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【特集:地方移住の現在形】
地方こそ実学の宝庫である──福島での起業と、東京との二地域居住から

2021/07/05

  • 小林 味愛(こばやし みあい)

    株式会社陽と人[ひとびと]代表取締役・塾員

福島県の最北端にあり、阿武隈川流域の肥沃な粘土質土壌が豊かな恵みをもたらす国見町。果樹が主力産業であり、桃の生産量は町村規模で全国第1位である。

筆者は、2017年にこの国見町で会社を立ち上げた。そこは、「実学」の宝庫であった。

独立心を追い求めて──公務員、コンサル、福島での起業

筆者は、東京で生まれ育ち、大学卒業後は学生時代から関心のあった政治により近い現場で働くべく衆議院事務局に就職した。外務調査室という政府開発援助(ODA)や各種条約を調査する部署に配属になり、2年ほど働いた。その後、経済産業省へと異動になり、産業競争力強化法やコーポレートガバナンスなどの施策に携わったのち、より現場に近い会社で研鑽を積もうと株式会社日本総合研究所(日本総研)へと転職した。同社では、全国の地域活性化に携わり、観光振興や復興事業に従事した。

しかし、社会人になって以降、「社会的地位」と「虚無感」との葛藤に苦しんだ。国家公務員になった年は2010年。社会人2年目に差し掛かろうとした時に東日本大震災が起こった。職場のテレビに映し出される津波の映像、原発の映像、避難されている方々の映像。「社会の役に立ちたい」と国家公務員を志したものの、何もできない自分を悔いた。まだ何かをするには実力が足りなすぎるとも感じていた。そのため、まずは目の前の仕事を誰よりも完璧にこなし、職場で認められることに集中した。気づいた時には、自身の評価軸を「他者」に依存してしまっていたのである。その後、他者への評価に依存せずに地道に現場に向き合い、学びながら社会の役に立とうと日本総研に転職をしたが、そこでは会社と筆者個人の考えのギャップに苦しむこととなった。同社では東日本大震災の復興事業を希望して多くを担当していたが、当然原資は「税金」である。お金の切れ目が縁の切れ目となってしまっている現実に直面し、罪悪感に苛まれた。

そして、2017年8月、自宅は東京のまま、福島県国見町に「株式会社陽と人(ひとびと)」という会社を立ち上げた。スケールの大きなことはできなくなるかもしれないが、地に足をつけて地道に地域の方々と向き合い、社会課題の解決と経済的利益を両立していく事業を展開することにした。

まずは、地域の本質的な課題を整理する必要があると考え、会社を立ち上げた当初は事業計画もなく、定款には想定しうるあらゆる事業目的を記載し、農作業のお手伝いをしながらさまざまな方に話を聞いた。そこで、本当は「価値のある資源」が廃棄されていたり、活用されていない、という現実に気づくこととなった。そこで、それらの「もったいない地域資源」を活用した新規事業を開発していくことにしたのだ。

人口増加を前提とした産業構造からの転換──桃の流通

国見町は桃の産地であるが、まず驚いたことは「生産地と消費地の情報の非対称性」であった。生産地では、例えば「綺麗で大きい桃」が「価値のあるもの」と捉えられ、選果基準もそのようにできているため小玉だったり少し見た目が悪いものは廃棄されてしまっている。国見町では、年間約3千トンの桃が生産されているが、そのうち少ない年で1割、多い年で4割が規格外品になり、廃棄または格安で加工用に買い取られている。

この背景には、産地から消費者に届くまでの複雑な多段階流通構造があることを知った。例えば、産地から消費者に青果が届くまでには、生産者、集出荷段階、仲卸、卸・売買参加者、商社、卸売業者、物流各社などの複雑な構造があり、その結果生産から消費までの距離が遠くなり、鮮度や味の劣化、手数料の重加算による薄利多売構造、それによる働く魅力の低下、川上と川下での情報の非対称性による価値基準の差などが少なからず生じていると感じた。

確かに、人口が増えていた時代は、食料の安定供給・量販店での販売の観点からもそのような選果基準で等級を分けて流通させることが効率的であった。しかし、人口減少時代に突入し、さらに人々のニーズが多様化している現代において、これまで価値があるものとされてきた基準のみでなく、「少し見た目が悪いもの」や「少し小さいもの」に必ずしもニーズがないとは限らないのではないか、という問題意識を持つようになった。

また、桃を1つつくることがいかに大変なことか。桃の木を植えて3年、枝を剪定し、蕾をつんで、花が咲いて散ったら、桃となる小さい実を落とす。季節をめぐって1年中、木の成長の過程で、収穫するその日まで「人の手」による農作業が行われている。その年の気候、その日の天気に合わせて、その時々に必要な手作業を加え、桃を1つ1つ大切に育てているのだ。1つも無駄にしたくなかった。

そこで、この複雑な流通の多段階構造ではない仕組みを新たに構築し、これまで「規格外品」とされていた桃も含めて必要なところに流通させる構造をつくる、ということに挑戦することにした。物流コスト、資材コストをいかに下げるか、生産者に負荷がかからないようオペレーションをどう組むかなど、数えきれないほどの壁にぶつかり、周囲からは「難しい」、「できない」と言われることも多々あった。しかしながら、世の中決して「100パーセントできない」ことはなく、1つ1つ「どうしたらできるか」を考えて改善していった。その結果、お値打ちの規格外品のみでなく、相乗効果で正規品も多く売れるようになった。このような話をすると「JAと競合しないのか」など、地域の農業関連団体との関係について質問をいただくことが多い。しかし、私たちは競合する気は一切なく、地域での「共存共栄」を目指している。この規格外の果物を扱うビジネスは、JAや伊達果実農業協同組合が福島の美味しい果物をしっかりと安定的に共選で全国に出してくれているからこそできることであり、私たちは既存の仕組みの中で「やりきれていない部分」や情報発信など「迅速に対応していく部分」を担っているのである。JAや伊達果実農業協同組合とさまざまな意見交換をさせていただきながら、地域のために同じ方向を向いて1歩ずつ進んでいる。「東京の人はお金持ち」と言われることがよくあるが、東京に住んでいる人が皆裕福というわけではない。産地からお値打ちの品を届けることで、どんな人でも、子どもたちにも、果物を身近に感じてもらい、毎日の食卓に福島の果物が並ぶ、そんな光景を力を合わせてつくっていきたい。

流通上の選果基準で規格外品となった国見町特産の桃
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