【特集:大統領選とアメリカのゆくえ】
鈴木 透:トランプ現象の何が一番危険なのか
2025/02/06
「もしトラ」が現実となって世界中が右往左往するのはやむをえない面もあろう。だが、トランプ現象をより長期的視野から意味づける作業も重要だ。短期的な動静に目を奪われすぎると、その背後で進行している深刻な問題を見失いかねない。とりわけ注意を喚起したいのは、トランプが第1期の選挙中から盛んに用い、彼のトレードマークとも言える、「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン」なる言辞の持つ意外なリスクである。このスローガンは、人畜無害のように見えて、実際には彼が掲げるアメリカ第一主義とはうらはらの、むしろ反米主義というべき思考に通ずることに多くのアメリカ国民が気づいていない。この言辞の陰に潜む「フェイク愛国主義」を見破れる知性こそ、今後のアメリカが最も必要としているものの1つである。
1.分断から出発した未完成なアメリカ
そもそもアメリカという国は、現実には達成されていない理想を掲げて出発した。自由と平等を謳った独立宣言が1776年に出されたときも、奴隷制度が厳然と存在していた。西洋のどの国もが実現できていなかった新たな政治モデルに挑み、現実をどうにかして理想に近づけるという宿命を自らに課したこの国は、いわば実験国家・理念先行国家として生まれてきたのである。
現に独立革命期の人々は、自国の未完成さを強烈に意識していた。合衆国憲法の前文に記された、「より完全な統合(more perfect union)」を実現すべくこれを定めるというくだりは、自分たちが社会内部の分断を克服し切れていないことを再確認しつつ、自国の未完成さを逆に国家の推進力へと変換する発想を体現していた。アメリカは未来において完成するのであり、その営みに寄与できることこそアメリカ国民にとっての誇りとなったわけである。
では、アメリカというプロジェクトは完成したのだろうか。この国の過去を振り返るとき、むしろそこに浮上してくるのは、理想にはほど遠い深刻な現実を繰り返し味わってきた歴史、そして、にもかかわらず、そうした自国の未熟さを完成途上の通過点へと読み替えることで、未来に向けた人々の奮起を促そうとしてきた歴史である。
奴隷制度をめぐる対立から60万人以上の死者を出した南北戦争時の大統領リンカンは、1863年、戦死者を弔う国立墓地の開所式で、有名なゲティスバーグ演説を行った。そこで彼は、悲惨な戦争をもってしても独立革命の理想は未だに達成されておらず、自由と平等を実現するという「未完成な仕事(unfinished work)」の完遂に向けて兵士たちの死を決して無駄にしてはならないと述べた。そのちょうど百年後、公民権運動の指導者キング牧師は、リンカンを祭った首都の記念堂の前で、一向に是正されない黒人差別の現実に嘆きながらも、この国がいつかはその理想を打ち立てるであろうという、有名な「私には夢がある(I have a dream)」の演説を行った。
悲惨な現実や分断に繰り返し直面したこの国は、このように社会的危機を完成途上の通過点へと置き換え、自国の未完成さを未来への推進力へと変換するメカニズムを、その短い歴史の間にも獲得してきた。現代の深刻な分断状況に照らせば、アメリカというプロジェクトが完成したとは言いがたいが、その代わり、いわば「物語の途中の国」として、理想の実現に向けて歩み続けるための安全弁的な文化装置をこの国は手にしたのである。
2.「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン」の罠
一方、トランプが唱えるスローガンは、こうした伝統からは逸脱するものだ。それは、未完成な実験国家・理念先行国家たるアメリカの理想は未来において実現されるという立場とは異なり、「アゲイン」に象徴されるように、この国は栄華を既に極めたのであり、アメリカの理想は過去にあると示唆する。それは、理想にはほど遠い現実を完成途上の通過点に読み替え、未完成さを強烈に意識することで推進力を得ようとしてきたこの国の歴史への根本的な理解を欠いている。そもそも彼は、一体いつの時代のアメリカが偉大だったのかという点すら明確にしていない。この国は理想にはまだほど遠いにもかかわらず、不完全な過去のどこに戻ろうというのか。
未だにリザベーションという国家内国家の如き中途半端な政治的地位をあてがわれ、過去の侵略や文化破壊への補償すら十分にされていない先住民や、警察官の不当な暴力にさらされ続ける黒人たち、連邦議会に代表を送れず、大統領選挙にも投票できないプエルトリコの人々、性暴力や賃金格差に苦しんできた女性たちなどからすれば、この国が理想を実現して偉大だと誇れる瞬間はまだ来ていないのである。つまり、このスローガンは、実はそうした人々への配慮を著しく欠くものであり、これを平気で連発することは、自由と平等の恩恵を十分に受けていない人々の感情を逆なでする。トランプ自身、いつの時代のアメリカが偉大だったか明言できないのも、実はそうとは言えないことを暴露していると言うべきであろう。
