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【特集:地方移住の現在形】
地方こそ実学の宝庫である──福島での起業と、東京との二地域居住から

2021/07/05

新しい目線で地域のお宝を発見──柿の皮を活用したオーガニックコスメ

国見町の特産品の1つに「あんぽ柿」という干し柿がある。あんぽ柿の素材となる渋柿(平核無柿(ひらたねなしがき)や蜂屋柿)も桃と同じように丹念な手入れのもと栽培されている。収穫後、枝の部分を残してヘタを取って皮を剥き、カビや変色を防ぐために硫黄で燻蒸し、紐に吊るして干場で40~50日程度、水分が50パーセントほどになるまで自然乾燥をする。こうして、羊羹のようにとろりと柔らかく濃密で甘い「あんぽ柿」はでき上がるのである。私たちが取り引きをしているあんぽ柿生産者の方々は優しく実直なお人柄。真摯な姿勢で農業と向き合い、多くの時間と労力を費やしてあんぽ柿の生産を行っている。しかし、生産者の高齢化や人手不足もあり、せっかく栽培した柿も収穫しきれずに収入につながらなかったり、さまざまな要因で儲からない特産品になってしまっている。そこで目をつけたのが、あんぽ柿の製造工程で廃棄されてきた「柿の皮」という未利用資源の活用である。まずは「柿」や「柿の皮」についてあらゆる資料を読み漁り、農家・研究者などから話を聞いて勉強をした。その結果、昔はあんぽ柿の皮を干して子どものおやつにしていたことや、柿の持つ効果効能・科学的エビデンスがわかってきた。そこで、柿の皮から成分を抽出して筆者が好きなオーガニックコスメをつくることに決めた。抽出方法から成分分析、配合、香り、テクスチャー、効果効能試験まで、心から納得のいくものができるまで3年の時がかかった。そして2020年1月にオーガニックデリケートゾーンケアブランド〈明日 わたしは柿の木にのぼる〉を発売開始することができた。

開発の背景には、未利用資源を活用して地域の所得を向上させることに加え、自身が体調を崩してしまった過去の経験がある。国家公務員時代からコンサル時代にかけて休みなく多忙な日々を送っており、業務が深夜にまで及ぶことは日常茶飯事であった。やりがいを感じてはいたものの、身体にも精神にも相当な負担がかかっていた。そのような日々を過ごす中で気付いたのは「心と時間にゆとりをもつことが大切」ということであった。そして私と同じように頑張り過ぎてしまう女性が、自分自身を見つめ直す契機となる製品をつくりたいと感じるようになった。製品の開発途中、妊娠、出産を経験し、妊娠中、自分ではどうしてもコントロールできないホルモンバランスの乱れや意欲の変化にとまどい、出産後は慣れない育児のなかで出産前とは異なる身体に不安を覚えたのが正直な気持ちである。

〈明日 わたしは柿の木にのぼる〉は、すべての女性の味方でありたいという願いを込めたデリケートゾーンケアブランドである。仕事、家事、育児など、あらゆることを1人で抱え込んでしまう女性は、決して少なくない。「デリケートゾーンは自分の心と身体を知るバロメーター」だ。不摂生やストレスなどによって自律神経や女性ホルモンのバランスが乱れると、デリケートゾーンにも症状として現れる。そのため、デリケートゾーンケアを通じ、無理をしていないか、身体に不調はないかなど、心身の変化に気付いていただき、より自分らしい生活が送れるよう、女性たちが心と身体をいたわるきっかけをつくっていきたい。

このように、地域には「今まで価値がない」とされていたものの、過去の歴史や研究を遡り、新しい目線で捉え直すと、それは現代の「お宝」に変わっていくのである。

地方で起業したことで変化した価値観

国見町で会社を立ち上げて、「価値観」に大きな変化があった。その一例を紹介したい。

①当たり前の日常への感謝

スーパーにたくさんの農産物が並んでいる光景が当たり前の時代に育った世代である筆者は、お金を払えば食べ物は当たり前に手に入るものだと思い込んでいた。しかし、東日本大震災発生直後、東京から食糧が消えた。当時、衆議院議員会館にいた私は唖然としたことをよく覚えている。食べ物は「誰かがつくって」、「誰かが運んで」、「誰かが購入できるようにお店を構えて」くれているのだ。

