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【特集:戦争を語り継ぐ】
阿久澤 武史:日吉台地下壕で語り継ぐこと

2025/08/06

地下壕が語るもの/地下壕で語ること

日吉の地下壕群のうち、現在唯一見学できるのは、連合艦隊司令部地下壕である。慶應義塾の許可のもと、市民団体である日吉台地下壕保存の会によって一般向けの見学会が行われている。昨年度の見学会は計41回、見学者数は1774人であった。月2回の定例見学会の他に、研究・教育関係の見学をガイドする機会も増えている。塾内で言えば、高等学校をはじめ一貫教育校の授業内や課外プログラムでの見学、福澤研究センターや学生総合センター主催の見学会などもあり、近隣の小中学校の平和学習、他大学のゼミなどによる見学会も行われている。

地下壕見学には3つの柱がある。1つはガイドが歴史的背景や事実を客観的に伝えること、見学者はそれを「知ること」である。次に自分の足で歩き、壕内の独特の空気感の中で何かを「感じること」である。そして、それらを踏まえて「考えること」である*3。地下壕は物言わぬ遺構として地中深く眠っている。そこに足を踏み入れ、懐中電灯の光を照らすことで、コンクリートの壁・床・天井が目の前に現れる。見学ガイドは戦争遺跡という「モノ」と見学者という「人」をつなぐ媒介であり、「モノから人へ」の関係性の中で、きわめて重要な役割を担っている。

私自身、ガイド活動を行う中で注意しなければならないと思うのは、そこで語る言葉が、そこであった出来事の本質を本当につかんでいるのかどうか、ということである。戦争に関する語りは、劇的な物語性を生み出しやすい。それが勇ましさや悲しさを伴う定型化された話として繰り返されるとき、虚構が入り込む恐れがある。地下壕は「モノ」であり、自ら何も語らない。地下壕で語り、地下壕を語るのは80年後の今を生きる「人」である。地下壕が語ろうとしていることがもしあるとするならば、ガイドの言葉はそれと乖離したものであってはならない。

「日吉ノ防空壕」

では、私たちはそこで何を考え、何を語り継げばよいのだろうか。日吉の地下壕が、他の戦争遺跡と比べて特徴的なのは、作戦を立案し、命令を発する者たちがいた場所だったことである。連合艦隊司令長官は豊田副武(とよだそえむ)(のち小澤治三郎(おざわじさぶろう))、参謀長以下の幕僚は、海軍のいわばトップエリートであった。

吉田満の『戦艦大和ノ最期』は、沖縄戦における大和の出撃から沈没、自身の漂流から生還に至るまでの出来事を艦橋勤務の士官の目で描いた戦記である。

聯合艦隊司令長官ノ壮行の詞ニアル如ク、真ニ帝国海軍ヲコノ一戦ニ結集セントスルナラバ、「ナニ故ニ豊田長官ミズカラ日吉ノ防空壕ヲ捨テテ陣頭指揮ヲトラザルヤ*4

ここでの「日吉」は、慶應義塾のキャンパスから大きく離れ、戦争末期の絶望的な状況における連合艦隊司令部とその作戦を象徴する語になっている。それは特攻と深く関係する。海軍の航空特攻は、レイテ戦に始まり、沖縄戦でピークを迎えた。陸海軍合同の大規模な航空特攻が展開され、その指揮は連合艦隊司令部にあった。「日吉」は特攻の中心点であり、地下壕について語るとき、このことを外すわけにはいかない。

アジア・太平洋戦争全体の日本人の全戦没者数は、日中戦争を含め約310万人、その91%に及ぶ281万人が1944年1月1日以後といわれる*5。そのほとんどは7月7日のサイパン陥落以降、本土空襲が本格化した最後の1年に集中した。連合艦隊司令部が日吉に来たのが9月29日、この日から敗戦までの11カ月は、戦没者の数が大きく増えていく時間と重なった。このような状況にあってなお、政府も大本営も日吉の司令部も戦争を継続し、勝算を欠いた作戦の立案と指令が続けられていた。

戦争をなぜやめられなかったのかという問いは、戦争をなぜ始めたのかという問いにつながり、それはきわめて今日的な問題提起でもある。「日吉ノ防空壕」という語に込められた痛烈な批判は、指導者(リーダー)のあるべき姿とは何かという問題を現代に向けて鋭く照射している。日吉で語り継ぐべきことの根幹にあるものは、何を語るかよりも、何を問うかではないか。そこから生まれる対話によって、世代や立場を超えて、残された「モノ」が持つ意味を深めていくことができるからである。

日吉の戦争遺跡は、その大半が慶應義塾のキャンパス内にある。そのことが他の戦争遺跡に見られるような観光地化を防ぎ、研究・教育資源であり続ける要因になっている。慶應義塾としての今後の課題は、それをどのように保存し、教育的に活用するかという点に集約されるであろう。その際に重要なことは、塾内に限定したものであってはならないことである。教育実践の場として、広く社会に公開することが肝要であり、そのためにも義塾が主体となって国や自治体による文化財・史跡指定に向けて積極的な働きかけを行うことが望まれる。

〈註〉

*1 『朝日新聞』2025年5月3日朝刊

*2 日吉開設から米軍接収解除までの15年間の歴史の検証に関しては、拙著『キャンパスの戦争 慶應日吉1934―1949』(慶應義塾大学出版会、2023年)を参照されたい。

*3 地下壕見学の教育実践に関しては、拙稿「教育資源としての日吉台地下壕」(阿久澤他共著『日吉台地下壕 大学と戦争』(高文研、2023年)で詳述した。

*4 吉田満『戦艦大和ノ最期』講談社文芸文庫、1994年

*5 吉田裕『日本軍兵士─アジア・太平洋戦争の現実』中公新書、2017年

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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