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【特集:「排外主義」を問い直す】
座談会:「外国人問題」の構造から何が見えるか

2025/12/05

「排外主義」で攻撃される人とは?

塩原 確かに日本人ファーストには、「おまえ本当は日本人じゃないだろう」という他者をあぶりだす意図が込められていますよね。いわゆる在日認定的な論理というのが見え隠れしている。そこには言説的な連続性がとてもあると思います。

他方、望月さんがおっしゃったように、ブレーキが利かなくなっているのも確かにその通りです。暴走している人たちは昔から当然いたわけですが、誰もブレーキを利かせられない状況になってしまっている側面もあるかもしれません。

森さんはしばらくヨーロッパに滞在されていてちょうど帰ってこられたところですが、どのように日本の状況を思われましたか。

 日本の状況は、ヨーロッパでもかなり報道され、すごいことになったなと思っていました。帰国すると、やはり想像を超えた変化があるなと思いました。友人や職場の同僚、学生で、外国籍の人たちがとても恐怖を感じている。その人たちから、本当に変わってしまった、すごく怖いと言われ、深刻さを理解するようになりました。

やはりすごく驚いたのは、いろいろな人が論争に参戦していることです。先ほど伊藤さんが話されたボリュームの問題もあると思うのですが、何か質的な変化があったのだなと感じます。

排外主義の拡大は、フランスでは40年以上前から起きてきました。この問題は排外主義に傾いてしまう人たちの心情に議論が集まりがちですが、その一方で排外主義の標的にされ、恐怖を感じている人たち、被害者や被害者になり得る人たちへの影響を、もっときちんと議論する必要があると感じます。

つまり、排外主義によって恐怖を抱いている人たちをどのようにサポートするのかを議論の中心に据え、これまで以上に考えていかなければいけないと感じさせられます。ヨーロッパでも、排外主義の言説が拡散していく中で、排外主義の標的にされる人たちがメンタル、あるいは身体や健康、また人生設計の点などで、本当に計り知れないダメージを受けていることが研究で明らかにされてきました。

また排外主義と言っても、すべての外国人が攻撃対象になるわけでもない点に留意が必要です。私は京都に住んでいて、インバウンドの力をひしひしと感じていますが、最近、中心部は欧米からのツーリストの遊び場になっていて、地元の客が全くいない店もあります。では排外主義者がそういった白人ツーリストを攻撃するかと言えば、必ずしもそうならない。いわゆる人種間関係とか、様々な力関係の中で弱い立場に置かれた人たちに排外的な感情は向かっていく傾向があります。

先ほど伊藤さんから財務省解体デモとの接続という話がありました。排外主義と言うと、外国から来る人やものが自国にとって脅威になっていると考える見方だと一般には考えられがちですが、その捉え方は十分ではありません。排外主義者が日本人ファーストと言う時、そこに入る「日本人」というのは、日本国籍を持つ人全員ではない、という点には注意が必要です。

フランスの排外主義者たちがターゲットにするのは、一部の移民たちと、移民を擁護する人たち、左翼、あとは貧困層です。その視点に立つと、日本で2010年代ぐらいから広がっていった生活保護バッシングも、現在拡散する排外主義と地続きだと考えられる。つまり排外主義とは外国人だけを排除するのではなく、内なる敵をつくり出して排除しようとする思想であり、そのなかには日本人も含まれる、という点を理解することが必要です。

「怖さ」の可視化と味方の退場

塩原 本当に様々な論点が出されたと思います。まず伺いたいのは、当事者の視点についてです。確かに恐怖を感じるのは外国籍の方だけでなく、今まさにおっしゃっていただいたように様々な形でターゲットになり得る人々がいるのだと思います。

日本国籍を持っているのに「本当の日本人ではない」と言われたり、「愛国者ではない」とカテゴライズされる人にも影響は及んでいる。それこそ「本当は日本人ではないんだろう」と言われかねない人々に与える心理的、また実際の悪影響があると思います。望月さんいかがでしょうか。

望月 林さんもおっしゃったように、最近の変化もある一方で、もともと日本は冷たい社会であったし、当事者からすれば様々な時に感じる怖さというのは今までもあったと思うのです。同じ「外国人」と言っても人によって見た目も違い、体験のあり方も違うと思いますが、電車の横の席に誰も座らない、色々な言葉の暴力を受けてきたといった個々人にとっての経験は、昔から変わらずあったものです。その上で、今のSNSの状況では移民や外国人に対する攻撃やヘイトがより可視化されやすい状況になっていて、当事者の方に与える悪影響が増しています。

加えて、例えば2010年代などに、マイノリティの境遇や差別の状況を理解し、ともにそこに立ち向かおうという形でSNSなどをやっていたマジョリティ側の人はたくさんいると思うのですが、そういう人の一部が「おまえは外国人の味方をして裏に何があるんだ」といったような攻撃を受け、徐々に退場する流れもあるでしょう。

継続的に発信し続けられる人ばかりではないのは仕方がないことだと思いますが、当事者からは、味方は増えていないのに敵ばかり増えていくような感じに少なくともSNS上では見えているかもしれません。

同じマジョリティの中にも、排外主義のアクセルを強く踏み込む人もいれば、ブレーキがそんなに利かない人もいる。そして、ブレーキを利かせたいけれど恐れが勝っている人もいる、ブレーキを踏み続けている人もいる。そうした構造のあり方が全体的に悪い方向にずれていく状況をどう変えられるのかを考える必要があると思います。

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