【特集:戦争犯罪にどう向き合うか】
岩谷 十郎:「強者の理屈はいつでもまかりとおる」のか?──国際刑事裁判所(ICC)と慶應義塾を繫ぐ理念
2026/03/05
1.国際刑事司法をめぐる「力」と「法」の相克
2026年1月3日、米国によるベネズエラ侵攻の報に接した際、私の脳裏には、ラ・フォンテーヌの寓話「オオカミと子羊」が示したあまりにも冷徹な教訓、「強者の理屈はいつでもまかりとおる(La raison du plus fort est toujours la meilleure.)」がよぎった。現代の国際社会は、この冷酷な言葉を現実のものとして証明するかのような、剥き出しの「力」による支配に塗り替えられようとしている。法の支配という人類の英知が、暴力という原プリミティブ初的な衝動の前に屈しようとしているのである。
実際、この大規模な軍事行動に先立ち、ICCに対する米国の圧力は看過し難いものであった。2025年2月、トランプ政権は、前年11月のイスラエル高官への逮捕状発付に対する報復措置として、ICCを「非合法裁判所」であると指弾した。それだけにとどまらず、ICCの検察官および裁判官ら個人に対し、資産凍結や入国制限といった強硬な制裁を発動したのである。さらに、これら制裁対象者に対して何らかのサービスを提供する第三者に対しても、米国が「二次的制裁」を科すことを示唆した事実は、グローバルな金融・情報ネットワークからICCを孤立させる意図を孕んでいる。これは、ICCの職務遂行能力を根本から毀損し、機能不全に追い込む事態を招きかねない。もしICCがなくなってしまったら、それは「ニュルンベルク裁判以前の状態に戻ること」を意味する(赤根智子『戦争犯罪と闘う──国際刑事裁判所は屈しない』文春新書)。国際刑事司法の独立性は、今、近代司法制度が確立されて以来、かつてないほどの存亡の危機に瀕しているといっても過言ではない。
2.慶應義塾とICCの学術的連携の歩み
こうした国際政治上の緊迫した空気が高まる中、2026年1月11日付の読売新聞において、ICCが世界4カ所に設置を構想している地域事務所(リージョナル・オフィス)の1つが、慶應義塾に置かれる旨の報道がなされた。しかし、ここで明確にしておかねばならないのは、これは現時点での「既決の事実」ではないということである。報道側の期待が込もった「勇み足」の解釈であることは注記せねばならない。現在、慶應義塾とICCとの間で慎重にその実現の可能性を検討している構想の本質は、ICC組織の事務的な行政拠点というよりも、アジア太平洋地域における学術的・知的なネットワークの「研究拠点(アカデミック・ハブ)」を慶應が担うという点にある。
この構想は、決して昨今の政治状況に呼応して一朝一夕に生まれたものではない。ICCと慶應義塾との深い学術的交流は、ICCが正式に設置されてから2年後の2004年にまで遡る。以来20年以上の歳月にわたり、国際刑事法を専門とするフィリップ・オステン法学部教授を中心に、地道かつ精力的な学術的対話が積み重ねられてきたのである。2024年3月に赤根智子判事が日本人として初めてICC所長に就任した際も、その僅か3カ月後の6月には、赤根所長の三田キャンパス訪問が実現した。そこでは、塾長や常任理事、教員や学生を前にした感動的な記念講演会が開催されただけではなく、優秀な学生(法律の専門に限らない)をインターン生としてICCへ継続的に派遣する制度の確立や、教員や実務家同士の研究・研修上の交流機会をさらに拡大するためのMoU(基本合意書)が締結された。
先の新聞発表を1つの「奇貨」として、慶應義塾は学術的・中立的なスタンスをあくまで堅持しつつ、ICCが掲げる「国際正義の永続的尊重及び実現」(ICCに関するローマ規程前文)の理念を支える研究・教育の国際的・先端的拠点として、可能な限りの協力を継続する方針を改めて確認した。これは決して目先の時勢に合わせた一過性の判断ではない。長年にわたって培われたICCとの強固な信頼関係に基づき、知の連帯をより確かなものにするという不変の決意の表れなのである。
2026年3月号
【特集:戦争犯罪にどう向き合うか】
| カテゴリ | |
|---|---|
| 三田評論のコーナー |

岩谷 十郎(いわたに じゅうろう)
慶應義塾常任理事、法学部教授