三田評論ONLINE

【特集:青少年とスポーツ】
座談会:よく遊び、よく学んで、強くなる

2020/03/05

ライフスキルを磨く場として

大谷 現役時代は日本代表になったほどレベルが高いテニス選手で、今はテニスのコーチをしながら、指導者としての能力をレベルアップしたいと、 健康マネジメント研究科の博士課程で、私のところで研究をしている野沢絵梨さんという大学院生がいます。

松永 私の1つ上の先輩です。

大谷 その研究テーマですが、彼女が大学生をコーチする際、高校の時はすごくいい選手であっても、大学に入ってきて順調に伸びる子と全然伸びない子がいるというのです。 素質自体はさほど違うとは思わないので、これは何が違うのかを究明し、コーチングに生かしたいと言う。

野沢さんの仮説では、テニスのレベルの高い高校では、全寮制もしくはそれに近い環境で、しっかりした指導者が付いて、練習方法も練習時間も管理され、いわばテニス漬けの生活を送ることができる。 ある意味で理想的な環境なのですが、そのような環境では、言われたことを徹底的に再現できる子が伸びる。

ところが大学では、衣食住を含めて自立が求められる環境に変化するので、毎日の生活を自分できちんと管理し、その中で自分の頭で考えてテニスと向き合わなければいけない。 それができる子はさらに伸びるし、「大学は高校と違って何も教えてくれない」と考えてしまう子は伸びない。きれいに2極化するのではないかと考えたんですね。

松永 同感ですね。テニスの場合、ご両親がジュニアの頃から付きっきりでスクールや大会に連れていったり、マンツーマンで見てこられたご家庭が多いので、中学校ぐらいまでは本人が何も考えなくてもお膳立てされている状況が多いと思います。

高校でも、まだご両親がすごく熱心で、どこか自立しきれない子もいます。 大学生になると、さすがに自立しなければいけないのですが、そうなったときに何も考えられない人が、まさにいるのかなと。

大谷 ライフスキルという言葉がありますね。生きて行くのに必要な問題解決能力と考えればいいと思うのですが、野沢さんの研究の次のステップとして、 大学時代に学生としてはトップレベルだった人たち9人に、卒業してから4年以内にインタビューしたんですね。

そういう人たちが大学時代にコーチや監督から何を教わったのか、あるいは自分自身で何を学んだのか、そのことが自分の問題解決能力をどのように高めたかについて尋ねました。 そうすると、やはり内省能力、コミュニケーション能力と、それからコーチの言ったことを鵜呑みにしない能力、これがカギだと。

上田 それはよくわかりますね。

大谷 今まで教わってきたことと違うことを言われた時、それをどう自分の中で咀嚼して取り入れるのか、あるいは切り捨てるのか、という判断ができるかどうか。

これはただテニスをやっているだけでは身に付かない能力ですよね。いわばその種を植え付けるツールが野球であり、テニスであると、指導者の方に捉えていただくといいのではないかと思うのです。

先ほどのお話を伺って、上田さんは野球を指導しながら、やはり人間教育をされているということではないかなと私は思ったのですが。

上田 よく冬などに、野球とは全然関係ない、例えばまさに問題解決能力の高い、マネジメントをやっている方に講演していただくことがありました。 パン屋のそばにセブン-イレブンができてパンが売れなくなった。そのパン屋を再生させるにはどうしたらいいだろうというテーマを与えられ、グループで話すのです。3年間でそれが一番楽しかったという子もいる(笑)。 まったく野球の話ではないんですね。

でも、そういうことが野球にも生きてくるのです。つまり、どうしたら上手くなるのか考えるようになる。 そんなことばかりやっていました。練習しないでいいので楽だから、喜んでやっていたのでしょうけれども(笑)。

スポーツを通じて得る人間力

大谷 私は医学部のバスケットボール部の監督を20年ぐらいやっているのですが、医学部は学生が全員医者になるので、卒業後は学生時代以上に勉強しなくてはならないのです。 むしろ学生時代は勉強から離れる時間が取れる時で、そこでスポーツをやる意義はすごく大きい。

社会に出て患者さんや病気と対峙しながら問題解決能力を養うよりも、学生時代に負けて挫折を味わって、それをどうやって克服するか、 つまり、どうやって一回でも多く試合に勝つかを考えるトレーニングを積む意味はとても大きいと思います。 基本的に医学部の連中は皆、優秀ですから、一生懸命考えると結構、解決策を見つけてきます。

