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【特集:「排外主義」を問い直す】
座談会:「外国人問題」の構造から何が見えるか

2025/12/05

排外主義に抗うために

塩原 ここまでの議論をまとめると、排外主義には自分のことを「普通」だと思っている人々が、ある種の生きづらさの回復を求めるという側面と、オーガナイザーやインフルエンサーまたは政治家や億万長者が、それを上手く扇動、動員していく側面がある。それをきちんと区別する必要が、分析的にはある。それを一枚岩的に捉えて、全部極右なんだとか、逆に全部普通の人なんだ、みたいな見方ではいけない。

それに加えて、自分のことを「普通」だと思っている人の日常的な排外主義とどう対話していくのかという面と、制度的に行われる排外主義にどう対抗していくのかという面を両方考えていく必要がある。

そこで、これから共生に向けてどんな糸口、打開の方向性があり得るのかというところに話を移していきたいと思っています。

最初に伊藤さんが、炎上する時は、安全とか治安への不安のようなものがあり、落ち着いている時は福祉ショービニズムが出てくると言われていました。セキュリティの問題と福祉排外主義というのは、ヨーロッパで出てきた流れだと思うのですが、フランスなどではそれに抵抗してきた人々の歴史も長いと思います。森さん、フランスで排外主義に対抗していく側の状況や戦略は、現在どのような感じでしょうか。

森 塩原さんの整理を伺って、2つあります。今の政治は、例えばアメリカではトランプ政権となり、フランスでも議会は極右が大きな影響力を持っています。しかし、同時にこのような政治状況と社会の間には少しギャップがあるようにも思います。

フランスでは90年代から毎年パネル調査を行っている全国人権諮問委員会が寛容度指数を測る報告書を毎年出しています。興味深いのは、その調査が始まった35年前と比べると、政治的には極右が明らかに勢力を拡大しているのに対し、他者への寛容度は、90年代よりも今のほうが高まっているという結果が出ていることです。

例えば自分の子どもが黒人と結婚することを受け入れるかという質問や、外国人に参政権を認めるべきであるかという質問に対しての回答で、その指数は90年代初めは50だったのが、フランスで極右が大躍進した2022年には、過去最高の68になっている。このように政党の得票率と社会の間には、必ずしも同じ動きが見られないところが興味深いと思います。

ミックスルーツの若者が日本でも増えてきているという話がありました。実際フランスでも、50年前に比べると、国際結婚も増え、ミックスルーツの人の数が飛躍的に増えている。排外主義政党の勢力が拡大している一方で、社会のほうは、例えば黒人と白人のカップルが当たり前になってきている現実も同時にあるわけです。これは程度の差こそあれ、日本の現実とも重なる部分があるのではないかと思います。

大学の授業でディスカッションすると、排外主義的な発言を堂々とする学生も出てきます。しかし同時に、自分が大学生の時にここまできちんと考えられていたかなと思うくらい共生や反差別について深く考えている学生や、多様なルーツを持ち全然違った角度から発言する学生もいます。

それから2つ目ですが、伊藤さんのお話に円安で儲かった人とそうでない人の格差の話がありました。今、大都市部では、本当に不動産価格が上がり、住宅難が深刻化しています。中間層の解体ということが、大きな問題としてあると思うのです。

排外主義の政治というのは、非常に安いコストで人を引き付けられると思うのですが、同時に、社会的な政策とか、人々がより生活の状況を改善できるような、社会政策を求めるような運動も、大都市レベルでは起きています。特に過去十数年あまり、パリやベルリン、ロンドンなどで、住宅問題が1つの市長選の争点となり、進歩的な勢力が選挙で勝利する現象が起きていることには注目しています。

その点、今ニューヨークで起きているゾーラン・マムダニのニューヨーク市長選でのアフォーダビリティ(住宅などを適正な値段で買えるのかということ)を軸にした運動は本当に世界的に注目されています(※その後の市長選でマムダニは勝利)。

