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【特集:「トランプ後」のアメリカ】
中東から見たアメリカの政権交代

2021/02/05

イラン核合意復帰への道

バイデンも選挙戦で中東問題に触れることは少なかった。バイデン自身は、かつてユダヤ人でもないのに、みずからをシオニストと呼んだことからも推測できるとおり、熱心なイスラエル支持者であり、したがって、中東和平に関する、エルサレムへの大使館移転などトランプの成果を全面的に覆すようなことはないだろう。とはいえ、実際の政策としては、民主党の公式の中東和平政策である、交渉による「2国家解決」の実現を目指し、パレスチナ側にもある程度、配慮した政策を取る可能性は高い。

米国の中東政策の比重が、イスラエル=パレスチナ問題からペルシア湾に傾いていったのは長期的傾向であり、バイデン政権においても、目に見えて変わる可能性が高いのは湾岸政策であろう。たとえば、トランプ政権ではレジーム・チェンジをも視野に入れた強硬な対イラン政策が取られたが、バイデンはJCPOAへの復帰を明言している。新政権での国務長官アントニー・ブリンケン、国家安全保障担当補佐官ジェイク・サリバンの2人ともオバマ政権時代に対イラン政策に関わっており、アメリカのJCPOA復帰への人事面での体制は整っている。だが、そのためには、トランプの課した「最大限の圧力」を撤廃するほか、アメリカのJCPOA脱退後にイランがその規定を無視して進めた核開発も元どおりにしなければならず、これは相当ハードルが高い。実際、イラン側は、核合意を反故にしてウラン濃縮度を20%にまで上げようとしている。

また、イランと対立するイスラエルやサウジアラビア、UAEなど、トランプ政権時代の中東における最重要同盟国からの反発もあるはずだ。新しいJCPOAにサウジアラビア等を関与させる可能性も報じられている。いずれにせよ、バイデン政権が、イランの「アラブ諸国への介入」を容認することはないだろう。アメリカがイランとの関係改善に向けてすぐに具体的に動きはじめるとは考えづらい。

他方、アラブ諸国が警戒していることには、バイデン大統領が人権や環境に関心をもっている点も含まれる。中東の大半の国は非民主的な政治体制だ。トランプ時代であれば、大量の武器を購入したり、ロビー活動に莫大な資金を投入したりして、お目こぼしをはかれたのだが、バイデン政権ではたしてそれが通じるかどうかは不明である。とくにトランプ政権と強固な友好関係を構築していた湾岸アラブ諸国は戦々恐々かもしれない。

すでにバイデン政権を見越したのか、サウジアラビアやUAE、カタルなど湾岸諸国では、民主化とはいえないまでも、外国人労働者の人権に配慮したり、宗教的規制を緩和したり、国民の政治参加を拡大したりといった政策を打ち出している。

複雑化するアメリカ中東関係

しかし、これで十分かというとそういうわけにはいかない。とくにサウジアラビアについて、バイデン大統領は、2018年秋のサウジ人ジャーナリスト殺害事件を念頭に「(サウジアラビアに)これ以上武器を売るつもりはないし、彼らに(ジャーナリスト殺害の)代償を支払わせる」と主張し、「イエメンにおけるサウジ主導の戦争への支援を終了させるつもりだ」とも語っている。

アメリカを拠点にしていたサウジ人ジャーナリスト、ジャマール・ハーショグジーがサウジアラビアの実質的支配者ムハンマド皇太子(MbS)の政策を批判し、トルコの古都イスタンブルのサウジ総領事館内で殺害された事件では、当のMbSが関与しているとの説が欧米メディアでは根強い。仮にアメリカがMbSの責任を厳しく問うことになれば、両国関係が拗れるのは目に見えている。サウジアラビアにとっても、アメリカとの関係悪化は、安全保障の面でも、MbSがイニシアティブをとる脱石油依存の改革の面でも悪影響をおよぼしかねず、得策とはいえない。

だが、サウジアラビアが取りうる選択肢で、バイデン政権が納得しそうなものはそう多くない。もっとも期待できるのは、バイデンも言及するイエメン紛争の打開であろう。イエメンが解決の方向に動けば、今世紀最悪といわれた人道危機(欧米はこの点についてきわめて強い懸念を示している)も改善するだろうし、サウジアラビア・UAEの有志連合とイランとの関係も少しはよくなるかもしれない。もっとも、イエメン紛争はきわめて複雑であり、そう簡単に解決するとは思えないが。

