【特集:3. 11から10年】
座談会:震災復興から考えるレジリエントな社会
2021/03/05
「レジリエンス」の意味
厳 レジリエンスの中には、フィジカル・レジリエンスとソーシャル・レジリエンスという2つの捉え方があります。フィジカルというのは、まずは土地の条件です。そこの土地の地理条件が脆弱で損害を受けやすいかどうか。
例えば気仙沼で言うと、昔の人は高いところに住んで、災害に備えていたのだと思いますが、開発が進むと、便利なところに産業が集積し、そこがやられてしまうという脆弱な一面もあったのかと思います。これは港町なら全国どこでも同じなのだろうと思います。
一方、ソフト、つまりソーシャルな面で言うと、当然、短期間で変えられるものではありませんので、必ず遅れてついてくるところがあります。つまり、復興ではハード先行とよく批判されますが、ある意味、しょうがない部分もあります。
小檜山先生は、非常に知見があると思いますが、いかがでしょうか。
小檜山 レジリエンスという言葉が東日本大震災後に聞かれるようになったというお話がありましたが、これはもともと材料力学の用語で、19世紀から使われている非常に古い言葉です。
意味合いとしては、棒みたいなものに力を加えた時に、どれぐらいまで、ひずみが残らずに元に戻れるような形でエネルギーを蓄えることができるかを表していて、日本語だと「しなやかさ」というのが、割としっくり対応するのかなと思います。
これが心理学であるとか、あるいは私が取り組んでいる防災学であるとか、いろいろな分野で比喩的に「元の形に回復、復旧、復興する」という意味で使われるようになってきました。
地震工学の分野では、2000年代の初頭にレジリエンスという概念を耐震設計に取り入れようという提案がされました。レジリエンスを高める手段に、Robustness( ロバストネス)、Redundancy(リダンダンシー)、Resourcefulness(リソースフルネス)、Rapidity(ラピディティ)の4つのRというものがあります。
Robustnessというのは、昔から言われている地震に対する強さ、「頑健性」ということになります。Redundancyは「冗長性」で、1つやられても代替のもの、予備のものを用意しておいて機能を維持しようというものです。
それから、Resourcefulness というのは、日本語では聞き慣れない単語ですが、「臨機応変性」。持っている様々な資源を上手く活用して困難に対応していこうという機知を表しています。最後のRapidity は「迅速性」、つまり、素早く復旧するということです。この4つを総合したような力がレジリエンスだと提唱されました。
従来は災害の時に、これぐらいの地震力が来るだろう、これぐらいの津波の浸水深になるだろうという想定をして、それに耐えられるように構造物の設計が行われていました。しかし、それだけではなくて、想定を超えるような大きな外力、外乱が起こった時でも、上手く対応して元の姿に戻れるようなデザインを目指そうということが、2000年代の初めに提唱されたのです。
その後、多くの災害を実際に経験して、こういったことが本当に必要なんだということを認識するに至って、レジリエンスという言葉が普及するようになってきました。
厳 なるほど、そういう順序なのですね。
小檜山 私たちが生きている社会には、建築・土木構造物といったハードも、経済的な営みも、人と人のつながりもあります。そのそれぞれにレジリエンスというものがあると思います。災害で非常に大きな心の傷を負った中で皆さんこの10年間、復旧、復興に取り組まれてきたわけです。
住まいを失った方がまず仮設住宅に入られて、その後、恒久的に住まわれる住宅に入る。これはマイホームの場合もありますし、災害公営住宅の場合もあるわけですが、住む環境を様々変えて、その都度、変化する環境に適応しながら復旧、復興に当たっていかないといけない。
その中で、大きな心の傷を負った方々が、いかに回復していくか。自分が生きてきた、いわば人格を形成する一要素である建物、まちなどの環境が破壊されるということは、ものすごく大きな心の傷になるわけです。そういった時に、自分たちの力で住んでいる環境を主体的に取り戻していく。これが深い心の傷を負った人が、心の回復をするのに非常に大切なのです。
ピカピカの今まで見たことがないような新しい道路や橋・建物に違和を感じるのであれば、この10年間の復興の過程で被災された方々が、それらをつくるプロセスにどのように主体的に関わってこられたかを、改めて検証する必要があるのかもしれません。
実は被災した方々の心と体はつながっていますので、新しいまちを主体的に取り組んでつくるということは、健康を取り戻す上でも非常に大切なプロセスになります。レジリエンスというのはハードの面だけが大事ではありません。建物やまちと人間の関わり合いを考慮した復旧、復興への取り組みが大切であると、研究で次第に明らかになってきています。
高台移転の課題
厳 非常に示唆のある知見でした。このことにすごくつながりが深いのが、田老地区の堤防や復興ではないかと思います。紙田さんも現場で、様々な方と会われていると思いますが、いかがでしょうか。
