三田評論ONLINE

【特集:「排外主義」を問い直す】
座談会:「外国人問題」の構造から何が見えるか

2025/12/05

教育現場から考えること

塩原 次に林さん、どこに打開策、あるいは可能性を見出すのかということで、本職である教員というお立場からは、いかがでしょうか。

林 学校は社会の縮図ですから、当然、生徒のルーツは多様です。一方、教壇に立つ教師は日本人であるべきだという規範が、公教育の業界では根強いです。ごく一部の自治体を除いて、外国籍者は公立校の「教諭」とはなれず、「任用期限を附さない常勤講師」として働いています。

私自身は私立校に勤務する「教諭」として、やれることをやろうと思っています。生徒にとっては、私が最初に出会う外国人かもしれない。それがろくでもない教員だったら、外国人全体への悪いイメージにつながるのではないかという恐れがあります。生徒に対し下手に出るという意味ではなく、どうしても八方美人であろうとしてしまうんですね。外国籍教員への信頼がそこそこ厚ければ、ミックスルーツの生徒にも、めぐりめぐって自信を与えるかもしれませんし。

もちろん、こんなプレッシャーを抱えてしまうこと自体、マイノリティが抑圧されている証なのでしょう。それでも、生徒たちが大人になった時、「あんなおもしろい先生もいたな」と思い出してもらえれば、未来の外国人嫌悪をやわらげる一服の鎮痛剤となるのではないか。「教育は未来への投資だ」と言われますが、それはマイノリティ教員にとってより重く響きます。

大人がいまだに「ガイジン」と使えば、子どもだって平気で使います。地元が「ガイジン」に乗っ取られるといった話題は、どの学校でも休み時間に見聞きするものでしょう。大人が話題とする以上、そういったせりふは気軽に、悪気なく飛び出します。同調してうなずくのではなく、安直に非難するのでもなく、一体自分には何ができるのだろうかと考えておきたいです。

教育ともつながる評論の仕事のほうでは、まっとうな・・・・・議論を積み重ねるしかないなと思っています。『三田評論』を含め、名だたる論壇誌といえども、威勢のいい排外主義者はほとんど読まないでしょう。だからといって、インプを狙った極端な議論の量産では、明日は暗いままです。まっとうな議論はしばしば地味で、派手さがない。けれど、積み重ねたほうがよっぽどましです。遅効性に希望を見出したいですね。

私の好きな言葉に、「アンチよりオルターを」(ガッサン・ハージ)があります。日本の文脈に置いて、私なりにこう解釈しています。排外主義への対抗心をむきだしにして鬼の形相で極端化するのではなく、怒りの炎を絶やさない中でも赦せるところは赦し、別の得策をみんなで探る。私たちは、社会という校庭で行われる体育祭で、二人三脚をやっているようなものです。気に食わないペアであっても、その人が転べば自分も転ぶ。ただでは転ばないためにも、いっしょに頭を悩ますほかありません。

排外主義を唱える政党の支持者たちとの回路さえ、できることなら閉ざしたくありません。一緒に食事する機会に恵まれれば、鍋を囲みたいです。わかりあえることもほんの少しはあるかもしれない。ヘイトスピーチの泥水を浴びせられるだけかもしれない。それでも、たとえけんか別れとなるにせよ、「わかりあえないことがあるね」とわかりあえるかもしれません。

カギとなる経済の部分

塩原 望月さんにお伺いしたいのは、まず森さんが言われたニューヨーク市長選の動きをどう考えるかという話。

もう1つ、今の林さんの議論の続きで、加害者側の当事者性は前面に押し出されつつ、被害者側の当事者性に対する想像力がますます欠如していく。そういったマイノリティ側の人々の当事者性の置かれた複雑さがあると思います。そこはまさに望月さんが『ニッポン複雑紀行』の中で取り組んできたことにつながっていくわけですよね。あらためて、どのようにお考えでしょうか。

望月 森さんがおっしゃったマムダニがトランプ側にスイングした地域で撮影した動画を私も見ました。主な話題はアフォーダビリティの話と、ガザの話です。生活費の高騰に苦しみ、経済面での期待を理由にトランプに投票した人々も数多くいる中で、「アフォーダブルなニューヨークに変えていく」というメッセージを進歩派の立場から強く打ち出し、支持を広げています。