加えて、このスローガンの危うさは、歴史認識の問題にとどまらない。どの時代のアメリカが「グレイト」だったのか不明なままこのスローガンが濫用されることは、「グレイト」なる記号が何を表すのか自体を不明瞭にしてしまう。それは、「偉大であること」と「偉大でないこと」の境界線をも曖昧にする。「偉大であること」の意味内容が不明確になれば、「偉大でないこと」との明確な区別もつかなくなるからだ。「グレイト」の意味が決定不能になることは、倫理的な感覚をも麻痺させかねない。偉大さなる概念が空洞化すれば、他者への敬意も失われかねないためだ。公の場とは思えないような、他者への礼節を欠いた発言がトランプには少なくないという事実は、こうしたリスクが相当程度顕在化してきている様子をうかがわせる。
一見すると人畜無害に思える「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン」なる言辞は、この国の愛国主義の源泉となってきた、自国の未完成さに対する感覚を麻痺させるだけでなく、誤った歴史認識や他者に対する攻撃的言動の温床でもある。それは、この国の推進力となってきた思考様式を暴力的に破壊するという意味においては、実は反愛国主義的であり、アメリカ第一主義とはうらはらの反米主義的ですらあるだけでなく、アメリカの偉大さを失わせた犯人捜しという虚構へと人々を絡め取り、礼節なきまま不必要に市民同士が互いに容赦なく攻撃し合う社会をたぐり寄せてしまう。「再び偉大にする」ことではなく、「未完成な国家をより偉大にする」ことこそ大事なのだが、このスローガンは、そうした認識を埋没させ、かえって自傷行為の連鎖を引き起こしてしまうのである。
3.問われるアメリカ国民の知性と感性
トランプが大統領候補となった直近3回の大統領選挙の期間、筆者は、このスローガンのいかがわしさを果たして誰が大々的に問題化してくれるだろうかという関心をもって見守ってきた。しかし、対立候補を出した民主党の側さえ、上記のような論点を素通りし、危険なスローガンは垂れ流されるばかりであった。少なくとも、「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン」に対抗して、「メイク・アメリカ・グレイター」こそ重要なのだというキャンペーンを展開することで、トランプのスローガンのいかがわしさを暴露することは十分可能だったはずだが(筆者が民主党の参謀だったら間違いなくこれを提唱していたが)、それとて不発だった。
なぜアメリカ国民は、このスローガンの持つ自傷行為的リスクを十分に認識できないのだろうか。トランプ現象の問題の核心は、ここにあるように思える。ある意味でそれは、アメリカ社会における知性や感性の危機と言い換えても良いのかもしれない。
そもそもアメリカは、反知性主義の風土が強い。それには、ヨーロッパの文化と伝統に対抗するには、あえて別のものに価値を見いださねばならなかったという事情もあろう。高度な教養よりも経験や実用的知識がものを言う西部開拓の歴史も、それに拍車をかけたかもしれない。情報化社会の到来で一般市民の情報発信力が増したことも、反知性主義の風土を強めたと言えよう。現にトランプ人気の一因も、およそ高度な教養とは無縁に思える言動にあると言えるだろう。
反知性主義は、この国が文化的独立を果たす過程では一定の意味を持ちえたかもしれないが、国際社会の責任ある一員としてどう振る舞うべきかという文脈において、冷静に判断を下す必要がある場面では、かえって足かせになりかねない。自国の歴史を振り返ることのできる知性と言語に対する一定の感受性があれば容易に見破れるはずのこのスローガンの危うさをアメリカ国民が野放しにしてきたのは、憂慮すべきことである。
一見愛国的なこのスローガンは、未完成さを直視してきたこの国の愛国主義の土台をむしろ浸食し、歴史感覚と倫理観の両方を麻痺させながら、分断をさらに煽るリスクを秘める。深刻な現実を理想の実現の途上へと変換する感性の鈍化は、自らが掲げた大義自体を不可視化させ、未完成な大国は羞恥心なき自国の絶対化へと暴走しかねない。それは、この国が短い歴史の間にも獲得してきた、未完成さの直視を推進力に変換するという、重要な文化的伝統を自ら葬り去ることに等しい。トランプ現象から垣間見えるのは、空虚なスローガンに踊らされ、そのいかがわしさを暴露する知性を発揮することなく、自傷行為とも言える次元にはまり始めたアメリカの姿だ。自国の未完成さと大義から目を背けない感性こそ、この国には必要なのである。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2025年2月号
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鈴木 透(すずき とおる)
慶應義塾大学法学部教授