【特集:大統領選とアメリカのゆくえ】
大林 啓吾:選挙とルールと司法──2024年米大統領選挙の伏線
2025/02/06
Ⅱ 例外ルール──選挙時のシャドードケット
次に、選挙に絡む訴訟と司法のルールの関係を取り上げる。それが、シャドードケット(影の事件表)である。原告が緊急差止を求めて出訴した場合、連邦最高裁は連邦高裁の審理中でも事件を取り上げて緊急決定を行うことがある。このとき、通常の事件表ではなく緊急事件表に掲載され、裁判所に提出されるアミカスや口頭弁論が省略されることが多く、実体判断には踏み込まずに差止の可否のみが迅速に判断されるので、人知れず重要な決定がなされてしまうがゆえに、シャドードケットと呼ばれる。
24年選挙では4件のシャドードケットがあった。まず、Republican National Committee v. Genser 判決*9では、機械によって無効票と扱われた郵便投票について暫定投票を認めるかどうかが争われ、共和党は暫定投票の集計を認めたペンシルベニア州最高裁の決定の停止を求めたが、連邦最高裁は停止の請求を認めなかった。次に、Beals v.Va.Coal. for Immigrant Rights 判決*10は、バージニア州知事が市民権のない者を有権者名簿から抹消したため、移民団体らがその差止を求めて提訴した。連邦高裁はそれを差し止める判断を下していたが、連邦最高裁が差止停止の請求を認めた。また、Kennedy v. Benson 判決*11では、無所属で立候補したロバート・ケネディ・ジュニアが選挙戦から撤退したことを理由にミシガン州の投票用紙から名前を削除するように求めたが、連邦高裁はそれを認めず、連邦最高裁も緊急差止を認めなかった。Kennedy v. Wisconsin Elections Commission 判決*12も同じくケネディが選挙戦から撤退したことを理由にウィスコンシン州の投票用紙から名前を削除するように求めた裁判であるが、連邦高裁はそれを認めず、連邦最高裁も緊急差止を認めなかった。
これらのケースを見る限り、司法判断はいずれかの政党に肩入れしているわけではない。むしろ、この種の選挙訴訟について司法判断を行うことで選挙に影響が生じないように迅速に処理し、かつできるだけ現場の判断に任せるようにした形となっている。
Ⅲ ルール違反の恩赦?──自己恩赦の問題
さて、選挙に勝利したトランプであるが、かねてより自身に恩赦を与えることに言及してきた。当選したことにより、少なくとも現職中は訴追されるおそれがなくなり、実際複数の訴追が撤回された。しかし、退任後、別途訴追される可能性は残っており、トランプはそれを警戒して自己恩赦を行う可能性がある。
しかし、これまでに自己恩赦が行われた事例はなく、ウォーターゲート事件の際は後任のフォード大統領がニクソン元大統領に恩赦を与えた。判例上、これまで大統領には恩赦について広範な裁量が認められてきたこともあり、訴追の前後を問わず、また事件全般を対象とした自己恩赦が行われる可能性がある。ただし、自己恩赦は何人も自己を裁くことはできないという法の一般ルールに違反するようにも思える。一方、憲法の恩赦条項は弾劾の場合を除き恩赦に限界を設けていないため、自己恩赦が認められる余地もある。
これまでの判例法理を見る限り、恩赦については大統領に広範な裁量が認められており、自己恩赦の可否が裁判になった際には自己恩赦が認められるかもしれない。また、Trump v. United States 判決は職務行為でなければ刑事免責の対象にならないとしたが、自己恩赦は私的行為をもカバーするかもしれないので、公私を問わず大統領を法の網から外してしまう結果となる。訴訟になったとき、司法はいかなる判断を下すことになるだろうか。
後序
エピグラフは、民衆は貴族が作ったルールの中身を知らないにもかかわらず、それが守られていると信じているという悲壮的状況を描写したものである。このことは選挙のルールにも当てはまる。専門家でもなければ先述のルールを熟知しているとは言い難い。一般に知られているのはせいぜい大統領の出生要件や年齢要件くらいであり、選挙の世界に没入しなければ複雑な選挙資金規正や投票権法の監視プロセスを理解するのは難しいだろう。ましてや、修正14条3節の欠格条項はとうの昔に忘れ去られていたものであった。
このことは翻ってリベラルに対する箴言となる。民主党敗北の理由として様々な要因が提示されているが、その中の1つに市民感覚とズレたエリート的思考が指摘されている*13。とりわけ、欠格条項の問題はそうした側面を含有しているのではないだろうか。市民にとって馴染みのないルールを用いてトランプを糾弾することは、そのこと自体が市民の共感を得られたとしても民主党のインテリジェンス層と市民の径庭を示す卑近な例だったのではないか、ということである。他面、エピグラフが示す通りルールが守られていると信じられている状況こそが重要であり、ルールが破られたかもしれないという事実があれば市民の支持が得られるといえるかもしれない。だが、そうなると、その延長線上で共和党が公正な選挙というルールを維持するためにルール違反のチェックを厳しくすることも共感を呼ぶ可能性があり、そこでも民主党は再考を迫られる。
もっとも、かつては共和党においても富裕層と市民層における乖離があったわけであり、いかにしてエリート層と市民層の距離を埋めるかが両政党にとって重要な課題といえる。とすれば、共和党は保守的司法の形成に成功したとはいえ、エリート層の1つである司法がどのようにしてルールを維持しながら市民の信頼を獲得していくかもまた重要な課題となってこよう。
*1 憲法2条1節5項。
*2 修正14条3節。
*3 Trump v. Anderson, 144 S. Ct. 662 (2024).
*4 Trump v. United States, 144 S. Ct. 2312 (2024).
*5 Shelby County v. Holder, 570 U.S. 529 (2013).
*6 See, e.g.,Zoltan Hajnal, John Kuk, Nazita Lajevardi, We All Agree: Strict Voter ID Laws Disproportionally Burden Minorities, 80 J. POL. 1052 (2018).
*7 Rucho v. Common Cause, 588 U.S. 684 (2019).
*8 Citizens United v. Federal Election Commission, 558 U.S. 310 (2010).
*9 Republican National Committee v. Genser, 2024 U.S.LEXIS 4422.
*10 Beals v. Va. Coal. for Immigrant Rights, 220 L. Ed. 2d 179 (2024).
*11 Kennedy v. Benson, 220 L. Ed. 2d 179 (2024).
*12 Kennedy v. Wisconsin Elections Commission, 220 L. Ed.2d 178 (2024).
*13 Nicholas Kristof, Will Democrats Finally Pay Attention tothe Working Class?, N.Y. TIMES, Nov. 10, 2024, SR at 3.
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2025年2月号
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