大統領選でトランプ支持に転じた人たちに話を聞きに行くという彼らがつくったビデオがすごく面白い。そこでマムダニが話を聞きながら、トランプに投票した人たちの言説を排外主義から生活の質の改善のほうにつなげようとする試みが垣間見えます。

国レベルの政治だけを見ていると、そういった動きもなかなか見えてこないのですが、ローカリティに注目するとさまざまな試みが行われています。ローカルな転回によって新しい地平を切り開くことが重要でしょう。

政策利用される排外主義

伊藤 寛容性に関してですが、左右というのは文化の問題と経済の問題の2つがあると思います。経団連などは文化的にはリベラルで、多様性を積極的に受け入れようとしている。労働力として必要ですから。一方、経済的にはネオリベ、右側です。これが実は日本の主流で、若いビジネスマンなどは、文化的にはリベラルでかなり多様性についての寛容性も高い。一方で経済的には再分配に賛成しない。こういった堀江貴文やひろゆきの路線が基本的にずっと主流だった。

ところが今、この路線についてこられない人たちがたくさん出てきてしまっている。ネオリベというのは、多少なりとも競争しなくてはいけないし、投資もしなくてはいけない。しかし、投資の元手もないみたいな人たちが発生し、反ネオリベに行き、経済的には再分配派になるのです。積極財政です。それで文化的には非常に不寛容になってくる。若い人たちの中にネオリベ型の人と、参政党型の人、両方が出てきてしまっている気がします。

そういう意味で、この寛容性の問題は非常に複雑で、文化の問題と経済の問題の両方を考える必要がある。そうした中、参政党や高市さんは、排外主義を一種の経済政策の中で上手く利用するのです。つまりいわゆるローワーミドルにフォーカスする。貧困層ではなく、中間層の中でも下のほうです。高市さんは、生活保護より少し上の人たちを助けるために、むしろ生活保護受給は厳しくすると明確に言っていました。このローワーミドル層というのは大変大きなボリュームゾーンで、そこを票田にしようとしているのが参政党であり高市さんです。

この背景にはローワーミドル層が苦しんでいるという状況がある。なぜ苦しんでいるかと言うと、中間層の二分化によって、アッパーミドル層が儲かり新しい富裕層がどんどん出てきている。そこから税金を取るスキームがないので、全く放っておかれて、アベノミクスなんかはまさにそこを育ててきたわけです。しかし、そこではなくて、ローワーミドルを票田にしようとすると、排外主義は大変利用価値がある。

しかしこれは経団連的にはプラスではない。つまり労働力として女性も高齢者も外国人も必要です。文化の問題と経済の問題があり、経済的な面でいろいろなアクターを組み合わせていった時、この排外主義がどう利用されているかを確かめることが重要です。

塩原 社会運動・メディア運動として排外主義に抵抗していく萌芽が見出せるとしたら、今の日本ではどのあたりになるのでしょうか。

伊藤 社会運動は、私はSNSより、今、むしろテレビ局や新聞社といったオールドメディアの人たちが、この問題に対して強い意識を持っていると思います。

これは昨年の兵庫県知事選挙の際、テレビ局の人たちが、「マスゴミ」と無茶苦茶叩かれたことからきています。私も様々な新聞やテレビ地方局の人たちと議論をしてきましたが、マスメディアの人たちの取り組みは、単に排外主義という問題だけでなく、マスメディアは一体何ができるかと、危機意識を持っている人が多い。

昔、在特会が流行っていた時、NHKの人に、なぜ取り上げないんですかと聞いたら、あれはちょっと汚くて、みたいなことを言っていた。しかし、今は違います。排外主義の問題をテレビではどう表現するのか、新聞ではどう表現するのかと、メディアの人たちが危機感を持っていろいろ考えています。そこは1つの新しい動きなのかなと思い、いろいろと動いていく可能性はあるのではないかと思います。

塩原 確かに私も、伊藤さんほどではないですが、最近は取材を受けると、皆結構真剣で、しかも若い記者さんが多く、何とかしなければいけないという熱意を感じます。オールドメディアの逆襲みたいな話になっていくのかもしれませんね。

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