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【特集:3. 11から10年】
災害復興法学のすすめ──東日本大震災10年とリーガル・レジリエンス

2021/03/05

  • 岡本 正(おかもと ただし)

    銀座パートナーズ法律事務所弁護士、岩手大学地域防災研究センター客員教授・塾員

災害復興法学の誕生

慶應義塾大学に「災害復興法学」の講座が誕生して約10年になる。2012年に法科大学院、翌年に学部で授業を始め、既に4千名を超える学生が巣立った。新型コロナウイルス感染症の影響でオンライン授業となった2020年度は過去最多の700名以上が履修した。振り返ればこの10年で、岩手大学、福島大学、長岡技術科学大学、中央大学、青山学院大学、日本福祉大学などに災害復興法学の関連講座を創設する機会に恵まれた。単発の講義・研修ならば数百講に及んでいる。

災害復興法学とは、弁護士による災害時の無料法律相談活動で収集された被災者の声を分析して明らかになった「リーガル・ニーズ」から、既存の法制度の課題を発見し、それらを解決する政策提言や法改正の実現を目指す学問である。法解釈学を主とする法律学分野にとどまらず、法制度の構築過程に着目する公共政策学でもある。政策形成に関わりその過程を記録して未来へ繋ぐことが災害復興法学の大きな役割である。災害後にいかに希望を見出して生活再建や復興を成し遂げていくか。そのために必要な法制度・防災教育・危機管理とは何かを模索し続けている。

東日本大震災が起きた2011年3月11日、筆者は、内閣府行政刷新会議事務局に弁護士資格のある専門官として勤務中だった。行政改革などの政策立案を担当して既に1年半が経過していた。言葉を失う凄惨な津波被害や原子力発電所事故の報道。緊急事態に即応すべく猛烈に動き出す関係機関。これほどの危機に直面し、一体何の役に立てるのだろうかと悩み、自問自答する日々が続いた。実はこのとき、既に多くの弁護士たちが被災地に赴き、被災者への相談活動を始めていた。災害直後から活動する弁護士の存在を知り、衝撃が走るとともに体を突き動かされた。弁護士が集めた被災者の生の声は、復興政策に欠かせない法制度の根拠事実になると直感したのだ。復興支援の一助を担いたいと願い、内閣府と兼業して日本弁護士連合会(日弁連)の災害対策本部室長に半ば押し掛けで就任した。これが災害復興法学の原点になった。

被災地4万件のリーガル・ニーズ

弁護士による被災者無料法律相談活動が明らかにしたのは、被災地からの絶望ともいえる声だった。「家族が職場で津波に流され行方不明。生活の糧も失った。高校生になった子供もいるが貯蓄も減り、先が見えない」「仕事場でもあった自宅を失った。住宅ローンが何千万円と残っている。廃業に繋がるので破産はできないが、ローンは支払えない。絶望的だ」。災害直後から聞こえてくる声に言葉を失う。同時にこれらの切実な声は、1つも無駄にすることなく記録し、視覚化し、政策に反映すべきであるとの思いを一層強く固めた。多くの弁護士や研究者らとともに、日弁連で1年余りのうちに実に4万件を超える法律相談事例を集め、データベース化するプロジェクトを遂行した。

宮城県石巻市は、東日本大震災当時、人口約16万人の都市であったが、津波により3,600名以上が犠牲となり、工業地帯も中心市街地も壊滅的被害を受けた。同市における被災者のリーガル・ニーズの傾向を図式化したものを見ると、賃貸借契約を巡る多種多様な紛争、住宅ローンが払えないとする悲痛な叫び、遺族の悲しみと暮らしの先を見通せない絶望、公的な給付や住まいの支援を求める声などが色濃く浮かび上がった。生活再建に向けて複雑な法制度を利用しなければならない課題が、被害状況を反映したかたちでひしめいていたことが分かる。目に見えない被災者のリーガル・ニーズが、具体的な数値として視覚化されたことは、被災地のリアリティを政策担当者やメディアへ訴える効果を生んだ。

東日本大震災における宮城県石巻市の被災者のリーガル・ニーズ傾向(2011年3 月~ 2012年5 月:3481件)。 なお、4万件に及ぶ相談事例の詳細分析結果については、『災害復興法学』及び『災害復興法学Ⅱ』(いずれも慶應義塾大学出版会)にて詳解。

