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【特集:3. 11から10年】
座談会:震災復興から考えるレジリエントな社会

2021/03/05

危機に強いまちづくりとは

 最後に取り上げたいのは、今のコロナ禍です。コロナのような感染症には災害のように公衆衛生の国際的な枠組みはほとんどない。各国ばらばら、地域もばらばらで、共助や公助があるかどうかも分からない。地域の経済の状況はどん底にあります。

コロナの災いは、それに対する地域の考え方、あるいはまちづくりの考え方、コミュニティーの考え方に、3. 11からの復興と似たような側面があるかもしれないと思います。コロナのことも含めて、これからレジリエントな、危機に強いまちになっていくためにはどうすればいいのでしょうか。

福迫 コロナは異質な面もあるのですが、基本的に災害は常に起こり得る時代になった。そうすると災害との共生が大きな課題になりますし、災害に強いか、強くないかというのが、まちが生き残れるかどうかという基準にもなってくるだろうなと思います。

そういう意味で、私自身地域の状況には危機感を持っており、突き詰めると最も基本的なところは、先ほど菅原さんからありましたように、「地域を知る」ということだと思います。自分が住んでいる環境等をある程度知っていれば、例えば津波や豪雨災害などからも最低限、避難できると思います。コロナのような感染症に関しても自分のまわりの環境が、どの程度の状況なのかを知ることで行動の変容にもつながってくるでしょう。

震災等の危機に強いまちを広く捉えると「持続可能なまちづくり」ということになると思うのですが、そうであればやはり、これからの地域がどういう方向に進むのかというビジョンが、非常に重要です。しかし、それをなかなか適切に出せていない。これは行政の役割が大きいと思うのです。

その時に参考になるのは、規模の最適化ということも含めて、建築や都市計画の知見をまちづくりに活かすということだと考えています。

「リノベーションまちづくり」が各地で行われていますが、これは、復興ということを考えると、非常に重要なポイントだと思います。残せるものは残すけれど、大きく変えるものは変える。例えば大家族が、子供たちが巣立っていったら小さな家にするのが最適であるように、地域社会でも、ダウンサイジングということも含めて、最適なまちづくりをしていく必要があるのだろうと思います。

この点、被災地全体に言えることですが、福島県浜通りでもなかなかダウンサイジング的なことが言えない。どうしても「震災前より」ということで、新しい外資を呼び込んで、素晴らしい豪華なものにしていこう、となってしまいます。いわゆるライフサイクルコストの観点なしにハコモノをどんどんつくっていくのでは、持続可能なまちづくりは難しいと思います。

規模の最適化ということからすると、分散やコンパクト・プラス・ネットワークということが言われていますが、それを都市政策、そして国の方向の中でどう位置付けていくか。圏域ということも当然重要なテーマです。

災害が起きたら1つの自治体、特に小さなまちだけで対応するのは難しいわけですから、圏域での連携を進めていく。そして、人口減少の中で地方がどうすれば持続可能なのかを、国もさらに踏み込んで示すべきです。地方も人口減少の悲観的な話はしたくないと思いますが、それを超えて、最適なまちや地域は何かを考えていくことが、これからの10年の主要なテーマになっていけばいいと考えています。

小檜山 コロナ禍ということで、人類の歴史を振り返ると、こういった疫病は何度も何度も人類を襲っており、それらを克服してきて、今の私たちがあるのではないかと思います。

そういった過去の歴史を振り返りながら、もう一度私たちの文化を、このコロナ禍を乗り越えていくために適応させる。レジリエンスには元の姿に戻るということだけではなくて、与えられた状況に上手く対応していくということもコンセプトに含まれています。コロナ禍の状況を踏まえて、うまく私たちの社会を変えていくということが必要なのではないかと思います。

人と人のインタラクションだけではなくて、人と建築とまちのインタラクションというものも当然存在している。こういった相互作用を解明して、私たちが持っている免疫力・治癒力を最大限高めるような建築デザイン、まちづくり、設計計画の理論を作り、実践していかないといけないと考えています。

コロナ禍を超えて

菅原 本当にコロナというのは、精神的にはすごく響いていますよね。気仙沼でも、やっといろいろなものが再建してきて、工場も稼働率を上げてきたところにコロナで、食産業が中心の地域ですから、水産加工や漁業の分野まで打撃を受けています。飲食業や、ホテル等の旅館も、やっと立ち直ってきたところでこのダメージですから、相当つらいものがあるのが現状です。

何とかそれを乗り越えようとして、今一生懸命やっていますが、先ほど厳先生がおっしゃたように、課題もやることも災害と少し似ている側面がある。政府の文句を言ってもしょうがないのですが、震災直後の対応と今回のコロナ対応はよく似ているんですよね。小出し、縦割りみたいな。もう少し現状を見つめながら、きちんとした政策を打てないのかなと思います。

常にわれわれは政策の小出しをされてきましたし、縦割りであったために進み方がすごく遅かったということを経験してきています。やはりここを何とかしないと、日本は本当に強い国になれないのではないかなと思います。

一方、少し震災の経験も生きていまして、震災発生当時は、様々な復興の主体を集めて何かをやるという仕組みが地域の中になかったんですが、今回はその経験があるので、例えばコロナ対応を皆でどうしようか、という集まりも結構早いんですよね。集まって皆で意見を交換したりすることで、何か作戦が見えてきたり、精神的にも楽になることができる。これは、やはり震災後の大きな経験かなと思います。

これから、地域をより強くしていくということを考えると、われわれ住民側、民間側も、連携という話になってくるのかもしれませんが、行政とも一緒になって、常に結集できる仕組みをつくっておくことが大事かと思います。

紙田 菅原さんがおっしゃったように、つながりというのは常に持っていないと、いざ大変なことが起こった時に、あたふたしている中で、1から組織や会議体をつくらなければいけなくなります。やはりソーシャルディスタンスは取っても、ソーシャルな「つながり」は常にキープしておかないといけないですね。

最近私たちの分野では「事前復興」という言葉がよく言われます。被災もしていないのに事前に復興するというのもおかしいような気もしますが、災害が発生したことを想定し、被災を最小限にとどめる「防災まちづくり」と、いざ被害を受けた時に、いち早く復興できるための「事前準備」の2つを合わせたものです。事前に皆でいろいろ考えておき、組織、つながりを強く持って復興計画を立てておく。事業の継続性についても事前に考えておく。あるいは、津波被害が起きそうなところでは事前に高台移転しておくという取り組みです。

まさにレジリエンスということで、何かが起きた時に被害を最小限に抑え、さらにいち早く元に戻し、新たな社会の中で、新たなあり方を皆でつくっていける社会にしていかないといけないのかなと思います。

 ハードウェアは震災の直後に計画されてつくられているので、コロナになって、考え直すところもあるかもしれませんが、いろいろな側面において対応力は高いと思います。

また、このようなハードをつくるプロセスの中でつくられてきたソーシャル・レジリエンス、コミュニティーのつながり、マネジメントの力、内外の人のつながり、情報のつながりというのは継承されて、むしろコロナの災いの中でも、さらに強くなって活用されていくのだろうと、皆さんのご経験、現場の実践から実感いたしました。

10年後に、コロナの時に受けた打撃は、日本では震災の経験を生かして復興も非常に早かったという話をしたいですね。

本日はどうも有り難うございました。

(2021年1月22日、オンラインにより収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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