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【特集:青少年とスポーツ】
「体育会系」の未来──若きスポーツ人たちの自立性・自律性をめぐって

2020/03/05

  • 來田 享子(らいた きょうこ)

    中京大学スポーツ科学部教授

スポーツという経験それ自体は、社会における公正、自由、平等の達成をめざす行動に直結するわけではない。そうした行動に欠かせない自立性や自律性もまた、スポーツをしていれば自然に養われる、というわけではない。スポーツが体罰、暴力、性暴力、行き過ぎた勝利への執着の現場となっていることを示すメディア報道を見聞きするにつけ、そう考えざるをえない。

一方で、これらのメディア報道には、「スポーツなのに」というニュアンスを、ともすれば感じることがある。「スポーツ=教育的」という短絡的な理解が、いつの間にか形成されてしまっているのではないか。問題は、スポーツをするか否かではなく、どのようにスポーツをするか、ということにあるはずだ。

そもそもスポーツに教育的価値があるという理解は、いつから、どのように形成されることになったのだろうか。

娯楽から教育の文脈へと移行したスポーツ

18世紀から19世紀にかけてのイギリスでは、それ以前から娯楽として楽しまれてきた狩猟、射撃、釣り、ヨットのような野外の遊びと、クリケット、フットボール、テニスなどの組織的ゲームが区別されていた。楽しむ人々の階層が高いものと低いものによる区別、どのような教育的価値があるかによる区別……。

19世紀初期には、野外の遊びは上流階級の娯楽だとされた。その理由は、予期しない事態の変化に対応する能力が育つことだとされた。 ジェントルマンに必須の能力が得られる娯楽、というわけである。

19世紀後半には、組織的ゲームの是非に関する議論が『タイムズ』紙の寄稿欄を賑わせた。この時期、パブリック・スクールでは新興中産階級の子弟たちが学ぶようになり、生徒たちの間では、ルールを備え、チームで行うような組織的ゲームの人気が高まっていた。これを懸念した上流階級出身のパブリック・スクール卒業生たちは、自分たちが親しんできた野外の遊びと組織的ゲームとの間に線引きをし、ランクをつけようとした。

組織的ゲームの擁護者はこれに応戦したが、組織的ゲーム側でも一枚岩といえる理解がされている状況にはなかった。上流階級や新興中産階級の人々は、クリケットに比べ、田舎の子どもや労働者も楽しんだフットボールをあまり受け入れようとはしなかったという。

いかに野外の遊びの「上流」性が強調されようとも、組織的ゲームのおもしろさは若者たちを惹きつけたのに違いない。組織的ゲームを擁護する人々は、この遊びには20世紀に向かう欧米社会のリーダーに相応しい人格や道徳性を身につけるための教育的な価値があることを強調し、組織的ゲームのランクをあげようとした。トーマス・ヒューズがパブリック・スクールでの学校生活を描いた名著『トム・ブラウンの学校生活』(1857)には、クリケットを教育的に価値づける会話が随所に登場する。

たとえば、規律と互いへの信頼をベースにしたチームの勝利は、自己犠牲の覚悟を伴う努力を要する点で、自分だけが勝利をめざす個人競技より、リーダーの資質を養う機会になるとされた。また、極限まで勝利をめざして最善を尽くす中でも相手に敵意を払い、結果に対して平静さや寛容さを失わない精神は、ゲームによって養われる美徳であるとされた。

日本における「スポーツ」への教育的意味の付与

英米系の辞書や辞典の“sport” や“sportsman” の訳語が日本でどのように変遷したかをたどった阿部生雄の研究によれば、“sport” の訳語の初出は、1814年『諳厄利亜語林大成(あんげりあごりんたいせい)』の「消暇(ナグサミ)」である。その後、釣りや猟などの野外活動に加え、より強く「競技」と関係する言葉として理解した訳語を充てたのは、『井上英和大辭典』(1915)であった。阿部は、このような語の理解には、辞書の編纂者であった井上十吉がパブリック・スクールのひとつであるラグビー校の出身者であったことが影響したと指摘している。この辞典の後、岡倉由三郎による『新英和辞典』には、“sportsman” の訳語として、競技における精神を理解している人物である、という倫理的ニュアンスがつけ加わった。この辞典が刊行された1927年前後には、国内では水泳や陸上競技などの競技を統括するスポーツ組織が設立され、競技スポーツが定着している。

こうした辞書における意味の変遷をなぞるように、19世紀の終わりから20世紀にかけての日本では、娯楽としてのスポーツに教育的意味を与え、復権させようとした軌跡がみられる。

1897年7月から3年弱発刊された、日本最初のスポーツ雑誌『運動界』の論調は、そのわかりやすい例のひとつである。この雑誌は、スポーツの教育的価値を主張する作品を熱心に掲載し、スポーツをする者は、身体的な強さ、勇壮さ、性的乱れのない人間であることを強調した。さらに、スポーツとは対極にある存在として「文学」や「文弱」を置き、身体的な弱々しさや人間の内実的な薄弱さなどの否定的な意味を与えることによって、スポーツの価値を高めるような文脈を多用している。

別の例もある。1911年8月から約1カ月、『朝日新聞』は「野球と其害毒」と題する記事を連載した。連載では、著名な教育者や医学者の語りによって、当時の社会ではエリートである学生にとって、野球がいかに相応しくないものであるかが主張された。この頃、早慶戦が熱気を帯び始めた一方で、校長会等では、スポーツが教育機関における「弊害」であると捉えられるようになっていた。野球を否定する連載記事は、野球愛好者たちと正面からぶつかることになった。「野球害毒論争」と称されることになった執筆合戦で愛好者たちがとった手段は、野球には教育的・医学的な反対論を覆すような教育的価値や優れた影響があると主張することであった。

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