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【特集:「排外主義」を問い直す】
昔農 英明:移民の統合と排外主義に揺れるドイツ

2025/12/05

  • 昔農 英明(せきのう ひであき)

    明治大学文学部准教授・塾員

「ドイツの移民政策は失敗した」のか?

21世紀最大の人道危機とされた2015年の難民危機では、アラブの春をきっかけとして欧州、とくにドイツに多くの難民が流入した。トルコの海岸に打ち寄せられた難民の子どもの遺体の写真は世界中から難民に対する共感と同情を生み、欧州の難民受け入れの中心地であるドイツでは、当時のメルケル連邦首相が多くの難民を受け入れる決断を行った。そうした難民受け入れについて、ある緑の党の政治家が「歓待のワールドチャンピオンだ」と自負したように、ドイツの寛容性と人道主義をドイツ内外に示すものであった。

ところが、そうした寛容性を後退させるような事態がその後相次いで起こった。難民を受け入れた数カ月後の2015年末に大都市ケルンを中心に、大規模な性的暴行・強盗事件が発生し、移民・難民の関与が問題となった。さらに2016年の年末には、首都ベルリンにおいてトラックが暴走し、多くの死傷者が出る事態となった。同事件の犯人であるアニス・アムリはドイツで難民申請を行ったチュニジア人であり、移民と犯罪との結びつきが改めて議論された。その後もドイツ、あるいは隣国フランスなどでも移民・難民による犯罪が相次いだことにより、移民受け入れに対する懐疑と反発はますます強まった。

そうした事態とともに、排外主義を掲げる勢力もドイツ社会に大きな影響を及ぼすようになった。右翼政党のドイツのための選択肢(以下AfD)が、2017年の連邦議会議員選挙で多くの議席を獲得して国政に進出し、その影響力は年々増大している。

こうした欧州で高まる排外主義は日本にも重大な影響を及ぼしている。すなわちドイツの移民受け入れは、結局のところ、福祉国家負担の増大化、国内の治安悪化につながり、さらに極右政党の台頭をもたらすなど、社会の混乱に帰結することから移民政策は失敗したのだという言説の影響である。こうしたドイツの状況を受けて、日本ではしばしば政治家や知識人などが日本は移民政策を講じるべきではないと主張することがある。しかしながらこの「ドイツの移民政策は失敗した」という論調を無批判に受け入れていいのだろうか。ドイツは排外主義が優勢となり、移民政策は破綻したのだろうか。本稿ではドイツがどのように移民問題に取り組んできたのかの歴史的経緯と現状を検討し、日本社会で流布される言説を批判的に再検討したい。

右翼によるリベラルな価値を盾にしたイスラーム批判

2024年に社会民主党(以下SPD)、緑の党、自由民主党の連立政権は政権内部で対立が深まったことで崩壊し、2025年2月に連邦議会議員選挙が行われた。その選挙では、SPDに代わり、中道保守のキリスト教民主・社会同盟(以下CDU/CSU)が第一党に返り咲き、さらにAfDは得票率およそ21%と第二党に躍進した。

AfDは2013年に、経済リベラルと国民保守との2つの集団からなる政党として結党された。結党当初のAfDはユーロやEUの経済運営に不満を持った人々を中心とする政党であった。しかしながらその後AfDは、党内対立や相次ぐ離党者を出しつつ、反EU、反ユーロのみならず、排外的ナショナリズム、反イスラーム、ジェンダーの主流化やリベラルな教育への反対など、反リベラルな政策的主張を前面に押し出した。

AfDはファシズムやナチズムとの断絶を強調し、伝統的な極右政党とは異なる主張を展開した。ドイツはナチズムの反省をふまえて、第二次世界大戦後、リベラルな価値を柱とする民主主義社会を形成し、「戦う民主主義」のもと、排外主義勢力の拡大を抑えてきた。ナチの残党により1949年に結成されたものの、1952年に連邦憲法裁判所により禁止処分が下されたドイツ社会主義帝国党、1964年に結成され、多くのネオナチを取り込み、勢力を伸ばそうとしたドイツ国民民主党、1990年代に勢力を拡大したドイツ民族同盟や共和党などの極右政党は、いずれも州議会での議席獲得には成功したものの、連邦レベルで議席を獲得することはできなかった。そうしたことからリベラルな価値が政治的コンセンサスとして定着したドイツにおいて、右翼政党のAfDが全国レベルで台頭することは衝撃的だった。

AfD台頭の背景としては、さまざまな要因があげられる。第1に、従来、福祉の再分配などを重視してきたSPDが新自由主義的な政策を打ち出したり、文化保守的な立場のCDUがリベラルな政策を策定するなど、そうした政治的変容に不満を抱く人々がAfDを支持した面がある。第2にAfDの支持率が高いのはとくに旧東ドイツ地域であり、ドイツの東西分断とその再統一のプロセスによって、旧東の人々が抱く政治疎外感や社会的格差も関係しているといわれる。これらの問題についてはここでは立ち入らないが、第3として移民・難民問題の影響はやはり無視しえない。AfDは、政府による開かれた国境政策によって、適切な境界管理がなされず、中近東やアフリカからの「窮乏移民」がドイツに殺到し、限度を超えた財政負担、治安の悪化、社会保障制度や住宅市場に深刻な影響を及ぼすなど、社会経済的な影響の深刻さを指摘する。AfDはこうした福祉排外主義に加えて、イスラームがリベラルなドイツに不適合だとしてムスリム排除の議論を展開することでも支持を集めてきた。

現代欧州におけるムスリム移民に対する批判は、伝統的な極右勢力による移民批判の論理とは異なっている。現代社会においては、人間の生物学的・遺伝的な特徴によって集団をカテゴリー化し、集団間の優劣を決することは科学的根拠のない人種主義だとして完全に否定された。そのため現代の右翼は、ドイツ社会の根幹となっている民主主義、人権、政教分離、男女平等などのリベラルな価値を口実にしてムスリム移民を排除している。実際のところ、現在ドイツでは、多くのムスリム移民がリベラルな価値を内面化し、ドイツ社会に適応している。そうした実態にもかかわらず、メディア報道や政治家の発言によって、イスラームにはスカーフ着用の問題、強制結婚、名誉殺人などのジェンダー平等に反する後進的な文化があるという根強い批判があり、右翼は、ムスリム移民はドイツ社会のリベラルな価値の共有が困難だとムスリム移民を排除している。しかしながら前述のように、AfDはジェンダー主流化に反対し、フェミニズムに対しても批判的な立場にあり、伝統的な家族主義の論理を主張している。そうした点で右翼勢力こそが反リベラルな価値を有する集団であるにもかかわらず、AfD自身の反リベラルな主張を棚上げし、ムスリム排除を正当化するのである。

ただこうしたムスリム排除の問題は右翼の問題であるだけではない。リベラルな勢力からも、ムスリム移民を、逸脱文化を有する集団だとする批判も出ている。こうしたことからムスリム移民の排除にどのように対抗するのかという問題は右翼だけではなく、リベラルなドイツ社会自体が抱える課題である。

このようにドイツにおいてはAfDの影響が重大となり、移民・難民に対する排外主義が深刻化している。しかしだからといって、ドイツが全体として右傾化し、排外主義が優勢となったと結論付けるのは早計である。実際のところ、ドイツ社会においては移民に対する実利的、現実主義的な態度があり、多くの場合、移民統合が支持されているからである。

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