【特集:戦争犯罪にどう向き合うか】
座談会:「力による支配」に抗い 「法の支配」を守るために
2026/03/05
もう一つの日本(法)の課題
オステン ICCの体制を支えるための様々な取り組みの中には各国の国家レベルでの協力、言い換えればICCが対処している犯罪の国家レベルでの処罰などの形でのサポートも考えられます。各国の役割というのは、国内司法も含まれます。昨今、国内刑事司法の重要性、国家レベルでできることは何なのか、すなわち各国による訴追・処罰を通じてICCの体制を強化していくということがあらためてクローズアップされているのだと思います。
日本はICCの最大の分担金拠出国として大きな財政支援をし、これまで3名のICC裁判官を出してきたことなどで人的な貢献もしているのに、いざという時はあまりプレゼンスがない。実はその背景にはもう1つの日本の課題、つまり国内法の不備があるのではないでしょうか。現在の国内法では、国際刑事司法へのより積極的な取り組み、具体的に言えば、日本が戦争犯罪や人道に対する犯罪などのような重大な犯罪を自ら訴追・処罰することは、現状ではほとんどできないのです。
例えば国際刑事法を象徴する条約であるジェノサイド条約は1948年に採択され、51年に発効しています。1950年代から日本の国会でも議論の対象になっていますが、いまだ日本はこの条約を批准していないし、日本の国内法の体系にはジェノサイドという犯罪もない。他の中核犯罪(ICC対象犯罪)、すなわち人道に対する犯罪も、戦争犯罪の大部分も、実は固有の処罰規定という意味では国内法化されていない。これが日本法の現状です。
そういった課題を克服するためには、メディアからの問題提起、アカデミアによる理論的な取り組みがもちろん必要です。そのほかに、どのような取り組みが必要でしょうか。
赤根 やれることは皆やっている気がします。去年の日本刑法学会でも国内法化は絶対に必要と話しました。まさにウクライナの侵攻で私は目が覚めました。日本の近くでそういう事態が起きた時、日本がそれに対して何らかの法的な支援ができるのかと。
例えばウクライナの場合、フランスやドイツなどの国が自国の法律で戦争犯罪を裁くために捜査を始め、将来、戦争犯罪を犯した人が自国に入ってきたら、自国で処罰するという準備を始めています。フランスは今も国内法で捜査をしていますし、ICCの捜査にも協力しています。日本はそもそも法律がないし、経験も裁判例もないのでそういったことが一切できない。それでいいのかということです。
日本の周辺で将来的に何か起きた時、ヨーロッパからの捜査を支援しても日本からは捜査しないのか。あるいは最終的にそういう人たちが日本にこっそり逃れてきた時に何もできなくてよいのか。
ですから政治方面へも、できる限り働きかけて、将来への備えとして国内法制化は必要だと訴えています。これはセーフティーネットとして平和な時だからこそ作るべきです。しかもそれが近い将来、必要になるかもしれない。それから学会などに訴えることも1つの手段ですし、また弁護士会などにも訴えて、弁護士会からもサポートしてもらおうとしています。
このようにやれることはやっているのですが、どうも日本の政府の反応は、外務省、法務省を含めて私の満足のゆくものではありません。「喫緊ではない」「日本の法制度の整合性を慎重に考えねばならない」とか「立法事実がない」とかおっしゃるのですが、本当にそうなのかと疑問に思っています。まさに喫緊の問題として、立法化に向けての動きを活発化してもらいたいと願っています。
オステン 法の支配を支える司法機関としてのICCは実は最後の砦であって、本来ならば各国の国内法に基づいて重大な犯罪を訴追・処罰することが必要なのですが、それが国内法の現状ではできないと。
赤根 日本の刑法を適用するだけでは、そもそもICCの根底にある補完性の原則を満たしていないですよね。
国内法整備によって広がる理解
オステン 実際にはICCの制度の中では国内司法が主役なのですね。本来ならば国内レベルでまず重大な犯罪の処理をしなくてはいけない。このことに関して、三上さんは、法曹実務の経験を踏まえ、どのようにお感じになりますか。
三上 個人的にはもちろん中核犯罪に対する国内法化は必要だと思いますが、弁護士の中にはもしかしたら処罰範囲が広がってしまうのではないかといった懸念から反対する方もいるのではないかと想像します。
検察に関しては、現状維持が強いというか、これまでの日本の刑法体系とは毛色の違うものを入れることに対して、かなり抵抗があるのかと思います。ここはやはり最後は政治がリーダーシップを取らないとなかなか進められないのではないかと思います。
ICCの地域事務所を招致するのは確かに日米関係との間で緊張関係があり、現状難しい部分があるかもしれません。しかし、日本政府が日本の国内法として日本の領域の中で起きた犯罪行為に対して、国内法を制定することについては、おそらくアメリカもどの国も文句は言わないはずです。そこは政治が判断して進めればいいのではないかと思います。
オステン 国内法整備やジェノサイド条約への加入などがあれば、やはり弁護士や法曹実務家の立場から見ても、より身近なものとして感じてもらえることにつながりますか。
