【特集:東アジアから考える国際秩序】
【第2セッション】国内政治が揺さぶる国際秩序
2025/03/08
中国の大国化とグローバルサウスの台頭
森 同時に、国家資本主義型の権威主義国家としての中国の大国化はもう現実化しています。リベラルデモクラシーで市場経済型でなくても強国ないし大国になれるということを証明した。同時にグローバルサウスの存在感が高まり、かつ民主主義国家で政治的な混乱が起こり、ポピュリズムが台頭する。このようになると、かつて縦に並んでいたグループがどんどん横に倒れていく。そして秩序の多元化みたいなことが起こってくるということが、一つの見立てとして言えるのかと思います。
ただ、アメリカではトランプ的な外交が未来永劫一貫して続くわけではなく、また民主党政権がそのうち誕生するかもしれない。すると、アメリカ外交というのは、もっぱら利益や取り引き、そして力による威嚇に基づく外交と、価値や信頼を強調する外交との間で振幅を繰り返すことになります。もちろん、どの政権もこの両方をやるわけですが、民主党政権と共和党政権で比重が変わるわけです。そのような一貫性のなさが出てくるので、その結果、様々な約束、コミットメントの信頼性を高められない事態が増してくると思います。
中国であれロシア、北朝鮮であれ、アメリカとディールをしても次の政権がまたそれをどう変えるかわからないと、外交で何か約束をして均衡をつくる取り組みが非常に難しくなってくる。すると、国際政治、国際関係が流動化し、秩序が希薄化していきます。政治体制が異なる国の間で安定をもたらすような、あるいは均衡をもたらすような協定や了解をつくることが非常に難しくなってくると思います。
さらに力の行使を抑制的にやることが超党派的になってくると、合意やルールを下支えして、裏付けるその担保となるアメリカの力が期待できないということになる。するとますます新たな改革、新たな均衡みたいなものを支え、それを持続化させていくような取り組みが非常に難しくなるので、多くの場合はせめぎ合い、不信感を拭えないような大国間関係、あるいは国際政治が続く可能性があるかと思います。
多極化と多元性のゆくえ
西野 有り難うございました。トランプ政権発足後の国際秩序というセッションのテーマに見合ったお話をいただきました。
第1セッションでは、中国とロシアが多極化という言葉を使って秩序を語っているという議論が出ました。森先生の報告では多元性という言葉が出てきました。いわゆる米中戦略競争が続いていく中で中国・ロシア側は多極化を目指す。アメリカはトランプ政権の下で政策が推進され、多元性というものが実現していく。となると、この権威主義の中国ロシア側と、アメリカが目指す秩序の折り合い、落ち着きどころはどういうところになるのか。森先生のお考えを伺いたいと思いました。
第2期トランプ政権の人事ではルビオ長官、ウォルツ補佐官、そしてコルビー防衛次官という、いわゆる対中強硬派と言われている方々が布陣することになると思います。そうなると、中国との対抗という中でアメリカの同盟、あるいはいわゆるミニラテラリズム(小数国による協力枠組みを重視するアプローチ)と言われる、日米韓、あるいはAUKUS(米英豪)、QUAD(日米豪印)という枠組みが持続していくのか。それとも何らかの形で変質、あるいは衰退していくのか。このあたりをどのように見ればいいのでしょうか。
実は、森先生のアレンジで昨年10月ワシントンに一緒に行かせていただいた時、コルビーさんにお会いしました。その際、これまでの日米韓協力というのは対北朝鮮中心であった。しかし、今後も日米韓協力を強化するのであれば、中国に対抗するための枠組みとしてでなければ意味がないという趣旨のことをおっしゃっていて、大変興味深かったです。
これまでバイデン政権下で、あるいは日本も韓国尹政権も目指していた多国間あるいはミニラテラルの枠組みがどういう運命を辿る可能性があるのかという点について、ぜひ後ほどお伺いできれば有り難く存じます。
韓国型のリアリズムとリベラリズム
西野 それでは続いて倉田先生からご報告いただきます。倉田先生は北朝鮮にも精通していらっしゃいますが、本日は韓国に焦点を合わせてお話をしてくださいます。
倉田 実は私はこの1、2年、かなり強い虚無感に襲われています。なぜかと言うと、北朝鮮が韓国との関係で、安全保障、統一問題の2つの側面をどのように整合させようとしているかということが私の研究の一部だったのですが、一昨年末に北朝鮮が、もう統一はしなくていい、韓国は敵対的な国家であると言ってしまったからです。
北朝鮮が分断の現状維持に傾斜していることは、私だけでなく多くの専門家が認識してきたと思うのですが、「統一をしなくていい」と言ったことは少なからぬ驚きでした。
そして昨年末の韓国の戒厳令、これもまた一種の失望を感じました。民主化以降、韓国の民主化過程を見てきました。それほど韓国が直線的に上手くいくとは思っていなかったのですが、紆余曲折はあるにせよ、徐々に民主主義が制度化されていくと考えていたら、あの戒厳令です。まさにもう先祖返りしてしまったわけですよね。
冷戦終結直後、私の恩師の一人が言った言葉を今反芻しています。それは「北朝鮮の不安定性を過大評価してはいけない。そして韓国の安定性も過大評価してはいけない」ということです。
北朝鮮が冷戦終結後、「苦難の行軍」だとか飢餓の問題などありながらもサバイブして今日に至っているということを考えると、様々な不安定要因があるにせよ、やはりあの国には体制の強靭性がある。他方、韓国は安定しているようで実は不安定要因がいくつかあって、それが今回の戒厳令にもつながっていったのだと思います。
では、この戒厳令に導かれるような要因がどこにあるのかというと、全部が全部ではないですが、韓国の中の理念の対立だと考えています。それをあえて最大公約数的なもので区別すると、韓国型リアリズムと韓国型リベラリズムに分けられるのではないか。その2つの勢力はあらゆる面で対立しているわけではなく、いろいろなグラデーションがあるのだけれど、対立の局面というのが今回、戒厳令の発動まで至らしめた一つの大きな要因ではないかという問題意識を持っています。
2025年3月号
【特集:東アジアから考える国際秩序】
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