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【特集:地方移住の現在形】
座談会:地域の可能性を育む 自分らしい移住

2021/07/05

変わる企業のあり方

玉村 今、リクルートの社員も地方や郊外に移住している人が増えているんじゃないでしょうか。企業から見ると、社員が地方に住み始めることはどう見えていますか。

中村 短期的には、労務からコミュニケーションまで新たなマネジメント課題がたくさん生まれてくる話なので、止められないなと思いつつも難しい状況だなとは捉えていると思います。

ただ、長期的に見ると、会社が労働市場から、なぜその会社が存在すべきかと評価される点において、今までのような「お国のため」ではなく、これからはローカルのために、もしくはローカルの集合としての「お国のため」に自分たちは存在しているんだということになると思います。個々人とローカルの接点というものの意味が企業にとっては大きくなり、存在意義を立脚させてくれる接点になっていくのではないかとは思っています。

玉村 大都市の会社に勤めながらも地方に住むというキザシもある。それはコロナだからということだけではなく、そもそも企業のあり方を考えるタイミングになってきているのかなとも思います。山中さんはいかがでしょうか。

山中 僕自身、何で地方に移住して、起業して、まちづくりに取り組んでいるんだろうと思うと、自分が幸せだから今やっているんですね。

僕の思う幸せな人生って、人生は自分のためにあるということと、何かのために生きるということの両立で、自分のためであるということの究極形は何かのためだと思うんですね。このパラドクスに気づくと、すごく人生幸せです。「神山まるごと高専」の「利己的に学び、利他的に実現する」という言葉はまさにこの考え方で素晴らしいなと思います。

僕たちが今やっているソライ教育では「主役は自分、戦略は使命」と言っていますが、「戦術は狂気」ということを付け加えています。この言葉は、人生においては夢中になることが大切だということを伝えています。

「キッズドームソライ」は個性教育をしていますが、そのフックになるのは夢中体験を徹底して積ませることです。「これは自分がやるんだ」と思ったら、とにかくそれをやると思い込む。これが人生を幸せに生きるにはすごく必要なことだと思っています。

玉村 夢中になれることの重要性ということですね。結局、生きることの意味もそうかもしれませんが、本当に自分が夢中になれるか。逆にそうじゃないと面白くないということはたくさんあると思います。

「地方に住んだ」ことの価値

ERI 多様な視点ということを考え、私が母であり、この中では唯一女性という視点から言いたいと思います。

今後、大人も学び続けるということが非常に重要になると思います。誰も経験したことのない社会に直面していますから、大学の時に学んだことが通用し続けるはずはなく、大人も学び続けなければいけないですよね。

私もSFC研究所の上席所員になり、来年4月には博士課程の入学を目指しています。私の目標は50歳までに博士論文を書くこと。私も主人もランドスケープ(景観)の勉強をしてきており、土地利用型(田んぼや畑)の農業を通じて、学んだことを実践しています。生き物調査や景観調査も継続してやってきているので、就農20年を区切りに論文にしたいのです。

持続可能な社会におけるヒントは、結局、自然界にしかないと思っています。もちろん技術革新とかイノベーションもあるのでしょうけれど、島国である日本で自然と共存しながら、国土や暮らしを守るためには今後どんな選択肢を取ることが必要で、どうやって再生産して次世代につなげていくのかというヒントは自然界にあるのでは、と。

農村部に限らず、何ができるかにチャレンジするには大人も学び続けなければいけないし、その姿を見た子どもたちに「こんないい所を出て行くの?」と言い切れるぐらいの立場でいたいなと母としては思います。

家庭教育というのは学校教育では絶対に補えない部分があり、家庭教育の大きな部分を担っているのがやはり母親です。その母親が偏差値に左右される価値観ではなくて、子どもたちに「生き延びられる力をつけさせる」という価値観のもと、子どもが小さいうちだけでも農村部にいられる社会があったらいいなと思います。

私は、「子どもが小さいうちは自然の中」という、理想的な環境で子育てをさせていただいていて、たとえ都会にいる時の収入の半分でもやっていける自信もあるんですが、やはり子どもが成長するに従って、お金がかかるという現実もあります。

そこで、「地方に住んだ」ということが、キャリアパスになってほしいと思っているんです。つまり、地方に移って、そこの地域のリソースに目を付けて、工夫をしながら地域の人とやっていく暮らしを10年も続けていれば、相当なマネジメント能力といろいろなアイディアを得ているはずなのです。

田舎暮らしの経験を買われてヘッドハントされて、子どもにお金や選択肢が必要な時期になったら、単身赴任ではなく家族ごと都会に戻れるようになれば面白くないですか。地方で見つけたヒントを活かしたビジネスや学びができるような社会がいいなと思っています。

玉村 おっしゃる通りですね。SFCの学生を見ていると、地方で主体的に現場で活動し、地域の人とちゃんとやってきた人は本物で、大学でもまわりと影響し合って自然と成果も出していく。AO入試などでも、地域の現場で自ら情熱を持ち、本気で取り組み、人も巻きこみ、豊かな経験を育んできたことは評価される時代と思います。