三上 やはり実際法律があるかないかは大きいと思います。笑い話になってしまいますが、私が去年、ICCから戻ってくると、「ある国で依頼者が詐欺に引っかかってしまったので、国際刑事裁判所での経験を踏まえてアドバイスをいただきたい」と相談を受けました(笑)。
昔と比べれば関心は間違いなく高まっていますが、まだまだ正しい理解をしていない弁護士も多い。その理由の1つにはやはり国内法がないことが原因ではないかと思います。
独立自尊と「法の支配」
オステン 議論の全体を総括すると、すべての論点や課題に共通する基本概念はやはり「法の支配の重要性」ですね。ICCの場合、法の支配、そして被害者の救済といった基本理念は設立以来、何も変わっていません。変わったのはICCを取り巻く国際情勢と一部の締約国の態度だと思います。
この座談会に向けて、『学問のすゝめ』など福澤諭吉の著作を読み返してみたのですが、福澤が活躍していた当時の国際社会には法の支配、法の下の平等という概念がほとんどないような時代で、力が正義だという形で、日本も開国を迫られたわけです。その動乱期に不平等条約という屈辱的な状況に置かれた日本を発展させ、西洋諸国と法主体という意味でも対等な先進国に育てていくためにどうしたらいいのか、ということを福澤は考えていたのだと感じます。
その中で「独立自尊」、個人の主体性と自由を重んじるという考え方を打ち出したのではないか。そこにはまさに法の支配や法の下の平等の基本理念に通ずるものが大いにあると感じています。
つまり、福澤は、「独立自尊」の理念を通じて、今まさにICCに期待されていること、すなわち、21世紀の国際社会における個人と国家の自由と平等を、独立公平な司法の側面から支えていく、その営みに必要な精神的支柱ともいうべき概念を提供したとも言い得るように思われます。
最後に皆様から一言ずつコメントをいただければと思います。
五十嵐 赤根さんが孤軍奮闘されている姿には本当に頭が下がります。ICCを取り巻く状況は極めて深刻ですが、赤根さんを通じてICCの存在が日本でも広く知られるようになったことはよかったと、そこは前向きに受け止めたいと思います。
日本政府は国連をはじめ国際機関における日本人職員数を増やし、各機関のトップも積極的に取っていこうという立場です。ICC、ICJの所長がいずれも日本人という状況は、日本外交に対する国際的な信頼感を反映しているとは思いますが、政府としての後押しが弱いように感じられるのが気がかりです。
メディアには、ウクライナやガザに和平が訪れた後も、戦争犯罪などの法的責任の所在について地道に報道を続けていく責務があると思います。「やった者勝ち」がまかり通る世の中にならぬよう、メディアの一員として微力ながら発信を続け、ICCの活動についても引き続きウォッチしていきます。
三上 法の支配という観点から見ると、国際刑事法の分野以外にも国際経済法などでもアメリカはWTOの上級委員の任命を拒否しています。また、先週アメリカは多数の国際機関から脱退しましたが、その中の1つに、国連国際法委員会も入っていました。
そういうこともあり、今は間違いなく法の支配という意味では厳しい時期だと思います。しかし、必ず振り子は揺り戻すと思うので、是非ICCにはこれからも頑張っていただきたいですし、私も何ができるか考えたいと思っています。
また、弁護士としての立場から申し上げると、これまで日本人でICCの弁護人のチームで働いたりインターンをされた方は1人もいません。またICCの弁護人のリストには現状日本人は800人ぐらいの中で2名しか登録されていません。
なかなか先に立つ人がいないと大変だとは思いますが、逆に言うとすごくやりがいのある分野だと思います。それがもちろん慶應の方だったら嬉しいですし、慶應に限らず弁護士がICCを目指してくれたらとても嬉しいですね。
オステン では最後に赤根さんお願いします。
赤根 法の支配が世界中のいろいろなところで危機に瀕している状況は世界中に広がりつつあり、アメリカの行為がそれを助長しているようにも感じます。ICCはその中で唯一頑固に方向を曲げず、法の支配というものを存続をかけて守ろうとしている機関です。
ただ、これは、最終的には日本の中の法の支配というものにも関わりがあることだと思っています。なぜなら、世界において力の支配が当然視されるようになれば、各国もそれにならうようになる。例えば時の政権が裁判を左右したり、裁判官の任免を左右するようなことが横行してしまうことが起きないか心配です。
ですから、世界で起きていることは日本でも起きうることだと日本の方々には感じていただきたいと思います。私たちは目の前にあるICCを守っていますが、最終的には世界の国々における法の支配にも注目していきたいし、日本の方にもそれを注目していただきたいと思っています。
オステン 皆さんから最後を見事に締めくくる強力なメッセージを頂戴できたかと思います。
本日はたくさんの貴重なご示唆・ご指摘を頂戴することができ、本当に感謝しています。有り難うございました。
(2026年1月13日、三田キャンパスにて収録)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2026年3月号
【特集:戦争犯罪にどう向き合うか】
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