学生時代にスポーツで試行錯誤して思い通りにいかないことこそが大事だと私は思っています。 医者になってから上手くいかないようでは、もうアウトなんです(笑)。 医者というのは絶対に勝てる試合しかやってはいけない職業です。 でも、学生の時は試合に負けることを経験できる。

塾体育会バスケットボール部の部長もやっていますが、やはり社会に出てから、様々な問題にぶつかる前に逆境に出会うのは、人生ではチャンスなんです。 そういう時に何を考えて、どうすればいいかを部員が体験し、学習することは、きっと後の人生に役に立つと思います。

学生たちにはそういう経験を通してぜひ人間力を養ってほしい。 「俺は慶應義塾の出身だ」と言っても社会に出たら何も通用しませんが、 社会人として「あいつ、なかなかいいじゃないか。どういうキャリアパスだ?」と言われた時に、「慶應の体育会出身か。なるほどね」と言われるような人間になりなさいと、卒業の時にいつも言っています。

スポーツはそれ自体が楽しいのですが、それがまた教育のツールとしても、またとないものではないかと思っていて、これを利用しない手はないのです。

この話を幼稚舎生にしてもたぶんわからないかなと思いますが(笑)。

松永 本当におっしゃるとおりです。 幼稚舎生には言葉で伝えるということはなかなか難しいかもしれませんが、運動会で優勝した時に一致団結した高揚感とか、自己肯定感みたいなものを 小学生でも感じてくれているな、と感じる時があって、そういう体験を多くさせてあげたいと思って指導に当たっています。

小学生相手にテニスを上手くさせようということよりも、テニスを通して勉強する。「国語、算数、理科、社会、テニス」みたいな感覚で捉えてやっています。

大谷 難しいのは実際にテニスが上手くならないと、子供たちの目が輝かないことですね。 「できなかったことができるようになる」というのは人生最大の喜びの1つですから、それを実現してあげることは大切です。

教育のツールとしてスポーツが優れているもう1つの点は双方向性にあります。 たとえ相手が小学生でも、何かを教えると必ず教えている側にも何かが返ってきます。だから教えているつもりで教わっている、ということがきっとたくさんあるはずです。

「できた」という自信

佐々木 実際に大学生を教えていて思うのは、体育は個々のそれまでの経験が随分違うし、どういう気持ちでそれまで体育の授業を受けていたかということでもまた違ってくるのです。 私はエアロビクスを担当しているのですが、あまり運動が得意ではないけど、「競争もしなくてよさそうだから、やってみようか」と思ったという子が結構います。

実際に私の授業では「これは間違っている」と言うことはありません。とにかく動き続けて、先生の真似はするけれど、「できなくてもよいから」と言うと、できなくても怒られないことにびっくりする子が結構います。 その不安が払拭されると、「このぐらいできた」ということが自覚できて、大学生でもそのことがすごく自信になっていることがわかるのです。

大谷 なるほど、面白いですね。

佐々木 この「できた」という感覚は、すべてのことに共通するので、自分で何か「ここまでやりたいな」ということを少しずつ設けて、それがクリアできることは自信になるし、楽しいことにつながることをわかってもらうようにしています。 そうすると、別に運動でなくても楽しく取り組めるよ、と言っています。

この「動機づけ」を自分でつくれるかどうかはすごく大事で、それにはスポーツで、体を動かして自分が変わっていくことを感じられるということが1つの大きなきっかけになるかなと思っています。 運動はやれば絶対変わります。そして、きちんとやれば駄目になるということはほぼないので、大学生でも何か自信を持てるのです。

それだけ体育という科目は、好きでやっている子もたくさんいる反面、それが苦痛だという子が結構いるのだと思います。 せめて大学生の時にそれを払拭してあげたい。運動が嫌いなまま世の中に出てしまうと「運動をまったくやらない」人が増えてしまいますので。

特に女子に多いんですね。「できなかった」ということをいい加減に考えられない。 それを「こんな感じでもいいんだよ」と言ってあげると、「そう なんだ」と気づいて、まったく変わってきます。それは子供でもまったく同じです。

大谷 それは大事なことですよ。何か課題を与えて、できる子はA、できない子はCとか評価してしまうと、まずいですよね。できない子はみんな嫌いになってしまう。

佐々木 特に身体は個人差がすごくあって、そもそも有利・不利がスタート時点にあるのです。だから、もう少し違う目標をそれぞれが持てると、それぞれが頑張れるかなと思います。

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