紙田 私は現場で住民の方々と一緒に復興に取り組んできましたが、田老地区も国交省の事例集に載ったぐらい、ハード面では上手くいったと言われています。高台移転が予定より早くできあがったということでした。
でも、私は、「復興事業を迅速に行う」というのが必ずしも良いとは限らないと思うのです。皆が住みたいと思えるようなまち、仕事がちゃんとあるまち、高齢者がちゃんと集まり、触れ合い、震災前からの近所付き合いができるようなまちをつくらないと、いくら早くハードができても、魂が入っていないまちになってしまうと思うのです。
田老地区では復興後の居住地について、選択肢を作り一人ひとりに問いかけました。市街地の中の国道を移設、嵩上げし、その山側に嵩上げ市街地ができるよう計画しました。
また、市街地は怖いから住みたくないという方には、市街地の北東に隣接した山林を造成し、高台移転する選択肢を用意することができました。昨今の擁壁設置および盛土造成の技術により、急峻な場所でも多くの戸数の集団移転団地を造成することが可能になったのです。
そして、皆さんにどちらに住みたいですか、というアンケートや個別面談を何度も行いました。すると、もうまちから出ていきたいという方もたくさんいらっしゃいました。また、高台に住みたいかと聞かれても、その高台は、できる前は単なる森ですから、どんなまちになるのか分からない。だから、土地利用の配置だけを言われても、答えられないという人も結構いました。
ハード面だけを図面で決めて、「皆さん、どうぞ移転してください」と言っても、住民の方々にとっては、自分たちがどんな生活が送れるのかが一番大事なので、そのあたりを一緒に考えていかないと、復興というのは上手く実現できないのではないかと思いました。
宮古市は商工業と漁業のまちですが、漁業が盛んな地区の担当部署は、漁港が全部壊滅していたので、そのハード面の復旧に手を取られ、産業の復興が後手に回っている面もありました。
最近のことで言うと、田老の区間は割と遅かったのですが、内陸部を通る三陸沿岸道路(復興道路)が最近つながったんですね。ところが、そのおかげで、まちなかの交通量が激減してしまった。復興のために道の駅を海沿いに新たにつくったり、ハード面は進んできたんですが、逆にそのために地域の衰退が進んだという状況もなきにしもあらずです。
必要となる平時の備え
厳 今のお話を伺うと、先ほど申し上げたハードのレジリエンスと、人のソーシャルなレジリエンスとの間につなげるものも必要という気がしました。
福迫さんはいかがでしょうか。
福迫 2019年に台風19号が全国で猛威を振るい、福島県でも甚大な被害が出ました。とくに中通り地域という東北新幹線が走っている地域の阿武隈川水系で非常に大きな被害が発生し、工業団地一帯が浸水しました。
衝撃的だったのが、浜通り地域のいわき市において、関連死も含めて13人という、基礎自治体として全国最多の人的被害を記録してしまったことです。
いわき市は福島県の中でも東日本大震災の直接被害を受けた地域であるにもかかわらず、台風災害に対応できなかった。これには、河川対策などハードの部分もあるわけですが、それ以上にソフトの部分が弱かったという課題が浮かび上がってきました。まさにレジリエントなまちづくりにかかわる大きな問題だと思っています。
私は市の台風検証委員会のとりまとめをしましたが、やはり情報の出し方や、台風に備える準備といったところが、行政のみならず地域全体で非常に弱かった。結果的に「今までなかったから大丈夫だろう」という正常性バイアスが働いて逃げ遅れて亡くなってしまった人がいたわけです。
こういった事態をどうやって防いでいくかを検討したのですが、ソフトの部分で言うと、日頃の準備ということを、こうした災害が起きたことを契機に周知、意識を高めていく。当然ハザードマップがあり、ほぼハザードマップ通りの被害だったので、自分の住んでいる地区のリスクは分かっていたわけです。しかし、住民の方もそれをあまり意識していなかった。
そして、ベースとなる平時のネットワークというものをつくっておく必要があります。
まずは行政の体制として、地方自治体は、今後災害対応がある意味で日常業務となるので、何かあった時に動ける体制をつくっておき、非常時の人的配置をフレキシブルにできるようにしておくことが必要です。いわき市では、来年度から危機管理部を創設し、その中核として機能することとしています。
さらに、行政と民間の平時のネットワークをつくり、いざと言う時に、様々な人や企業に関わってもらう体制を強化していく必要があります。
企業でも、いわゆるBCP(事業継続計画)をつくるにあたって、行政との連携が進んでいます。自治体と商工会議所等民間組織が連携し、災害発生直後、さらにある程度時間が経つ中で、どういう対応をしていくかを準備する体制をつくっておくことが必要であろうと思います。
2021年3月号
【特集:3. 11から10年】
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