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【特集:学塾の歩みを展示する】
大学沿革史編纂の現在地

2021/05/10

大学沿革史を取り巻く状況の変化

こうした歴史をもつ大学沿革史だが、近年周囲の状況がこれまでと変わってきているように感じられる。ここでは、その変化を3点にまとめてみたい。

文書館(アーカイブズ)との関係

大規模沿革史が次々と編纂されるようになると、編纂のために集めた貴重な資料を管理・活用し、場合によっては公開する施設の必要性が認識されはじめた。今日本の大学にあるアーカイブズの多くは、沿革史編纂組織を前身としている。慶應義塾福澤研究センターも元は『慶應義塾百年史』編纂を行っていた塾史編纂所であるし、筆者の所属する京都大学大学文書館も『京都大学百年史』刊行が設置の要因の1つであった。

しかし今ではその関係が逆になっている、つまりすでにアーカイブズが存在している大学が沿革史編纂を行うようになってきた。ということは、以前は編纂組織が一から資料収集していたのが、アーカイブズが蓄積してきた学内外の資料をふんだんに利用することができるようになり、沿革史の内容がより充実する可能性が広がったわけである(もちろん、そのアーカイブズの資料収集度合いによるが)。

その一方で、アーカイブズが沿革史編纂とどのように関わるかは整理しておく必要がある。資料の受入・整理・公開を行うアーカイブズと、その資料を使って歴史編纂を行う業務は別のものなので、アーカイブズは資料の提供に徹するべきだというのが筆者の考えである。

電子媒体の本格化

刊行物を紙で出すのが当たり前だった時代は過去のものとなった。大学沿革史にも電子化の波はやってきている。映像や音楽などを附録的にCD・DVDなどで視聴させる大学沿革史は、少し前から存在していた。それが近年では本格的に電子媒体を使用した沿革史が現れている。管見の限りでは、2014年に刊行された『立命館百年史 資料編3』がまず挙げられる。通史編も合わせた全6巻のうち、1980年代以降の資料を収録したこの巻がDVDで刊行された。そして、2017年に完結した『九州大学百年史』は写真集を除く11巻すべてウェブ上でのみ公開され、紙媒体はつくられなかった。大学沿革史もここまで来たかというのが筆者の実感である。

今さら言うまでもないが、電子媒体にはメリットがある。紙幅という紙媒体では絶対的だった制約が事実上なくなったこと、重い本を持ち歩く必要がなく電子機器さえあればどこにいてもアクセスできること、検索が可能なこと、更新が可能なこと、そして制作サイドからすれば紙代・印刷代などが不要で安くつくこと(多分)が大きなメリットとして数えられよう。反面、やはり電子媒体は読みにくい(特に筆者のような世代には)、複数の箇所の比較対照がしづらい、更新可能なかわりにどの時点をもって完成とするのか曖昧である、などのデメリットがあるのも確かである。双方の利点を考慮しつつ、ふさわしい媒体は何かを考えなければならないだろう。

執筆主体の問題

日本の大学沿革史、特に通史部分はその大学の教員が執筆するのが一般的である。1名あるいは数名で書く場合も、何10名が分担執筆する場合もある。しかし、そうした体制が今後も続けられるかどうかは難しいと筆者は考える。その理由の1つは教員の多忙化である。本業の研究教育だけでなく大学内外のさまざまな業務に時間を取られている教員が、自身にとってメリットがない(場合が多い)沿革史執筆に主体的に関わるとは考えにくい。2つ目の理由は、頻繁な大学の組織改編である。研究教育組織や事務組織が次々新設・統合・廃止されていくなかで、過去の組織について書ける人材がどれくらいいるのだろうか。教員自体も任期制や人事の流動化で、良くも悪くも自らの組織への帰属感が薄れている。そうしたなかで沿革史執筆が可能かどうか、悲観的にならざるをえない。なかでも各部局の歴史、言い換えればその大学の研究教育の歴史を今後どれだけ記すことができるか、難しくなっていると思われる。

沿革史をつくる目的は何なのか。もちろん答えは1つではない。卒業生に多額の寄付をしてもらうため、大学のいいところだけを「つまみ食い」する沿革史もあるかもしれない。それは少々極端だとしても、「建国神話」よろしくある種の固定的なイメージを持たれている大学は存在する。他ならぬ京都大学の「自由の学風」もその1つかもしれない。戦前の滝川事件に代表されるような大学自治への姿勢、戦後の自然科学系ノーベル賞受賞者の多さなどがその現れとして語られる向きは確かにある。では、そうしたイメージを補強するために沿革史をつくるのか、と問われるならば筆者は否定的である。少しでも確実な1次資料を使い、一見事実の羅列と思われる歴史叙述であっても、その大学の軌跡、それぞれの時代の中で選択してきた道を書き記していくことで何か見えてくるものがあるはずと筆者は考えている。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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