法政策提言の軌跡とノウハウの伝承

被災者のリーガル・ニーズの分析により、既存の法制度の不備が浮き彫りになり、弁護士らによる政策提言を加速させた。例えば、多額の負債がある場合に相続しないようにする「相続放棄」手続の申請期限(熟慮期間)は、民法により相続開始から3カ月以内である。しかし、東日本大震災の被災地からは「正確な財産がわからず、短い期間では放棄をすべきかどうか判断できない」「相続放棄という制度を初めて聞いた」という遺族の声が多数に及んでいた。これを受けた弁護士らの素早い立法提言により、2011年6月、熟慮期間を8カ月以上に伸長する民法の臨時特例法が議員立法で成立したのである。その後、臨時特例法は恒久法(改正特定非常災害特別措置法)としても整備され、熊本地震、西日本豪雨、令和元年東日本台風、令和2年7月豪雨でも相続放棄の熟慮期間延長措置が発動されている。

また、原子力発電所事故による損害賠償に関しては、「裁判所の訴訟手続では時間と立証の負担がかかりすぎる」という被災者の逼迫した事情が浮き彫りになっていた。そこで、簡易・迅速・柔軟な手続きで賠償の合意形成が可能となる裁判外紛争解決手続(ADR)の創設が切望され、2011年夏には政府内に準司法機能を持つ「原子力損害賠償紛争解決センター」の設置が決まった。筆者は微力ながら内閣府任期中から組織設立に関与し、内閣府退任後1カ月経った同年12月から2017年7月まで同センターの総括主任調査官となり、200件以上の原子力損害賠償紛争の和解仲介や賠償基準策定に関与した。

住宅ローンや事業ローンが支払えなくなった被災者が抱える問題は深刻である。東日本大震災直後は、支払不能状態の被災者が経済的に再生するには破産手続しか途がなかった。しかし、信用情報登録による新規借入制限などで事業継続や生活再建が阻害されることを懸念し、法的な破産手続は利用できないという被災者の声が高止まり状態にあった。弁護士らの精力的な政策形成活動の末、2011年7月、東日本大震災時の特例として「個人債務者の私的整理に関するガイドライン」(被災ローン減免制度)が誕生した。被災した債務者が金融機関と合意をすることで、公的な支援金や相当程度の現預金のほか、一定の資産を残したうえで、それを超える金額のローンを免除できる制度で、信用情報登録されないため、新規借入制限のデメリットもないという画期的支援内容である。その後、2015年12月には、災害救助法適用の自然災害一般に利用できる「自然災害の被災者の債務整理に関するガイドライン」が制定される。こうして臨時のガイドラインがきっかけで恒久制度が誕生し、熊本地震をはじめ多くの自然災害で被災者の生活再建に寄与し続けている。

この国の未来を担うあなたへ

東日本大震災後の新しい復興政策も、阪神・淡路大震災など過去の災害からの政策課題を知る先人の活動なくしては実現しなかった。今度は、東日本大震災に関わった世代が課題や知恵を伝承する役目を果たす時である。法制度の不備をいかにして発見するか、どのような法理論で提言を作るか、ステークホルダーはだれか、協働すべき専門分野はどこか、メディア対応や世論形成はどう行うか、政府や国会との連携はどう生み出すか、といった知恵を、「復興政策の軌跡」として記録しておく必要がある。

そこで思い至ったのが、「災害復興法学」の創設と大学講座開講だった。法政策の課題や知恵を伝承するプラットフォーム構築を意図したのである。共感してくれた慶應義塾大学や、その後に連携できた大学・研究機関に改めて感謝したい。授業を重ねる過程で生み出された教科書『災害復興法学』と『災害復興法学Ⅱ』、そして博士論文「災害復興法学の体系──リーガル・ニーズと復興政策の軌跡」は、災害時に絶望の中から諦めずに声を上げて政策を実現してきた復興政策の軌跡を、将来危機に直面するかもしれない我々の子供たちに向けて書き記したものである。

2020年10月に「『自然災害による被災者の債務整理に関するガイドライン』を新型コロナウイルス感染症に適用する場合の特則」が制定された。弁護士らの緊急提言を踏まえて、新型コロナウイルス感染症の影響で危機に陥った個人債務者の救済に「被災ローン減免制度」のしくみを利用することになったのである。東日本大震災を契機に弁護士らが被災ローン減免制度を提言し、実現させたノウハウがなければ成しえなかったことである。このような知見を経験者だけに留めず、未だ危機を経験していない「この国の未来を担うあなた」へ伝えなければならない。

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