国見町の桃農家の鈴木夫妻は美味しい桃をつくるために手間を惜しまない。自然の力だけでなく、人の手による丁寧な仕事があってこそできる農産物。実際に同じ国見町で、同じ土、同じ気候、同じ品種であっても、育てる生産者によって味は変わってくる。それでも2人は「お天道さまが育ててんの」と言い切る。

「難しいのは、お天道さまと樹木の関係を我々人間が完全に把握できてないこと。桃も柿もお天道さまがつくってっから。花が散って葉っぱが出てきたら、葉に太陽が当たることで光合成をして根っこに養分がいって、根っこが畑の土から養分を吸って、木を育て実を育て美味しい果実がなる。そんときにたとえば、葉っぱに太陽が当たるように剪定するのが農家の仕事さあ」。あくまでも、主役は「自然」であって、農家はそのサポートをするだけ、という謙虚な姿勢を筆者は尊敬している。

めぐる季節と太陽とともにある、2人の仕事と暮らし。冬場は、朝8時から日が暮れる17時ごろまで、夏場は朝4時から太陽が昇りきる11時まで、畑に出て農作業をしている。

私たちは、豊かな自然とそして人間の努力・技術によって毎日食べることができているのだ。鈴木夫妻との出会いは日常生活の中で忘れてしまいがちなことに対して感謝の気持ちを持つことを思い出させてくれた。

福島の柿の皮を原料とした「陽と人(ひとびと)」のオーガニックコスメ

②1円の重み

サラリーマンの時は、労働に対する対価として給料を貰えることが当たり前だった。仕事でも「1円」を気にすることはなく、もっと大きな予算を相手に格闘していた。しかし、独立すると働いたからといって給料が入ってくるわけではない。莫大な予算がいきなり渡されることもない。そう、私はサラリーマン時代に1円を稼ぐことに苦労したことがなかったのだ。

当社は上記の桃の流通を構築することから始めたと書いたが、初めから物流を構築できるわけもなく、最初は東京の路上で桃を自分で手売りしていた。たかが1円かもしれないが、その「1円の重み」と購入してくださるお客様、信頼して取引してくれる農家の方々への感謝の気持ちは今でも毎日忘れることはない。

③人間交際の本質

これまでのサラリーマン人生では、もちろん人間交際は必要ではあったが、どちらかというと同じ価値観・思考パターンをもつ狭い社会の中で論理性や正当性が求められてきた。当然、独立しても論理性は必要だが、地域で求められる能力のベースはあくまでも個人の人間性である。とくに、地域外からきた人間に対しては「儲かるから売る」という経済合理的な判断はほぼなされず、「信頼しているから売る」というように「信頼」が大前提となるのである。どのような商売でも本質は同じだとは思うが、特に地域外からきた人間にとってはこの信頼を築いていくことがいかに大変か。論理性ではない以上考えても始まらないので、「嘘をつかない」でありのままの自分で正直でいる、という肩の力を抜くことを意識的に行った。不思議なものだ。人目や他者からの評価を気にしていたサラリーマン時代とは比べ物にならないほど心地よいのだ。話し方や表情や交流が、「人間交際を活発にしよう」と意識しないでもありのままで自然にできているのだ。筆者は他者との関わりの中で「幸福感」というものを感じるようになった。

多拠点という生き方を選んだ

では、なぜ「土地に根付かず」に、会社は福島、自宅は東京という2拠点での生き方を選んでいるか、最後に少しだけお伝えしたい。

1点目は、会社として価値を発揮する、つまり、福島にとって私たちが意味のあることをするためには、情報も人も集まっている東京や消費地のニーズと現状をいち早く把握し、迅速かつ柔軟にアクションしていく必要があるということである。ただし、この点は現地にしっかりと根付く社員たちがいるからこそできることであり、彼ら彼女らには心から感謝したい。

2点目は、1カ所にとどまると筆者自身がその環境に左右されやすくそれに伴い視野が狭くなる傾向にある、ということである。適応力がある、とも言われるが、逆に言えばその環境に合わせて生きていくことになってしまうため、その環境の中での評価や価値基準にとらわれ、気づいた時には自分を客観的に捉えることが難しくなっている。多拠点が「正解」というわけではないが、自分の性格や特性を踏まえると、この生き方が現時点では心地良い。だからこそ、多拠点生活を経て得た知見を社会へ還元していきたいと強く思う。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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