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【特集:地方移住の現在形】
座談会:地域の可能性を育む 自分らしい移住

2021/07/05

「田舎の枠」を広げる

大南 私自身、これまで神山で何をやってきたのかを考えると、たぶん、田舎の枠とか地域の枠をなくすのは非常に難しいから、それらを少し広げるような動きだったのではと思います。

どういうことかというと、普通は田舎ではあり得ないようなことを見せていくんです。例えば、車で15分走ったら3カ所もゴルフ場があるのに、わざわざバッグを抱えて、飛行機に乗って、2週間、アメリカのカリフォルニアにゴルフ旅行に行く。地域の人たちは、最初は「あいつらはばかか」と言っていた。

それは、田舎の枠だと思うんですよね。移住者だけでなく、もともと生まれ育った土地の者に対しても、この地域で暮らす人間はこうあるべきといった枠があるわけです。僕自身は、20代の半ばにカリフォルニアで暮らしたら、すごく空気が気持ちいいし、爽快だと知っているわけです。人間関係もすごくドライです。

そこから一転、梅雨の真っ最中みたいな神山の地域社会に戻ってくると、すごく窮屈です。地元の人間である自分自身がそのように感じるのだから、よそからやって来た人たちにはなおさらだろうと感じました。だから、その「田舎の枠」を広げることを始めたわけです。

田舎ではこんなことをやったら駄目と言われるようなことをやるわけです。地域の人たちは、最初はばからしいことという捉え方をするのだけれど、連続的に展開されていくと、それがあまり変わったことだと思われなくなる。そういう状況をつくり出していくと、結果的に、田舎の枠が広がってくるんですね。

すると何が起こるかというと、もともと生まれ育った人間も地域の中で手足を伸ばせるような空間が生まれる。余白が生まれるわけです。そういう余白の生まれた田舎というのは、田舎独特のある程度密接な関係があるとともに、ある程度の自由度があるという、いいとこ取りができるんだと思います。

結果的にそれが外から移り住んできた人にも、ちょっとここは普通の田舎と違って、自由度が高く、フラット、さらにオープンだよね、となるのかなと思います。

山中 今のお話はすごく納得です。この間、地域の企業の社長さんから「君たちが来て、僕の常識が完全にマヒした」と言われたんですね。だから地域の常識をいい意味でマヒさせていくということが重要なのかなと思っていますし、大南さんがやられてきたことも、まさにその先進事業だと思います。

玉村 大津さんが自然にやってきたことも地域の常識をどんどんと変えてきたのでしょうね。常識って、あると言えばあるけれど、枠を広げることはできるのですね。

ERI そうですね。最初に集落の人に驚かれたのが、街灯をつけるという話が持ち上がった時、「夜が暗いのが魅力。街灯を付けたら星が見えなくなってしまう」と私が言ったらしいんです。そのときに周りの人に「え?」という顔をされて。価値観の違いですね。

あと、三男坊が不登校になった時です。小さい頃から、「この先、誰も経験したことない状況や社会になっていくのだから、自分の頭で考えなさい」と育てているのに、学校に入ったらこれをやりなさい、あれをやりなさいと言われたので、いつ不登校になってもおかしくないと覚悟はしていました。だから、「お母さん、学校、行きたくない」と言い出した時、やっぱりね、という気持ちで「行かないのはいいけど、家にいるなら農業を手伝ってよ」と容認したので、学校は行かせるべき、という常識を持つ周囲からは結構引かれてしまいました。

話を移住に戻すと、移住に対してあまり構えすぎないのがいいんだと思うんです。正直、日本でも海外でも、ローカルに行けば行くほど保守的な空気やしがらみがあるのは同じだと思うんですけど、「しっくりいかないならまた別の場所に行けばいい」というぐらいの気軽さが重要かなと思うんですね。

ライフセキュリティを考えたら、タワマンに住んでいる友達に「そこにいて大丈夫?」って聞きたくなってしまう。何かあったらどうするの?って。そういう意味では、農村の常識を変えるのではなく、逆に都会の常識を覆すというか、「生きる」ことを意識して、住む場所を考えるべき時が来ているのではないでしょうか。田舎に移住したら収入は減るかもしれないけど、プライスレスな暮らしが待ってるかもしれないよ、という投げかけをしています。どちらが正解と言うのはもちろんありません。でも、都会にしか「良い暮らし」がない、という時代ではもうありませんよね。二拠点という選択肢もありますし。

自分にとって自然なこと

玉村 なるほど。確かに構えるといろいろなことを考えてしまいますし、結局、常識というのは皆がそれぞれ持っていて、それぞれ違うものなんですよね。中村さんは今、リクルート本社の人事や組織開発の仕事をしながら、壱岐に住んで、さらに、漁協の準組合員や地域の一員としてまちづくり協議会の活動もされていると聞きました。そういったことを、なぜ自然にされているのが気になるところです。

中村 そうですね、確かに、あまり自分が常識的な人間だとは思わないですが、自分がなぜ移住しているのか、その選択がなぜ自分の中で自然だなと思ったのかと言えば、社会人9年目の頃に改めて気がついた、自分が求める「あり方」にシンプルに従っているからと言えると思います。

