【特集:地方移住の現在形】
座談会:地域の可能性を育む 自分らしい移住
2021/07/05
過疎地域に高専をつくる
玉村 今日お話しをさせていただいている皆さんは共通して、地域で暮らしながらも、学問の場を身近に持ち合わせていますよね。中村さんは今、SFCの大学院で学ばれていますし、大津さんのまわりには塾生が滞在しながら遠隔授業を受けているようですし、大津さん自身もSFC研究所の上席所員をされています。山中さんも学びの場を創られています。大南さんは神山町に高専を立ち上げようとしています。
福澤諭吉先生は、1858年に慶應義塾をつくりました。時代の転換期に、これから未来をどうするかという時に、学びの場をつくりました。『学問のすゝめ』も書き、それぞれの人が学問を通じて、1人ひとりができることや見えることを広げていき、独立自尊を通じて未来をつくっていくという発想でした。
さて、世の中、過疎地域ではだんだん高校がなくなっていく中で、神山町では、どうして新たに高専を立ち上げようとしているのでしょうか。
大南 きっかけをつくったのは、2010年10月、神山にサテライトオフィスを置いたSFC出身のSansanの寺田社長です。寺田さんから10年以内の株式上場を果たし、上場後は、2つの事業、1つはエネルギー関係の事業、もう1つは教育に関する事業をやりたいと聞きました。
当時は若い起業家の夢なのだろうと受け止めていたのですが、2015年末、東京で一緒に食事をした時、昼間は金沢国際高専を訪れていたという話を聞かされ、その時、これは本気なんだと思いました。
なぜ高専なのかと言うと、今、全国的に見て、特色のある私立の小中一貫校や中高一貫校がたくさん生まれています。一方で神山は、公立の小学校、中学校は一学年20人余りです。地域側の視点に立つと、神山にそうした一貫校ができ、仮に1学年で2人が入学しただけでも全体の1割に相当するわけで、公立の教育が成り立ちにくくなります。これは町民の賛同も得られないだろうと。そこでいろいろ探る中で高専がいいなと思い始めたのです。
神山の中学校を卒業した子たちは、8、9割が徳島市内の普通高校に進学し、町を出て行くわけです。そうだとすれば、そこに新しい高専という選択肢を提示することは、神山の子どもたちの進路を広げるということですから、町の賛同が得られやすいし、町民からのサポートも得られやすい。
一方、高専というのは今から60年ぐらい前に出来上がり、高度成長の時代、製造業を強くしようということで、工場長や、製造業の重要なポジションをその出身者たちが担いながら、日本が発展してきた。ところが、その製造業が中国や東南アジアに工場を移してしまった結果、新しいITの産業やAIというところの人材は手薄になっているんですが、高専がこれまで積み上げてきた多くの実績や成功体験が逆に足かせとなり、急に新しい方向に転換することも容易ではありません。
だから私立という、ある意味、軽いフットワークの中で新しい高専が出来上がったら、これは日本の教育システム自体にもインパクトを与え得ると考えたのです。5年間、間に入試もなく、入学時点で理系も文系もない。工業系大学と美大とMBAが一緒になったような高専です。2023年4月開校予定で、1学年40名全学年5学年集めても200名の小さな学校です。
そこから、出口として大学へ行くこともできるし、自ら起業する人も生まれるかもしれないし、企業に就職する人もいるでしょう。これまで人口5千人程度の小さな町に高等教育機関がつくられた例はありません。このプロジェクトを成功に導くことによって、日本ばかりでなく、世界の辺境にある小さな町や村に大きな夢や希望が届けられると確信し、今、奮闘を続けています。
玉村 「神山まるごと高専」(仮)といって、神山をまるごと学びの場として捉えて、テクノロジー、デザイン、さらに起業家育成という発想でやっていこうという学校ですよね。学生がまさしくイン・レジデンスするわけです。そういった仕組みを持つことが実は、地域の皆さんの様々な「気づき」や可能性を広げていくことにもなっていくのだと思います。
現場で実践しながらの学び
玉村 何かを現場で実践しようとする時はやはり学びながらというか、自分が見えることを広げていくとか、感じていることを客観視していくといったことが重要だと思います。大学院で学んでいる中村さんいかがですか。
中村 僕は移住して1年間、大学院に入るまでの期間があったんですが、それは僕がリクルートという会社の中で培ってきたことをアウトプットする時間だったかなと思っています。
一方で、僕は大学院生になってまだ2カ月ほどですが、新たな学びを通して急速に自分がいる場所の見方が変わってきています。例えば、政府、市場、コミュニティといった社会を構成する3つの要素の関係性が歴史的にどう変わってきて、今後どうなっていくのかといった見方を得ていくにつれ、この1年間、見てきた地域が、また違う活躍、違う挑戦のフィールドのように見えたりします。
僕はもともと市場原理の中の私企業の人間として組織開発をやっていたのですが、現在はそれに加えて、大学院生、公務員、そして地域コミュニティの一員という4つの人格や立場を持って生活しています。
今まで分かれていたものが融合していくということが、僕の場合、実際に自分の中で起きているわけで、何か今までと違う個人のあり方や働き方、そして地域のあり方やその変え方のパラダイムチェンジが学びによってもたらされるのではないかと思っています。
玉村 今の時代、大学院などでは、大学での学びと、現地に住み込み、現場の実感が目の前にありながら研究や挑戦をし続けることの相乗効果を得ることもできます。SFCだと「地域おこし研究員」という枠組みで、連携自治体に任用されて住み込み、政策・メディア研究科で学ぶ制度もあります。
2021年7月号
【特集:地方移住の現在形】
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