本質的なことをちゃんとやり抜くということは意味がある。それは「地方だから」に限らないですが、まさしく神山のような、いい地域はいろいろな人が影響し合って、人の気づきをたくさん増やせるわけですから、その中で人が育ってきたということはすごく価値があると思います。

地域の人と移住者がつくる新しい社会

大南 行政の移住支援に際して必ずと言っていいほど聞こえてくるのが、地域側からの、「なぜ移住者だけが優遇されるのか」という声です。自分たちは対象とならない補助金等に対する不満があるわけですね。

例えば神山の私の世代、70歳前後の人間は、親世代から、段々と過疎化が進んできているけれど、長男1人であれば生計が成り立つだろうから、帰ってこいと言われ、少なくとも長男は帰ってきたわけです。

ところが、私より15歳ぐらい下の50歳前後の人材は、今、地方では希薄となっています。親の世代が高長の中で、もう帰ってきても田舎には希望がない、いい大学を出て、都会で新しい可能性を見つけなさいとUターンの選択肢を外した時代なんですね。

現在、30代、40代は移住や交流人口という形で町に入ってくる。そして、町の多くの人たちが、この町には可能性がないと思っていたところに、可能性をいろいろと掘り起こしてくれているのです。最終的にこれらの動きが町内出身者にも波及し、新たな可能性を見つけた人たちがUターンしてくると思うんです。ところが、こうした大きな循環の中で、お金や資金を移住者に集中的に投資をするという一部分だけが切り取られ、自分たちには何もないのに移住者を優遇する、という話になってしまっている気がします。

一方で70代後半の方から「最近神山は変化してきたが、この先どう変わっていくのかが楽しみだ。もし自分にできることがあれば何でも言ってほしい」という、気づきを得た人が出てきているんですね。30年間近く活動してきてこういう人たちを目にするのは、この4、5年が初めてです。

やはり田舎は田舎の人間だけで守るという、これまでの考え方に固執することなく、関心のある人たちも一緒になってやればいい。その1つの形が移住なのかなと。こうして住民と移住者の歩み寄りによって、柔軟に変化していく社会を一緒になって築いていくという方向が重要なのではないかという気がしています。

中村 今日の話は、移住って別にしなければいけないものじゃない、好きでやっていますというのが最大公約数かと思いました。「移住ってどうですか」とか「向こうへ行ってどんな生活があるんですか」という質問は日々たくさんあるんですが、そういう質問が重なるほど僕の胸の中に高まるのは、自分で自分の人生をデザインするとか、自分の人生を生きるということに素直になった結果、単に移住していたのではないかということです。

別にそれは都市で生きていてもいいのですが、自分がそうありたいように生きるというか、その大切さを考え直すきっかけの1つが移住かもね、ぐらいの感じが僕はいいんじゃないかなと皆さんの話を聞いて感じました。

山中 前職で働いていた時に、これは自分らしい人生なのかというところがずっと引っかかっていました。当時、長女が生まれていたのですが、自分の子どもに自分の人生を胸を張って語れるようになりたいと思ったのが移住の決め手だったんですね。

そう言えるためには、やはり幸せの価値基準は自分が決めるということがすごく大事で、自分らしく生きようとわがままに考えた時に、地方の豊かな自然環境の中で、家族や友人との時間を大切にしながら、エキサイティングな仕事をしていければと思いました。地方は、そういったわがままをかなえてくれる可能性があるということが今は分かります。

今の生活を変えて大丈夫なのかと思っている人は結構いると思いますが、飛び込んでみると大したことはなかったりします。自分がどうありたいか、わがままに決めたらいいんじゃないかと思います。地方に移住すれば、必ず新しい道は開けると本当に思います。僕らの議論がそういった方の背中を押すことにつながれば嬉しいですね。

玉村 皆さま有り難うございます。お蔭さまで示唆に富む座談会となりました。人口減少社会というと、人の数の話になりがちですが、「可能性を感じにくい」「気づきが減少」といったことが起きやすい。そこに、自分の基準を持ちながら地域に住み、営みをもつ移住は意味を持つと思います。

「ソサエティ」という言葉を福澤諭吉先生は「人間交際(じんかんこうさい)」と訳しました。社会の本質は、人と人との間のつながり・やりとりです。

地域社会ほど人のつながりが濃く、動きにくいと考えがちですが、地域の人々も移住者も、濃いつながりの中で影響し合うことで、様々な気づきや可能性を増やしていける。そこで暮らすことで自然と気づくし、自分の可能性もどんどん見えてくる。そして、さらに影響し合う。そういった好循環がある社会はさらに人々を惹きつける。人々が影響し合う、つながりの連鎖がある社会の大切さを改めて思いました。

今日は有り難うございました。

(2021年6月1日、オンラインにより収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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