それは何かと言うと、1つ目は「自由」であること。2つ目は常に「新しいこと」をやること、3つ目はそれを「自分でやる」こと、この3つ以外に自分が大切にしたいことはない、ということに気がつきました。今はその3つを自分の本能と捉えていて、それを満たせるか満たせないかだけで自分が何をするかを判断しています。

仕事もすべてそれで決めてきた中で、自然と湧いてきた選択肢が移住であって、「何で移住したんですか」と言われると、そういう自分の本能にただ従って、流れた先がたまたま壱岐でした、というだけの話だなというところがあります。

後づけで、なぜ壱岐だったのかとか、そこでどんなチャレンジに価値を感じているのかを語ることはもちろんできますが、正直に言えば、自分が生きたいように生きています、ということかなと思うので、僕の中の常識がそうだったということになります。

そうすると、「移住した」ということは、壱岐の人からも多くの会社員の方からも、非常識に映るかもしれない。移住というものをどの立場からどう評価するのかという視点もあるのだと思います。

玉村 すごく率直な思いですよね。「自分であり続ける」「自然である」ということ、それは結構大変なことです。だけど、その場所を選んで、そこにいることで「自分らしくあり続けること」、そして、自分勝手にではなく周囲と影響し合って、無理なく「自然であり続けようとすること」が、その地域の可能性や枠も広げていくことになるのだと思います。

地域に来る人に何を期待するか

ERI 大南さんに質問していいですか。私はアラフィフで気分的にはもう次は孫が欲しいぐらいですが(笑)、地方でも都会でも、今、昔の常識が通じなくなっています。それは人口が減っていて、その傾向が地方、農村部では特に激しいですから、今まで皆でやってきた常識というものがこのままでは継承できないという状況もあるわけですね。

そういうことに対して、今、中村さんが言った通り、「自然に行くよ」といった価値観は、若い世代の人は持っている気がするんですけど、年配の世代の方は違うと思うんです。

今のこの景観を守り続けてきたという価値はすごく大きいと思うんですけど、一方で、今までの常識がもう通じないという状況の中で、大南さんの同世代、またさらに上の世代の方の受け止め方というのはどういう感じなのでしょうか。

大南 私自身は、続いていかないことは無理して続ける必要はないという考え方で常に動いています。例えば、村祭りの参加者が減って成り立たないから神輿の担ぎ手が必要だ、若い人来てちょうだい、みたいな感じがありますよね。

若い人に来てもらうということに対して地域側の要望というのは、まず労力が足りないから手伝って、みたいなことが結構多く、これは若い人たちの能力の点で評価したら、非常に過小な評価になります。そうではなくて、この人たちが何ができるのかに焦点を当てた形で「手伝って」と言うほうがいいと思うんですね。

中村さんがおっしゃったように、「自然に」というのが一番いいと思います。僕らにできることは、とにかくまっさらな目で、田舎を見つめられる人をとにかくつないでいって、ありのままを見せる中で、ある人たちに気づきを持ってもらうことです。

人間に一番大事なのは気づきだと思っています。この気づきが難しいのは、気づきというのは本人の内側に湧き出てくるものなので教えられない。だから、できるだけ多くの人たちに、町の状況を見てもらう中で、これは自分が行動しなかったら、将来的になくなる可能性もあるな、と気づいた人たちに集まってもらって、その輪を広げていくという方法が大事だと思います。

「担ぎ手が足りないから集まって」みたいなことはモチベーションとして定着しないから、絶対長続きしない。地域全体を見て、「ここの町にはこういうことが足りないように思うから、そこを埋められるのは自分じゃないか」といった形で人が集まってくるイメージで捉えたほうがいいですね。

移住の問題に対する行政の向き合い方も、今はだいぶ変わってきています。以前は、とにかく定住者を増やそう、要は人口に応じて配分される地方交付税をより多く獲得したい、そうすればいろいろな事業ができるという発想でした。

そうではなく、結果的に、風のように吹き抜けて行くような人たちも、いろいろな機能を果たしているわけですね。神山はアーティスト・イン・レジデンスをはじめ、それがワークになり、クリエーターになり、トレーニーになり、今だったらスタートアップもあります。ホース・イン・レジデンス、馬のレジデンスまでできています(笑)。

レジデンスというのは、定住するわけではないのです。例えば1カ月から6カ月間ぐらい試しに神山に住み、いろいろなことをやってみる。その中から移住者が生まれていくという形なので、定着率が全体に高いのかなと思います。

結果的に、そうやって、いろいろなジャンルの人たちが町に集まり、それが関係人口をつくって、次なる変化をその人たちと一緒に住民が起こしていく1つの原動力になっているという気はしますね。

玉村 いいですね。守り続けると何もしなくなる。常に「気づき」をいろいろな人たちが持ち続けるということがないと、実は守り続けられないんだということがあります。

地方創生イコール人口問題として、人の数が注目される。それもそうですが、人が減ってしまうとなかなか気づきが得にくくなる。人が減ることで、共に行うことや人が出会う機会が減ってくる。いろいろな人たちが来て影響を与えることがないと、その地域が多様性もなく、可能性を感じなくなってしまうことが多いわけですね。

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