【特集:戦争を語り継ぐ】
有末 賢:学び継ぐ「被爆者調査史」──慶應義塾と被爆者調査
2025/08/05
4.松尾浩一郎と小倉康嗣
松尾浩一郎は現在、帝京大学教授であるが、法学部政治学科で私のゼミで社会学を学び、大学院では川合隆男についた。彼の専門は、都市社会学であり、博士論文を公刊した『日本において都市社会学はどう形成されてきたか――社会調査史で読み解く学問の誕生――』(ミネルヴァ書房、2015年)は、慶應義塾大学の奥井復太郎の都市社会調査を読み解いて、日本都市学会賞(奥井賞)と日本都市社会学会賞(磯村賞)のダブル受賞という快挙をなした。松尾は、「被爆者調査史研究会」においては、湯崎稔の「広島・爆心地復元調査」を取り上げて、コミュニティ調査としての重要性を蘇らせた。さらに被爆70年に共同調査を行って、松尾浩一郎・根本雅也・小倉康嗣編『原爆をまなざす人びと―広島平和記念公園8月6日のビジュアル・エスノグラフィ――』(新曜社、2018年)を書き上げた。これは、とかく午前8時15分の平和記念公園だけにマスコミが集中するが、実際に8月6日の早朝から深夜までを追いかけて様々な多角的視角からヒロシマの「あの日」を映し出した貴重な記録である。松尾らは、被爆80年の今年の8月6日も共同調査を行う予定である。こうした継続した調査こそが、被爆者を忘れない、戦争体験を継承する現代的な試みであると思われる。
小倉康嗣は、慶應義塾大学法学部法律学科の卒業で、国家公務員Ⅰ種合格の後、厚生省に入省した。その後、厚生省を辞めて、慶應義塾大学大学院社会学研究科に入学し、社会学の研究者を目指した。修士課程、博士課程での研究テーマは、原爆や被爆者ではなく、高齢化社会における生(エイジング)をめぐるライフストーリー研究であった。その後、私や浜の影響で「被爆者調査史研究会」に入って以後、被爆者の生と死を次世代へと受け継いでいく原爆体験の継承がライフワークとなっている。立教大学社会学部教授を経て、2023年4月に慶應義塾大学文学部社会学専攻の教授として着任した。岡原正幸の後任である。
彼は、『被爆者調査を読む』でも少し触れていたが、広島・基町高校の美術部の高校生が被爆者から話を聞きながら、原爆の絵を描いていく取り組みを調査し続けている。「継承とはなにか――広島市立基町高校「原爆の絵」の取り組みから――」(蘭信三・小倉康嗣・今野日出晴編著『なぜ戦争体験を継承するのかーポスト体験時代の歴史実践――』所収、みずき書林、2021年)や小倉康嗣「亡くなる記憶」をサバイブする――〈触れられない経験〉の積極性をめぐって―)(浜日出夫編著『サバイバーの社会学――喪のある景色を読み解く――』所収、ミネルヴァ書房、2021年)などの著作がある。慶應義塾大学に移ってからも、文学部社会学専攻の授業「生の社会学」において、「現代社会に生きる私たちの生(life)にとって〈原爆という経験〉の人間的・社会的意味とは何だろうか?」という問いかけを受講生と一緒に考えていく能動的な対話型授業を毎年開講している。これは、まさに慶應義塾における被爆者調査史の「学び継ぎ」の実践である。
5.「語り継ぐ」から「学び継ぐ」へ
今まで、米山桂三、中鉢正美、原田勝弘、川合隆男、小松隆二、中川清、有末賢、浜日出夫、松尾浩一郎、小倉康嗣などの慶應義塾での「学び継ぎ」について見てきたが、何もこれは慶應義塾だけのことではない。と言うより、一橋大学の石田忠の『反原爆』『続・反原爆』(いずれも未来社、1973年、1974年)や濱谷正晴『原爆体験:6744人・死と生の証言』(岩波書店、2005年)などの著作で知られている一橋大学の被爆者調査の継続性は、慶應義塾よりも長い。一橋大学社会学部の「社会調査室」においては、長崎の被爆者への生活史調査を1960年代から2010年代まで50年にわたって継続してきた。さらに、最近は、『ヒロシマ・パラドクス――戦後日本の反核と人道意識――』(勉誠出版、2018年)の根本雅也が一橋大学の専任教員になっている。根本は、戦後の被爆者調査を引き継ぎながら、平和教育や反核運動に見られるある種の普遍性の意識を批判して、一人一人の人間と向き合うポスト・体験世代の継承について考察している。
松尾や小倉などの慶應での新世代も、同様に型どおりの「語り継ぎ」や反核に終わるのではなく、むしろ受け手の感動を重要視した「学び継ぎ」が重要であるという視点を共有している。われわれ3人は、まもなく有末賢・小倉康嗣・松尾浩一郎編著『社会学的質的調査の挑戦――〈出会い〉と〈対話〉の社会調査論――』(図書出版みぎわ、近刊)を公刊する予定である。根本雅也も寄稿している。この本では、〈出会い〉と〈対話〉をキーワードにして質的調査の本質論を展開している。
被爆者調査史の歴史とともに、新しい世代のこれからの「学び継ぎ」についてもぜひ、関心を持ち続けていただきたいと思っている。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2025年8月号
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