なお、アメリカはシェール・オイルの開発拡大で、すでに原油生産量は世界一となっている。1940年代からのサウジアラビア・米国間の石油と安全保障の交換を基礎とする「特殊な関係」は大きく変容している。しかし、いぜんとして中東石油に依存している国も多く、サウジアラビアのような巨大産油国が不安定化して、石油の供給が滞れば、世界経済が混乱しかねず、そうなれば、アメリカにもネガティブな影響がおよんでしまう。

サウジアラビアを筆頭とする湾岸アラブ諸国は、バイデンが大統領になれば、イランと宥和的に対応し、アラブ諸国とは距離を置こうとしたオバマ政権の政策を踏襲するのではないかと懸念していた。バイデン政権がイランとの関係改善を望まず、イスラエルの安全保障に揺るぎない関与を継続するためには、アラブ諸国との堅固な関係が必須である。それには、バイデンの公約であるJCPOA復帰とイランとの和解が別ものであり、イランのアラブ世界への干渉をアメリカが防ぐことで、アラブ諸国を納得させなければならない。

バイデンが当選を確実にしたとき、多くの中東アラブ諸国はすぐに祝意を表明したが、サウジアラビアとイスラエルからの祝意表明は遅れた。両国ともその後、きちんと祝辞を述べたが、このあたりにも、バイデン大統領に対する警戒感をうかがうことができる。

バイデン政権の中東政策の課題

なお、トランプ大統領は大統領選での敗北がほぼ確実になったあとも、中東への関与を継続していた。11月にはイスラエルのネタニヤフ首相が極秘裏にサウジアラビアを訪問したと報じられ、これにはアメリカのポンペイオ国務長官も同席していたとされる(サウジ側は否定)。すでにトランプ大統領の仲介でUAE、バハレーン、スーダンがイスラエルと国交正常化に合意しており、12月にはモロッコがつづいた。イスラエルから見れば、アラブ・イスラーム世界の盟主をもって任ずるサウジアラビアがそれにつづくかどうかは、イスラエルの外交上、きわめて重要であり、他の国の場合とは訳がちがう。また、それがトランプ外交の総決算となるか、バイデン時代に持ち越されるかも注視していく必要がある。

他方、2017年にサウジアラビア、UAE、バハレーン、エジプトがカタルと外交関係を断絶し、経済封鎖を科した、いわゆる「カタル危機」でもアメリカはクウェートとともにサウジアラビアとカタルのあいだの関係改善を仲介している。実際、年初の湾岸協力会議(GCC)サミットでサウジアラビア等4カ国はカタルとの国交回復を発表した。これで完全解決に至るかどうかは不明だが、こうした肯定的な動きは、バイデン政権下でも継続するはずだ。

さらに、対テロ戦争については、バイデン自身、アフガニスタンや中東から大半の部隊を撤退させ、任務をアルカイダとIS殲滅に限定すべきだと述べている。この方針自体、トランプ政権のそれと変わらない。実際、トランプも、バイデンの当選確実が報じられたのちに、大統領就任式直前の1月15日までにアフガニスタンとイラクの駐留米軍をそれぞれ2500人にまで削減すると発表し、実際そのとおりに実行した。アフガニスタン等に駐留する米軍の撤退はトランプ大統領の重要な選挙公約だったが、実際にはそれによってテロ組織や反体制武装組織が復活し、アメリカや当該政府への脅威が高まる可能性も出てくる。そのため、軍のみならず、共和党や関係国からも懸念の声が出ていた。4年間等閑視していた選挙公約を、任期終了を間近に控えた時期に突然実行したのは、次期政権に継承される対テロ戦争の政策上の選択肢を狭めることにもなりかねない。

2020年の湾岸諸国はコロナ禍で石油価格が暴落するなど、深刻な被害を受けたが、その間隙を縫うかたちで中国が外交攻勢をしかけている。彼らが安全保障の柱をアメリカから中国へと変更するとは考えづらいが、バイデン政権がつれない態度を取るようなら、中国のプレゼンスはますます大きくなるであろう。中東における経済的プレゼンスが縮小しつつある日本もこの点では他人事ではない。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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