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【特集:3. 11から10年】
小さな地域から見た復興──石巻市大川地区の10年

2021/03/05

復興工事が進む長面・尾崎集落(2019年8月2日、槻橋修神戸大学准教授によるドローン撮影)
  • 中島 みゆき(なかじま みゆき)

    毎日新聞記者、東京大学大学院学際情報学府博士後期課程・塾員

大規模自然災害により住む場所を失った人が、尊厳をもって暮らしを再建するには何が必要か。東日本大震災後、そんな問題意識をもって宮城県石巻市大川地区に通い続けている。地域は今、新型コロナウイルスの感染拡大により、静かな「震災10年」を迎えようとしている。イベントや会合は軒並み自粛され、ボランティアの来訪も減少している。地域を構成する9行政区のうち4行政区(集落)の約400世帯が内陸に移転し、かつての居住地では漁師が操業しているほか、防潮堤など今年度末を目標とする石巻市震災復興基本計画に位置づけられた工事とトラックの音が、住む人を失った浜に響いている。

この10年、大川地区の人々はどのように「復興」への道を歩んだのか。どんな困難や問題があったのか。小さな地域から見た復興の10年を辿る。

地域の概要と被害状況

大川地区は石巻市北部、新北上川河口域の海と川と山が合わさる場所にあり、2489人が暮らしていた。東日本大震災により418人が命を奪われ、河口に近い四集落(間垣(まがき)、釜谷(かまや)、長面(ながつら)、尾崎(おのさき))は災害危険区域に指定された。川を遡った津波により河口から3~5km離れた集落での被害が大きく、釜谷では3割、間垣では4割を超す住民が犠牲となった。釜谷集落にあった石巻市立大川小学校では、児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となった。

表 大川地区4行政区(集落)の被災状況

4集落の人々は避難所生活を経て2011年夏に被災現地から約15km内陸の仮設住宅に入居した。住宅再建は間垣で5戸の現地高台移転が成立したが、他の集落は約15km内陸へ集団移転した。移転地「二子(ふたご)団地」は石巻約3割が段階的に本設住宅に移転した。旧居住地では農漁業が営まれているが、尾崎・長面集落の電力復旧は2013年8月、公共水道復旧は2016年秋までかかった。

筆者は2004年、自然と人をテーマとする連載のため尾崎集落を訪れ、坂下健さん・清子さん夫妻を取材した。健さんは20年にわたり漁協の組合長を務め、清子さんは地域の魅力を伝えようと半農半漁の暮らしを体験する小さな民宿を営んでいた広葉樹の山に囲まれた静かな内海・長面浦の美しさと、人々の暮らしぶりが印象に残った。

震災後に訪ねると、地域は壊滅的な被害を受けていた。釜谷集落は大川小と鉄筋コンクリートの建物2棟以外すべて流され、長面集落は地盤沈下で大半が水没していた。両脇が潟のようになった細い道を進み、仮設の橋を渡って尾崎集落へ着くと、健さんは漁場復旧に奔走し、清子さんはボランティアの人々に飲み物をふるまっていた。

東日本大震災は「土地の被災」と言われる。暮らしや記憶の拠り所となる家やまちを根こそぎ失った人々が再び住むには何が必要か。中長期かつ構造的に見つめたいと考え、「参与観察」という形で復興のプロセスに伴走してきた。そのなかで、人々の尊厳には、まず防潮堤や住宅などインフラ整備に意見が反映されるか、次に祭礼や共同作業など地域のつながりの拠り所となる場や物語を共有できるかが大きく影響するのではないかと考えた。以下その2つの視点から、大川地区の10年を時系列に沿って振り返る。

手探りの復旧と防潮堤

最初の2年間、被災現地に外形的な大きな変化は見られなかった。漁師らは手探りのまま生業再建を目指して働いた。長面浦は汽水域の内水面という環境に恵まれ大粒の牡蠣が1年で育つ優良漁場だが、津波で半数以上の養殖いかだと漁協の共同出荷作業場を失った。漁師は漁場を整備し、残った牡蠣を出荷する道を探った。住宅再建は、釜谷集落が2011年5月に内陸への集団移転で合意したが、他の3集落では議論が続いていた。地域全体では、各集落の世話役らで構成する「大川地区復興協議会」が同年12月に発足した。

「復興って何だ」。健さんから尋ねられたのは2012年夏のことだった。7月下旬、長面浦に面した尾崎、長面集落の住民に防潮堤建設計画が説明された。高さ8.4m、防潮堤を長面海岸を経て北上河岸まで伸ばすことで、L1(100年に1度)の津波に対応する計画だった。住宅再建も電気や水道復旧のめども立たない状況下でなぜ防潮堤だけが具体化するのか。漁場への影響はどうなのか。問われて、もっともだと思った。同年9月、牡鹿半島の荻浜(石巻市)で住民ワークショップを開き、復興計画づくりを支援していた建築学生2人と、尾崎へ行った。学生は長面浦に防潮堤ができたシミュレーション画を描いた。それを見た健さんは「どうしたら止められるのか」と尋ねた。学生は「住民意志を形成することが大切です」と答えた。

健さんが漁師に声をかけ12月18日、第1回「長面浦の復興と漁業を考える会」が仮設住宅集会室で開かれた。建築家の竹内昌義・東北芸術工科大学教授、大沼正寛・東北工業大学准教授(現・教授)をファシリテーターに、防潮堤や地域の復興に関する意見を聞き取った。漁師らの疑問は大沼准教授がまとめて石巻市河北総合支所に確認し、解説した。当初は不確かな情報に基づく臆測もあり議論がかみ合わなかったが、会合を重ねるうちに、尾崎の防潮堤を低くすること、漁師休憩所と集会施設の機能を備えた「番屋」建設を目指す方向性が出てきた。2013年9月に30代の漁師・小川英樹氏を代表とする一般社団法人長面浦海人が発足し、①番屋建設と漁業再生、②交流拡大、③地域の記憶伝承──を段階的に目指すことになった。

津波と地盤沈下により広範に浸水し、全壊した家 屋の一部が残る長面集落(2012年2月5日)。
復興工事が進む長面集落(右)。左が尾崎集落、 奥が長面浦(2019年8月2日、槻橋修神戸大学 准教授によるドローン撮影)
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