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【特集:科学技術と社会的課題】
大澤 博隆:人工的エージェント研究から、物語応用の研究へ ──SF的想像力の展開

2024/08/05

3. 慶應義塾サイエンスフィクション研究開発・実装センターは何を目指すか

前述したような時代において、我々は慶應義塾大学に「サイエンスフィクション研究開発・実装センター」という名前のセンターを2024年1月に設立した。日本で初めての、SFを冠した大学内研究センターである。同様の枠組みは米国には複数ある。例えば、カンザス大学には文学としてのSFを研究するセンターが存在しており、近年ではSFを用いたイノベーション創発のセンターとして、アリゾナ州立大学の科学と想像力センターや、カリフォルニア大学サンディエゴ校のアーサー・C・クラーク人類想像力センターがある。また、中国ではSF作家であり研究者の呉岩氏が、南方科技大学に人類・科学想像力研究センターを設立している。しかし、日本にはこれまでSFを専門とするセンターが存在しなかった。「日本沈没」等の小説で知られる作家の小松左京氏はかつて「SF学」という名前で、SFの持つ可能性に着目し、学問領域の設立に尽力した。また、作家の瀬名秀明氏は、主にロボット研究者と共同で、SFと科学技術の関係について論じてきた。

SFセンターはこうした流れを受け継ぎ、文学、認知科学、人工知能、経営学、科学コミュニケーション、アートの6分野に沿って、SFを中心とした想像力の研究を遂行する。私自身は工学系の研究者だが、センターでは理工学のみならず、人文・社会科学が大きく寄与する分野である。AIやコミュニケーション技術の進化がもたらす変化を、単に技術的な側面からではなく、人間中心の視点で捉えなければ、人間に対する価値を置き去りにした技術加速をもたらすことになる。特に、これからの社会を担う子供たちの発達過程における物語の影響を検討することは、喫緊の課題であると言える。また、特に経営学は、新たな技術やイノベーションが社会や文化に与える影響を深く理解するための理論的枠組みと分析ツールを拡張する。AI技術による創作活動の変容は、社会の価値観、文化的アイデンティティ、コミュニケーションの方法などに大きな影響を及ぼすものであり、これらの変化を理解し、意味付けるためには、未来構想手法の研究者との協調が不可欠である。特に、豊富な物語を隠れた資源として持ち、米国や欧州に匹敵する独自の物語文化を発信してきた一方、少子高齢化において出版産業の変化を含めた抜本的な構造変化が予測される我が国において、小説のみならず漫画やアニメーション、動画、ビデオゲーム、2次創作を含めた物語文化の、扇の要としての役割を果たしたSFの影響を整理し、新しい想像力のあり方を世界に発信していくことには、大きな貢献が生まれる。また、新型コロナウイルス禍やロシアのウクライナ侵略、汎用人工知能を目指す大規模言語モデル技術など、不確定で破局的状況が発生する現状においては、未来そのものの予測ではなく、不確実な未来において、可能性を検討できる能力を開発することが重要となる。この点において、科学コミュニケーションやスペキュラティブアートは、大きな役割を果たす。

また、生成AIを始めとしたAI技術の発展は、従来の物語に関するエコシステムとの大きな違いをもたらす。従来は、物語はあくまで人間の思想または感情を創作的に表現したものとして人格権を含めた権利が認められ、法的及び倫理的な保護を受けてきている。これに対し、生成AIのように創作過程が自動化される場合には、作品の創作性について介入が行われる。これによって、文学及び美学の観点からは、新たに検討するべきことが増えると考えられる。もう1点は物語的な想像力自体の転用である。近代以降の物語環境においては、作者という特権的な役割が存在し、これを出版が補助し、多くの人々が物語を受けるという形が産業として確立した。しかしながら、ネットワーク技術やソーシャルネットワークプラットフォームが発達し、金銭のみならず自己表現に対する賞賛を持って作家に対するフィードバックとされる評価経済の現代社会においては、作者と読み手の境目は曖昧となっている。この時代はある意味でコミュニケーションとしての物語の復権であるが、物語を紡ぐ作家の想像力が、ある種の未来に対するシミュレーション能力、洞察力の一環として、未来ビジョンの構築に直接関与することが起きている。こうした環境はAIによる想像力拡張環境とあいまって、結果として、人類が持つ想像力が創り出す物語の、社会における役割をさらに広げる。現在の生成AIは、クリエイティブな作品の帰属、AIによる創作活動の倫理、人間とAIの関係性の再定義など、様々な枠組みの問題を引き起こしている。センターは、これらの問題を扱うための倫理的枠組みと哲学的洞察を提供し、社会がこれらの新たな課題にどのように対応すべきかについての議論を深める橋渡しとしたい。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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