを組み込んでいます。若者の多くは地方議員にあまり会ったことがないので、何をやっているか、どんな人たちなのかほとんど知りません。議員が議会で発言したことによって生理の貧困が解決できたとか、学校にクーラーを付けられるようになったというような話を聞くと、地域の課題の解決の過程が目に見えて分かるのです。

西田 地域の現場に入っていくことが重要というのはその通りだと思うのですが、結局のところ、われわれが議論する政治的主題の多くは、机上の空論を出ないことも少なくありません。そうであれば、論争的なテーマ、大文字の政治にかかわるようなテーマも、むしろ早い時期から行っておいたほうが良いのではないかと思えてしまいます。

例えば、日米の安全保障の枠組みをこのまま維持すべきか否かといった大きな対立的な論点を、早い時期から面白く、中学生や高校生たちが外部から茶々を入れられることなく議論できる環境を用意することも、併せて重要だと思っています。

宇野 確かに地域の問題というのはお仕着せのプログラムになりがちで、半強制ボランティアみたいなものだとあまり面白くないですね。

でも、そういう状況を打破しているところもあります。僕がコミットしている島根県の隠岐島前高校では、高校生たちが主体的に島の改革の主役に躍り出ています。三陸地域の中学校などでも、東日本大震災の後の復興の過程で、中学生が声を上げて、すごく活躍しています。

私は東大生を川崎市の宮前区の団地に毎年連れて行くんです。田園都市線沿線のおしゃれな街なのですが、実は高度成長期に団地を造り、大体が高台にあるので、皆高齢化して買い物難民化しているんです。そのようなところに、毎年東大生を連れて行って、買い物の手伝いをやらせるだけで、地元にこういうことがあるとは思いもしなかった、みたいなことを言う。ああいう経験をして考えてもらうことは東大生にとってもいいんだなと思いました。

やはり、高校段階でも大学の先生が協力して、もっとソフトを多くしなければいけないし、古臭い地域に関してはちょっと打破したいですね。

一方で、西田さんがおっしゃった、安全保障などの大きな問題に対して中学生や高校生の時から安全に議論できるような環境を整備し、また先生を保障するということはまさに正論で、その点に関しては異論はありません。

三浦 安全に議論できる場をどうやって確保するかが課題だと思います。高校の現場で一番大変なのは、歴史教育ではないかと思います。

東京都の場合、卒業式での日の丸への起立、君が代の斉唱で多くの教員が懲戒処分を受けている中、日本の植民地責任・加害者責任を問う自由度が今の高校にあるんだろうかと非常に危惧しています。

歴史をどのように総括していくかという教育は、政治的主体性の育成としても極めて重要なテーマであるにもかかわらず、高校までの段階では、そのような言論空間が窮屈なのが現実だと思います。すると、それをどこでやるかといった時、現実問題として大学の役割が大きくなる。大学教員が協力して社会教育を広げることも必要でしょう。

慰安婦問題なども本当に語りにくいのですが、学生たちがネットで調べると、多くが歴史修正主義のもので、陰謀論みたいなものにはまっていく学生もいる。そうならないような歴史教育の場をどうやって確保するのかがとても重要ではないかと思っています。

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