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【特集:NPOの20年】
座談会:今、あらためて問うNPOの役割

2018/11/05

NPOの情報発信の変化

宮垣 では山田さんも、思うところをお話しいただけますでしょうか。

山田 僕は1996年に慶應を卒業して日本財団に就職しました。本格的にNPOに関わるのは2005年、福祉の担当になってからです。2006年には、日本財団がCANPANという、NPOの情報発信、情報開示を促進するため、団体情報データベースで情報開示を行い、ブログで情報発信する仕組みをつくりました。私も、そこから本格的にNPOの情報発信支援という形で携わるようになりました。

2005年頃から日本でもブログが流行り出しましたが、それまでのNPO活動は、基本的に「これをやりました」という事業報告しか情報発信をしなかった。それが、インターネットを活用して「今こんなことをやっています」という形で事業の進捗を発信できるような時代になっていったのです。

インターネットなどの情報発信ツールを使ってNPO自身が積極的に情報発信をすることで、いろいろな人とのつながりをつくっていく。今はそのための情報発信支援を行っています。

宮垣 活動されている方々とは中間支援という立ち位置でお付き合いすることが多いと思いますが、この間の変化は大きなものですか。

山田 インターネットを活用して積極的に情報発信できる時代になると、今までとは違う人たちとつながりやすくなります。また、今までNPOは企業から支援される立場でしたが、今はNPOに企業がノウハウを求めに来るような時代になっています。例えば「マドレボニータ」という、産後ケアの活動を行っている団体には、企業から産後ケアのノウハウを知りたいとアプローチが盛んに来ます。

慶應ですと、文学部の心理学の学生だった竹内弓乃さんと熊仁美さんという2人の女性が学生時代から始めた、「ADDS」という発達障害児の支援を行っている団体があります。ベネッセさんなどの企業が発達障害の支援のノウハウを知りたいということで、その団体を紹介したことがあります。このように企業にノウハウなどを提供するNPOも少しずつ増えてきています。

萩原 確かに日本NPOセンターにも企業から問い合わせが来ます。情報発信ツールの発達という点で言いますと、トヨタ財団時代に経験したのは、最初は皆手書きで、しかも郵送で書類を送っていたのですが、ファックスの登場で情報発信のスピードと広がりが大きく変化したことです。

ファックスで助成団体との情報交換がスピーディにできるようになりました。もちろん、活動団体も様々なところに一斉に案内などを送れるようになったことで市民活動がものすごく広がり、全国から情報が集まるようになりました。

金子 それはどのくらいの時期からですか?

萩原 1988年とか89年くらいからですね。90年代はまさにファックスの時代です。まだネットの時代ではない。やはり情報ツールの進化はNPO活動を展開する上でとても大きいですね。まさに金子さんがおやりになった、携帯電話を300台というようなことが、市民の活動を活発化させることに、ものすごく大きな役割を果たしたと思います。

宮垣 ネットワークを上手く動かしていくことにメディアが追い付いてきたということですね。

山田 「CANPANブログ」で面白い事例がありました。宮城の高齢者が夫婦でやっている森林活動のNPOがあり、お二人はパソコンが使えないのにブログを更新している。手書きの原稿を東京にいる息子さんにファックスで送り、アップしてもらっていたんです。

宮垣 面白いですね。確かにメディアの視点は非常に重要ですね。

目的が先にあってNPOをつくる

宮垣 今までの話を聞いて、小島さんは「そんなことあったのね」という感じに思われるかも分からない(笑)。いかがでしょうか。

小島 私はNPO「農スクール」という小さな団体をやっています。具体的には、人手不足の農家と、働きたいけど仕事がないホームレスの方や生活保護受給者の方、引きこもりの方とをつなぐという取り組みをやっています。他にも、保護観察中の方や心の病になってしまった方なども来ます。

本業は野菜農家で、株式会社として野菜を作って販売したり、市民の方々に農業体験サービスを提供したりしています。その中で、働きづらさを抱える方と人手不足の農業界をつなぐ取り組みをしていたのですが、その部分については、NPOにした方が広がりも生まれ、緩く皆が参加できるのではと思い、NPO農スクールをつくりました。

実際、NPOにしたことで、市民の方も株式会社よりは私たちの活動に参加しやすくなっているとは思います。

別に会社をつくりたいわけでもNPOをやりたいわけでもないんです。「働きたいけど仕事がない人」と「人手不足に悩む農家」をつなげたいという思いがあって、その中でこの国ではどういう形をとるのがよいのかを考え、NPOをつくったという感じです。

萩原 目的が先にあったんですね。

小島 そうです。そのためにはどの形がやりやすいかなと。

金子 株式会社と一緒にやっても上手くいきますか。

小島 会社というのは結局、お金を払うお客さんのほうを見て仕事をしますよね。農業体験のお客さんや野菜を買ってくれるお客さんのほうを見て仕事をし、そのサービスの質を保つわけです。だから「ホームレスのための農園」ということを掲げていれば、株式会社としてもやれるのかなとは思います。

でもNPOにしたのは、ホームレスの方からお金をもらって運営しているわけではないからです。

宮垣 確かにそうですね。阪神・淡路のときも、「じゃあ俺たち、団体をつくるか」という入り方ではなく、なんとかしたいというところから入って、やっていくうちにこれをどうやって維持していくのかということで、制度や組織が後から付いてきた側面がある。

小島 制度という面だと、今は農作業を活用した生活困窮者の自立支援という制度が、農林水産省と厚生労働省の共同事業みたいな感じでできました。

萩原 「農福連携」ですね。

小島 ええ、その先行事例にうちの団体がなったのです。地道にコツコツやっていても時代に必要だと思われれば、国もこうやって制度をつくるんだなとは思いました。

宮垣 なるほど。そういう先行事例が実績を積み上げていくなかで制度ができるわけですね。

金子 逆に今は、そういう事例を皆探していますよね。

萩原 介護保険制度がまさにそうです。

小島 でも、あくまで「生活困窮者のため」という制度なのですね。うちはいろいろな事情を抱えた方が来るから、制度に乗ると、「皆が来る」という形がとれなくなってしまう。

例えば、農福連携の制度になると、障害を持っている人が対象となり、ホームレスやひきこもりの方は参加できなくなってしまいます。だから、制度に合わせて活動を変えるのは少し抵抗があるのです。規模の拡大を目指して広めていったほうが社会的なインパクトはあるのでしょうけれど、「誰もが公平にチャンスがある社会を小さな現場でもいいから市民の手で実現したい」という思いがあって、制度は使わず、小さくやっています。

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