同時に、やはりニューヨーク特有の事情もあるとは思います。この街には若くてリベラルな学生がたくさんいる。また、移民同士の子どもが日本国籍を持てない日本とは違って、アメリカの場合はアメリカ生まれの子どもがアメリカ国籍になるため、移民ルーツの人々が投票でき、しかもニューヨークの場合はその票が相当な数に上ります。マムダニ自身のルーツもインドやウガンダにありますが、様々なアジア系などいろいろなルーツの人たちがマムダニの背後には集まっている状況です。

一方の日本を見れば、ニューヨークのような都市部がリベラルや進歩派の強固な牙城となっているアメリカとは違って、自民党総裁選の結果からもわかる通り、高市氏はむしろ都市部に強い。東京の小池都知事を見れば、関東大震災時の朝鮮人虐殺から意図的に目を背け続けているという状況で、ニューヨークとはかなり違います。日本の都市部が政治的にどう変わっていくかはこれからの日本にとってすごく重要です。移民2世以降の人たちが日本国籍を持つような形に制度を変えていくことも、そこに影響すると思います。

少し危惧しているのは、アメリカでは株を持っている人の比率が非常に高いことです。半分以上が何らかの形で株などを持っていると言われていて、富裕層や中間層にとどまりません。例えばウーバーなどの運転手は移民の人が多いですが、地図アプリの隣で株のアプリを開けっ放しにして、ひたすら短期売買を繰り返しているのを見たこともあります。生活が大変な中、細かい取引で追加的に稼ぐのも重要という世界観が浸透している社会では、政治家が「アンチビジネス」的に捉えられると、それだけで支持を失いかねない。

昨年の大統領選挙でヒスパニックや黒人の間でトランプ支持の割合が増えていった背景にも、そうした状況が無関係とは思えません。最近では暗号資産も広がっていて、トランプ政権も注力しています。トランプ政権で自分の資産が少しでも増えるなら、非正規移民がひどい目に遭おうとも許容してしまう、そんな力学はないでしょうか。

日本でも賃金が上がらない、ならばNISAなども使って資産形成しようと言われています。日経平均が今年だけですでに2割も上がっているわけですから、金融資産を持っている人が増えていく中で、そういうものの吸引力はすごく強いはずです。心の中にやんわりとリベラルな考え方を持っている人が、金融面の動機ではがれ落ちていく懸念はあると思っています。

「オルター」をどこに見出すか

望月 被害者の当事者性についてですが、私はこれまで当事者のインタビュアーという形でできるだけ生の声を届けてきました。それはこれからも続けていきたいし、できるだけ多くの人に読んでもらいたい。同時に、本人の名前出し、顔出しで複雑な現実を届けることの難しさが増しているのも事実です。

世界で流行している極右的な言説のパッケージでは、移民も、トランスジェンダーも、生活保護利用者も攻撃する。社会全体のために政治をするのではなく、半分を敵に回しても、残り半分が票をくれさえすればいいみたいな思考になっている。排外主義的な動きによる被害者の捉え方を広げてつなげていくことも重要だと思っています。

自分が受けている被害をそれぞれが見出しつつ、それを別の誰かに対する加害に転換させない。そういう形の政治や情報発信につなげていくことができれば、希望があるかもしれません。

塩原 「オルター」という言葉を林さんに出していただきました。まさに排外主義の政治的な利用価値に対抗するような、政治的、社会的オルタナティブをどう立ち上げていけるのか。今の投機的な資本主義のあり方がそもそもの問題なのだとしたら、ポスト資本主義のような方向性を構想し得るのか。そういう大きなオルタナティブをどこに見出していくのかを考えなければいけないと思います。

それと同時に、家族内も含めてまっとうな議論と日常的な対話を積み重ねていくことの大切さという問題提起もありましたね。もちろん難しさもある。鍵となるのは、むしろ自分の中にある自己の内なる複雑性でしょうか。自分の中のマイノリティ性、あるいは傷つきやすさのようなものについての気づきから、他者とつながっていく回路を探していく。そのための地道な対話の繰り返しが必要だということでしょう。

大変実りのある話ができたかと思います。本日は有り難うございました。

(2025年10月21日、オンラインにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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